070:竜の秘薬
思ってもみなかった相手が現れ、驚く一行。ベルガに続き、天井からローブで全身を覆った魔法使いのザンドも続いて飛び降りた。
「何でこんなところに!」
「……さあてね。まさかアンタらがこの国の王子一行だったなんて、アタシも驚いてるけど……」
それ以上答える気はないとばかりに、ベルガは、曲刀を振りかぶって飛び込んできた。刀から雫が飛ぶのが見える。毒が塗られている!
ジェスは瞬時に剣を抜き、その一撃を受けた。仲間達を庇うように、二人の前に立つ。
「ライ、マリラ、王様を追って!」
「ここは私達に任せてください!」
アイリスもいつでも呪文が唱えられるように、身構えている。
ライは迷った。
どういう経緯か知らないが、状況からして、こいつらは暗殺者として雇われているのだろう。狙いは自分のはずである。
ここでもしジェスやアイリスに万一のことがあれば、俺は今度こそ――
「マリラを頼んだよ!」
「っ!」
その言葉にライは我に返る。そうだ。マリラを助けなければならない。
ここは、二人を信じるしかない。
「……頼んだ!」
ライはマリラと共に、ガルドラ王を追った。
「くくっ、お優しいこと」
意外にも、走り去るライとマリラを、ベルガとザンドは追わなかった。そして、執拗にジェスをその刃で切りつけようとする。
そこでザンドが動いた。アイリスに向かって殴りかかる。アイリスは咄嗟に〈護り〉の呪文で、自分の前に目に見えない障壁を作る。
障壁によってアイリスは守られたが、人間離れした怪力がぶつかったことによる、びりびりと空気が揺れる衝撃が伝わる。だが、それはザンドもそれだけの衝撃を受けているということだ。
ザンドは表情のない目で、血まみれになった拳を見た。
「ちっ、こっちを手伝いな!」
ベルガから指示が飛び、ザンドはジェスに向かう。ジェスは二人を相手にすることになる。
あとからマリラから聞いたが、ザンドの体には魔法の呪文が刺青で入れられており、それにより常時、人間離れした身体能力を発揮させることができているらしい。
(不味いです!)
毒の刃で切りつけてくるベルガと、恐ろしい力技で向かってくるザンドを、ジェスは一度に相手しなければならない。
「ジェスさん!」
アイリスはジェスの剣に向かって、〈祝福〉の呪文をかけた。剣が聖なる輝きに包まれる。
「へえ、色々見せてくれるじゃないか。思ったより、王子暗殺は簡単じゃないか……やっぱりあそこでちゃんとトドメを刺すべきだったね」
「……お前たち!」
ジェスが強い目でベルガを睨む。
彼らはライを暗殺しようしている。貴族の事情は知らないが、仲間に危害を加えようとするなら、容赦はしない。
ジェスは輝く剣を構え直し、ベルガとザンドに向かっていった。
「……何故、このような場所に……」
レイチェラは王の思惑が読めず戸惑った。
真夜中に、供を引き連れずに会いに来いなど、王女に命令する内容ではない。しかし、国王の命令ともなれば話は別だ。
暗殺者に襲われたばかりのレイチェラだが、仕方ない。護身用の剣を携え、アルロスにも告げずに人払いをして部屋を出た。
国王の方も予め人払いをしてあったのか、王の寝室から謁見の間までの間には、衛兵もいなかった。
「……。すまないな……。」
ガルドラ王は、弱々しく呟く。レイチェラは首を横に振った。
「必ず王位はお前のものだ……」
「それは……今決めることではございません」
レイチェラはそう答える。王は完全に弱り切っていると思うと、レイチェラは悲しかった。
ガルドラ王は、謁見の間の玉座に近付く。その豪奢な細工の施された椅子に座ることはなく、王は王国の紋章が描かれた部分を、ぐっと押した。
すると、紋章の部分がカチリ、と外れた。仕掛けの抽斗になっていたらしい。
「良いか。これは代々、王しか知らないものだ……。これは『竜の秘薬』と呼ばれる、あらゆる呪いを解くという薬だ……。」
そして王は、震える手で抽斗の中の小瓶を取り出す。王家の紋章が描かれた瓶には、茶色い液体が僅かに入っていた。
「代々、王族が呪いを受けた際に使用してきた。……この量では、あと何代もつか分からんがな……」
「えっ……」
ガルロス王が、自分をわざわざ介助に頼んだのは、このためだったのだと知る。
本来なら王が代替わりする時、伝えられることなのだろうが。
「しかし、陛下は、呪いではないと……」
「あの宮廷魔術師より、相手の術者が勝っていたら、呪いに気付かぬこともあるやも分からぬ……」
現に王妃は、そのために手遅れとなるまで気付かなかったのだから。
ガルドラ王は小瓶の蓋に手をかけた。手が震えており、なかなか瓶の蓋が開かない。手伝って差し上げようと、レイチェラはガルドラ王から、小瓶を受け取ろうとした。
だが――
バン、と謁見の間の扉が開かれる。そこには、レオンハートと、その仲間であるという、魔法使いの女性が、立っていた。
事態を飲み込む前に、彼女は素早く杖を向け、何か呪文を唱えた――
間に合った。
記憶の中にあった薬は、かなり量が少なかった。だからこそ、王妃は自分が助かることを遠慮したのだ。
もしここで王が飲み干してしまえば、もうマリラを助ける手段はない。マリラは素早く〈眠りの雲〉の呪文を唱えた。
呪文は真っ直ぐ飛び、それはガルドラ王と、レイチェラに向かってぶつかる――はずだった。
「レイチェラ様っ!」
脇から現れたアルロスが、レイチェラに向かって駆け出し、その身に覆いかぶさるように倒す。
そして呪文はガルドラ王にだけぶつかり、王は玉座にもたれかかるようにして眠った。
「何故だ! レオンハート!」
仕える主の前であることも忘れ、アルロスはライを呼び捨てにして詰った。
アルロスは、本来なら、命を狙われたばかりのレイチェラをしっかりと警護しなければならない立場だ。しかしそれに対し、当のレイチェラが、今夜は警護をせず、人払いをするようにと言った。しかも理由は教えて貰えないのだ。
命令には従うしかなかったが、当然承服できるわけがない。レイチェラが誰かに騙されている可能性も考慮し、アルロスは部下を連れず、一人でレイチェラにさえ気づかれないよう、彼女を警護していたのだ。
「お前は――レイチェラ様の命を狙って、王位を狙っていたというのか……! 俺に嘘をついていたのか!」
「……違うっ!」
否定したライだが、アルロスは信じないというように睨んだ。
今のは眠りの呪文であり、ライ達はレイチェラや王に危害を加えるつもりではなかった。しかし、この状況ではとても信じられるものではない。
そして何より――ライがアルロスの言葉を否定しきれていなかった。
ライは王位など狙っていない。しかし、アルロスに嘘を――自分はただ竜の秘薬だけを求めてここに来たことを隠している罪悪感が、僅かではあるが表れていた。
(不味い……)
マリラはこの状況に歯噛みした。
秘薬は、王が倒れた時の衝撃で、玉座の近くに転げ落ちている。今のところ、秘薬に目を向けているものはいないが、奪い取るのは難しい。
レイチェラは、ガルドラ王の様子を確認する。王は眠っているだけのようであることに、ひとまず安堵し――レイチェラは自身の腰に差しているレイピアを抜いた。
「軍人たるもの、つねに冷静でありなさい、アルロス――。そして、レオンハート。王子であるとはいえ、この狼藉を見逃すわけにはいきません――全て真実を話して貰う必要があります」
捕らえなさい、とレイチェラはアルロスに命令した。
「御意」
そして、強国ドラゴニアの近衛兵士長と、ドラゴニア王女の剣が、ライとマリラに向けられることとなった。




