061:聖母草
街道を進み続け、一行は宿場町イナルに到着した。
「結構活気のある街ね」
「街道の交差点になるからな。ここから東西南北に街道がそれぞれ伸びてるんだよ」
西に向かえば港町バラン、東に向かえば王都ドラゴヘルツに通じる。また、北と南にもそれぞれ大きな街があるそうで、人の往来が多い街となっていた。
宿場町の名前の通り、街のほとんどの店が馬屋や宿屋だった。
「もう日も暮れかかってるし、今日はここで宿を取るか。早くしねえと、宿が取れないぜ」
「そうだね」
そうしてジェス達は、宿場町を回った。
「あっちに大きい宿があるけど、あれはどう?」
「あー、あれは駄目だ。ありゃ王国の辺境警備隊の御用達だから」
「辺境警備隊って?」
「魔物が多いからな。主要な街の近くには、王国の兵が警備として配置されるんだよ。ここもそうだな」
「へえ……それにしても、ライって本当にこの国のことに詳しいのね」
マリラの言葉は、本当に何気ないものだったが、それを聞いたライは、少し目を伏せた。
結局、時間が遅かったこともあり、宿はごく小さい部屋を一つだけしかとることができなかった。
「すみませんねえ……お嬢さん方もいるので、できれば二部屋ご用意できた方がよかったんですが……」
「大丈夫ですよ」
ジェスは気にしないで下さいと、宿の主人である初老の男性に言った。
ずっと野営してきたのだ。四人一部屋で床で寝ることになっても、壁と屋根があるだけありがたいというものである。
「ええ、まあ……部屋の一つを身内が使っているものですから……お客人に床で寝てもらうというのは申し訳ないものでして」
「身内?」
その問いに答えるように、ジェス達が止まることになる部屋の隣から、若い男性に支えられたお腹の大きな女性が出てきた。
「……ふう」
「お、おう、手伝おうか?」
慌てて宿屋の主人が彼女に寄る。
「大丈夫よ、お父様。あら、お客様ね? いらっしゃいませ」
「あ、どうも」
どうやらこの宿屋に泊まっているのは、宿屋の主人の娘であるようだった。
「え、妊婦さんですか?」
「あ、はい」
聞けば、彼女はもともと王都に住んでいたのだが、タイミング悪く、子供が生まれそうな時に夫が辺境警備で別の土地に派遣されてしまったらしい。身重の時に彼女一人では困るので、実家である宿場町の宿屋に滞在していたのだという。彼女を支えている若い男性は、夫ではなく兄らしい。
「そうなんですか。私達のことは本当に気にしないでください。それより、お体を大事にしてくださいね」
笑顔でそう言うアイリスに、彼女はありがとうと答えた。
その夜、寝ていたライとマリラは、隣の部屋が騒がしいので目を覚ました。
「……どうしたのかしら?」
「隣って、あの妊婦の部屋か」
二人が起きた気配で、ジェスとアイリスも目を覚ます。
明かりをつけ、そっと外に出て様子を窺うと、宿屋の主人とその息子が、右往左往していた。
「そ、そんな、予定ではまだ先だって」
「と、とにかく……とにかく……どうすればいいんだ?」
「ちょっと、大丈夫ですか?」
マリラは慌てる二人を押しのけ、彼女の部屋に入る。すると、ベッドの上で痛みに耐える彼女の姿があった。マリラははっとしてシーツが濡れているのを確認する。
「マリラ? 一体……」
「すぐに医者か産婆を呼んできてください! もう生まれるわよ」
「え、えっ!」
おろおろとしていた兄だったが、マリラにびしっと指を差され、すぐさま宿を飛び出して行った。マリラは彼女の様子を窺う。
「……この様子じゃ、あまり待ってられないわね。私たちで取り上げることも考えないと」
「あわわわ。ええと、私は……」
宿屋の主人はおろおろと部屋を歩き回っている。
「ご主人は、清潔な布巾を用意して! あと湯も沸かして!」
「はいっ」
主人は急いで台所に走っていく。
「アイリスも手伝って」
「分かりました」
そうして慌ただしく準備をする二人に、ジェスは控えめに声をかける。
「あ、あの、僕達は……?」
「え? あ、じゃあ荷物から、聖母草を取ってきて、それを洗って磨り潰しておいてもらえないかしら」
「聖母草? あれを何に……」
それは、フォレスタニアの限られた地域にしかない薬草ということで、売って路銀にする予定だったのだが。
「説明は後! 早くする!」
「はいいっ!」
有無を言わせないマリラの指示に、ジェスとライは急いで部屋に飛んで行った。
「なあジェス。女って、度胸あるよな」
「うん」
「男って、いざって時に役に立たないな」
「……うん」
草を洗って磨り潰すなんて、急いでやれば数分もかからない。
その後は特に手伝えることもなく、ジェスとライは隣の部屋でやきもきしながら待っていただけだった。
産婆が到着したのと同時に、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた時には、二人は安堵でへなへなと力が抜けたのだった。
いや――一つだけやることはあった。大量の血を見て卒倒した宿屋の主人をマリラの「邪魔だから」の一言で、二人で運び出したのだった。
「マリラもあれで、人間の出産に立ち会うの初めてらしいじゃん」
「牛の赤ちゃんを取り上げたって言ってたけどね……」
いざという時、治療のできるアイリスも付いていたとはいえ、肝が据わっているというか何というか。
遅れて到着した産婆は、適切な処置をしたマリラとアイリスに礼を言った。
「随分予定より早かったし、小さい赤ん坊だね……」
「そうですか。へその緒は切って、消毒しておきましたが……」
「そうか……うん、この薬は?」
産婆は、磨り潰された聖母草に目を止めた。
「これ、聖母草じゃないのかい」
「ご存じでしたか」
「ああ……産婆の間じゃね。こっちじゃあ滅多にお目にかかれないが……貴女方の持ち物かい」
産婆は少し思案した。
「この子は多分、体も小さいし、しばらくは様子見が必要だろうよ。……そこでお願いなんだが、この聖母草、残りを持ってたら、譲ってくれないか」
マリラはライと相談した。産婆の様子からすれば、王都に行けば、希少価値のあるこの薬草が高く売れるのは間違いない。だが、ここで赤ん坊のためを思えば、あの薬が必要だと。
「……あの薬草が聖母草って呼ばれる所以は、安産のお守りだからなのよ。妊婦や生まれたばかりの小さい子供は使える薬が限られている……その中で、あの薬草は、害もなく使えるし、消毒だけでなくて、栄養も豊富だし」
「なるほどな。俺は知らなかったけど、有名な薬草なのか?」
「有名かどうかは分からないけどね。路銀が必要なのは分かるけど、ここで彼らに売っても構わないかしら」
「……。」
ライは腕を組み、しばらく計算していた。
こんな宿場町の小さな宿屋の主人から取れる金はたかだか知れている。
「逃走費用も残しておきたいとこだったけど、ここで赤ん坊を見捨てるのも目覚めが悪いわな。まあ、いいぜ、何とかなるだろ」
「ありがとう。……ところで、聞き捨てならないんだけど、逃走費用って何?」




