068:暗殺者
ファルトアスは、自室でアルロスが持ってきた書状に目を通した。
「……試合は明後日か。随分早いな」
「王位継承権があり、剣を握ることのできる者は、全員出るしきたりとなっています」
「知っている。それより、アルロス」
「はっ」
ファルトアスは、僅かに笑った。笑ったところでこの王子が何を考えているか、アルロスにはまるで分からないのだが。
「面白い噂が流れているぞ? 陛下の病気は、実は呪いではないのかとな」
ガルドラ王の前に進み出たヘリプローザは、王の様子を診て、静かに首を横に振った。
「呪いの痕跡は見られません。やはり病気の類としか。私にはどうすることもできず、申し訳ございません」
「そうか……」
その横に、レイチェラも控えている。だが、レイチェラは国王がその見立てに納得していないことを見抜いていた。
そもそも、王が急に体調を崩した時、医者と魔術師であるヘリプローザは一度王の体を診ているのだ。その上で再度診るように言うのだから、そもそも最初のヘリプローザの呪いではないという診断を信用していないということになる。
(王妃様の時も、宮廷魔術師が見抜けないほどの巧妙な呪いだった。気付いた時には、打つ手がなくて、王妃様は亡くなってしまわれたけれど……)
アルロスからレイチェラに、国王が呪いに冒されているのではないかという噂が流れているらしいと報告があった。どこからそんな噂が出たのか知らないが、それはヘリプローザも聞いていたらしく、王を再度診察したいと申し出があった。
王の寝室を出たところで、ヘリプローザはため息をついた。
「あり得ませんわ……呪いだなんて。どこからそんな噂が出たのでしょう……兵士達に根も葉もない噂を流させないように、私から通達しておきますわね」
そう言って、ヘリプローズは第一兵士隊長のジャズデンの元に向かった。
「どういう事なのかしら……」
呟くレイチェラの元に、杖の音が近づく。
「ファルトアス……」
アルロスの報告では、噂を聞きつけたのはファルトアスであると言う。あまり社交界に顔を出さず、歩き回らない彼がどうしてこの城でもっとも情報通なのか、レイチェラには謎だ。
「陛下が病気なのか呪いなのか、そこは私には分からない。だが、この噂を流せる人間は限られている」
「……えっ?」
「私の聞いた噂は『陛下の病気は、実は呪いなのではないか』だ。つまり陛下が病気であることを知っていた人間にしかこの噂は流せない。陛下は病気であることを隠すため、謁見も最小限に留め、その場にいる人間も厳しく制限している」
先日、レオンハート王子の希望で行った謁見にも、もともと王が病気であることを知っていた、ごく限られた者だけが集められていた。
そして、レオンハートにもその事実は伝えられている。王位継承の試合を行う妥当性を知らせなければならないからだ。
「まさか、レオンハートが?」
「真意は分からないがな」
そう告げて、ファルトアスは廊下をゆっくりと歩いて行った。
「便利なもんだな、魔法って」
「まあねー」
マリラは風を操り、自分達の声を遠くまで届けていた。部屋の中では、ジェスとアイリスが繰り返し芝居を打っている。
「聞きました? 国王陛下の病気って、実は呪いだそうだんですよ?」
「えーっ、驚いた」
演技が下手にも程があるが、仕方がない。この声をそれとなく城のあちこちで響かせ、一行は部屋にいながらにして噂を流していた。
「そろそろ噂が行き渡ったかな? 実際に伏せっている王様には悪い気がするけどね……。あとは王様の部屋の周りを見張ってればいいんだよね?」
「ああ。ジェス、頼むぜ」
「分かってる」
ライはジェスに「声運び」と呼ばれる道具を渡した。
簡単な玩具だ。筒の一端に紙を張ったものを二つ用意し、その二つを細い糸で繋ぐ。糸を張った状態で、一方から筒に向けて話しかけると、もう一方の筒からそれが聞こえるという玩具だ。
これをライは、仲間達とありあわせの材料で作った。
「こんなの始めて知ったよ。よくできてるねー」
ライの指示通りに作った玩具の筒から、声が聞こえるのを代わる代わる試した後、ジェスは感心した声をあげた。
「ああ。子供の時、俺が部屋に閉じ込められている間、窓の外にいたアルロス達とこれで遊んだんだ」
ジェスは声運びを持ち、両手を自由にするために腰のベルトに挟んだ。窓を開けて身を乗り出すと、勢いをつけて壁を上り、屋根の上に立った。
そのまま屋根の上を人に気付かれないように素早く走って、ライに教えられた、王の部屋の真上まで移動する。ちら、と仲間達の方を見る。糸が絡まないよう、ジェスが移動するのに合わせて、少しずつ窓から糸を出してくれていた。
王城の屋根は高いから、そうそう気付かれることはないと思うが、いつまでも屋根の上にいてはさすがに目立つ。ジェスは王の部屋に近い、大木の枝に狙いを定めて、思いきり跳んだ。
両の腕で、しっかりと枝をつかみ、ぶら下がる。跳びついた時の勢いを利用して、そのままぐるんと周り、枝の上に飛び乗った。そして、糸を軽くたぐり、ピンと張らせる。
「どう、聞こえる?」
ジェスが筒に向けて小声で話しかけると、アイリスから返答があった。
『はい。私はこのまま筒を耳に向けていますから、何かあれば言ってください。どうぞ』
「うん。僕も耳につけたままにするから、じゃあ」
声運びのネックは、二人同時に話せないことだ。基本、相手がいつ話しかけてきてもいいよう、お互いに筒を耳に当てているようにしている。
大木の枝や葉に身を隠しながら、王の部屋の様子を窺った。
(うん。ライの言った通り、この木がちょうど王様の自室の前に立ってる。あとは動きがあれば、皆に知らせないと)
アルロスから聞いていた通り、かなり具合が悪いのか、王はずっとベッドに伏せっていた。よくこの状態で謁見ができたものだとジェスは感心する。
(やっぱり王様は、大変なんだな……)
レイチェラ王女は、自室に戻る。
「一体何がどうなっているというの?」
アルロスには、噂の出所を突き止めるよう指示を出したが、難しいだろう。これで明日の王位継承の試合が無事にできるかどうか――。
ガルドラ王はもはやいつ倒れてもおかしくない。少しでも早く次の王を決定し、戴冠式を行う必要があった。
(ああ、アーサス伯父様がいらしてくれれば)
ガルドラの兄であるアーサスは、優秀な宰相だった。剣の腕こそ弟に劣ったが、その政治的手腕で随分ドラゴニアは助けられていた。また教師としても非常に優秀で、レイチェラとファルトアスの家庭教師も務めていたのだ。
だというのに、父であるガルドラ王は、その優秀さに危機感を持ち、アーサスを城から追い出してしまったのである。
今でこそ次王候補として王を助けているレイチェラだが、当時は小娘。反対することもできなかった。
(第一、父上が節操なくあちこちに子供を作るから、王位継承でこんなに貴族が争うのだわ!)
この王位継承の試合にしたって、どれだけ各貴族の思惑が働いて延び延びにされていたか。
「反対させる暇もないくらい、急に実施してしまえばいい」
ファルトアスは簡単にそう言ったが、準備する側も大変なのだ。一体どれだけ自分の名で貴族に手紙を書いたか。
レイチェラは自分が、三兄弟の中で一番剣が優れていると自負している。しかし、剣の腕と王の素質は別物と考えていた。
父であるガルドラ王と伯父であるアーサス、王位に就いた後は、どちらが治世に尽くしたか、言わずとも皆が分かっていることだからだ。
そんなこんなで考え事をしていたレイチェラだったが――部屋の扉を開けた瞬間に、目の前に迫った刃を、反射的に避けていた。
「何者です」
「へえ……今の不意打ちを避けるとはねえ」
レイチェラの部屋には、見慣れない女がいた。紫の髪に赤い瞳、恰好からして女盗賊のようだ。曲刀をこちらに向けている。
「剣の腕が立つっていうのは本当だったみたい、だねっ!」
「くっ」
なおも迫る鋭い刃。しかし――レイチェラはそれを紙一重で避けると、レイピアを抜いた。抜くと同時に床を蹴って跳び、切りかかる。
激しく剣がぶつかり、火花が散る。曲刀からは紫色の液体が滴っているのが見えた。毒を塗ってあるのだろう。先ほどの一撃といい、この女は確実に自分を殺しにきている。
レイチェラは、銀の瞳で目の前の暗殺者を睨んだ。
「――ドラゴニア王女に剣を向けたこと、後悔させて差し上げましょう!」
作中の「声運び」は、要するに糸電話のことです。
この世界には電話はないので。




