062:王都
聖母草を売ったのは、結果として良かったと言えた。
宿屋の主人はいたく感謝し、彼らの宿代をタダにした上に、一行が王都に向かうと聞いて、馬車を出してくれるというのだった。
馬車を運転しているのは、宿屋の息子だった。彼ももともと王国兵だったが、彼女を実家に送るために王都から馬車で来ていたのだという。
「僕の母は、妹――ええ、助けて頂いた彼女のことです――を産む時に、亡くなっていましてね。父も僕も、妹の出産にはだいぶ心配しました。あなた方が宿屋に泊まってくださったのは、本当に幸運でした」
「そうですか」
ジェスは馬車の御者台に座って、彼と話をしていた。
その後ろで、アイリスとマリラは馬車の揺れに身を任せて眠っている。結局昨日の夜はほとんど眠れなかったのだから当然だ。
ライはといえば、浮かない顔でいた。もうすぐ王都につく。目を凝らせば、遠くに王城の屋根が見えた。
(……。あーあ、マジで着いちまうよ……)
「すごい人です。こんな大きな街、始めて……」
「街っていうか、都でしょ……」
王都ドラゴヘルツは、巨大な都市だった。まるで祭りでもしているかのように、道には人が忙しく往来する。
「ギールとは別の意味で、活気ある街だね……」
ジェス、マリラ、アイリスは初めて見る王都の雰囲気に圧倒されていた。
「はは、王都は初めてですか。じゃあ、ゆっくり観光されていかれるといいでしょう。それでは自分はここで」
馬車を出してくれた彼とは、王都の入り口で別れた。
「で、ライ、ここからどこに行く訳?」
「ああ。まずは適当な宿屋に行って、拠点を決めるとすっか。もし、この街ではぐれたら、そこで落ち合うことにしようぜ。それから――これからのことを話す」
「そう、ね……」
その時、マリラはライの横顔が、険しい表情をしていることに気が付き、続く言葉を失った。
宿屋につくと、マリラは自分の左手に巻いていた包帯を一旦解いた。旅の間にだいぶ汚れてしまった。それを、洗って置いておいた別のものと取り換えようとした時、例の発作に襲われた。
「ぐうっ!」
「マリラさんっ?」
アイリスが駆け寄る。そのアイリスの目の前で、右手にじわじわと痣が広がってきていた。
「あっ……」
マリラは、そっとローブの下の自分の体を確認する。痣は、右手だけでなく、マリラの上半身を巻き付くように伸び、呪いの言葉で黒く染めていた。
ぞっとする光景だった。マリラはすぐに目を閉じて、振り払う。発作はもう収まったはずなのに、息が苦しくなる。
「……っ!」
「苦しいんですか?」
そう問うアイリスの方が、涙目で苦しそうだった。
「ううん……大丈夫よ……」
そう答えたが、その声は自分でも情けないほど弱々しい。アイリスはマリラの手を握り、神聖語の呪文を唱えた。すると、温かい光がマリラの体を包むが――何も起こらない。
「……アイリス……今の、〈解呪〉の呪文?」
「ごめんなさい、やっぱり私の力じゃ……何の力にも、なれなくて……」
「アイリスのせいじゃないわ……呪いが強力すぎるのよ。それより、いつの間に、今の魔法を覚えたの?」
アイリスは俯いた。
「毎日お祈りしていました。どうかマリラさんを助けてくださいって。……〈解呪〉の呪文が聞こえるようになったのは、つい最近です。でも、でも……」
「そう……ありがとう」
マリラは、アイリスの頭を優しく撫でた。
その時、部屋の戸がノックされた。
「……マリラ、アイリス、入っていいか?」
「え、ええ」
マリラは息を整え、答えた。アイリスが不安そうに見上げてくるが、大丈夫、と小さく笑って見せた。
「竜の秘薬はこの王都にある」
ライが話の核心をついた。
マリラの呪いを解くことができるかもしれない、現時点での唯一の希望、竜の骨から作られたという秘薬。
竜の体がその材料になっている以上、珍品どころの話ではない、伝説級の品だ。
「……それで、王都のどこにあるの?」
「王城だ」
「……はっ?」
「王城のどこか……はさすがに分からねえけど、竜の秘薬はドラゴニア王家の秘宝だからな。宝物庫にあるんじゃねえかな」
それを聞き、マリラとアイリスは絶句した。
「でも、それをどうやって使わせてもらうの? 僕はよく知らないけど、国の王様に僕達みたいな冒険者がそう簡単に謁見できるとも思えないし……」
「ちょ、ちょっとジェス、いくら何でもお人好し過ぎでしょ!」
マリラは盛大に突っ込んだ。
「え? え、何で」
「私達がノコノコ行って、いや、行けるかどうかは知らないけどさあ、王家の秘宝を下さいなんて言って、それでくれるわけないじゃない!」
「ライさん、まさかですけど……」
「ああ。王城に忍び込む。そして秘薬を盗み出す」
ライは唖然とする仲間達に、そう言い切った。
その日の夜、一行は王城の塀の近くの茂みに隠れていた。
「ね、ねえやっぱり――無理じゃないの?」
王城だ。貴族の屋敷とは訳が違う。高い塀に、さらに警備の兵士もあちらこちらにいる。
「やるしかねえだろ。このままじゃマリラの命が危ないんだぜ」
しかし、一国の城に忍び込んで見つかったら、下手したら全員まとめて死罪ではないのか?
「何で、もっと前から言っておいてくれないのよお」
「前もって説明したら、マリラが逃げそうだったからな」
「……。」
痛いところを突かれ、マリラは黙った。
確かにそんな危険な橋を渡ると知っていたら、確かにマリラは逃げたかもしれない。仲間をそんなことに巻き込めない。
(ああもう、何で私はあの時ライに、自分が魔物になったら退治してなんて頼んじゃったのよお……)
あの時弱みを見せたことを、猛烈に後悔するマリラだった。
「大丈夫ですよ、みんな一緒ですから」
「うん。行こう、マリラ」
ジェスとアイリスはしっかりと覚悟を決めている。盗みは犯罪には違いないが、人命には代えられない。
「さ、行くぜ。マリラの呪文が頼みの綱なんだからよ」
「分かったわよ……」
マリラは城の塀の周りで槍を持って立っている警備兵に、〈眠りの雲〉の呪文をかけた。
呪文が成功して、兵士が倒れる。
ライはそれを確認し、塀の上に鉤爪のついたロープを放り投げた。しっかりと引っかかったのを確認し、壁を上る。その間、ジェス達は眠った兵士を引きずって素早く裏路地に隠す。
「……。」
この辺りは、庭の木が遮っているため、王城からは見えにくい。ロープを使って、ジェス、アイリス、マリラも続いて上ってくる。
ライは仲間を手招きし、暗闇の中、時折巧みに茂みに隠れながら進む。忍び込むのは、裏口や勝手口などのような小さな扉ではなく、中庭と出入りできる大き目の扉からだった。ライが宿屋で城の構造を前もって説明していた時、マリラは疑問に思って聞いた。
「もっと小さい扉からの方が警備が甘そうな気がするけど」
「いや。警備兵はいなくても、台所の勝手口なんかから入ったら、夜中でも起きてる使用人が多いから誰に見つかるか分からねえ。ここは思い切って中央のホールを突っ切る」
ライが断言するので、ジェス達は頷いた。
「……もうすぐ、定刻の兵士交代がある。新しく交代に来た兵士をすぐ眠らせれば時間がだいぶ稼げるはずだ」
ライが小声で伝えた。言った通り、すぐに交代の兵士が来た。マリラがすかさず魔法で眠らせる。
「よし、行くぞ」
素早く一行は駆けだし、王城に忍び込んだ。