006:魔法学園へ
マリラは芝生の上で、魔導書を広げて読んでいた。夢中になって読んでいたマリラは、誰かが近付いてくるのを、すぐ後ろに立たれるまで――その人物の影が魔導書に落ちるまで気が付かなかった。
はっとして振り向いたマリラに、近付いてきた魔法使いの男はごめんよ、と謝った。
「驚かせるつもりじゃなかったんだ。ただ、こんなところで本を読んでいる人がいるなんて思わなかったから、誰だろうって……」
「……。」
マリラは魔導書を閉じた。学園の中には、図書室や本を読むための場所があるが、そういった場所は大体、裕福で寄付金を多く収めている連中が占拠している。だから天気のいい日は、マリラは極力、この裏庭で本を読むようにしていた。
「私はシャイール。君は?」
「……マリラ」
「よろしく」
彼は、柔らかい笑みを浮かべて手を差し出してきた。マリラは少し戸惑ったが、その手を取った。
「……あなたみたいな人もいるのね」
「え?」
「何でもないわ」
シャイールもまた、魔導書を小脇に抱えていた。恐らく彼も、本を落ち着いて読める場所を探していたのだろう。
「その本、まだ読んだことないわ」
「ああ、じゃあ私が読み終わったら教えるよ。人気の魔導書は、すぐに他の人に借りられちゃうからね」
「ありがとう」
マリラはシャイールに笑いかけた。
あの後、一行はひとまずギールの街まで向かった。シャイールは盗みの犯人として、商人のギルドに連れて行かれた。面倒くさい手続きは全てジェスとライに任せることにした。
マリラはアイリスと共に、冒険者の店で待っていた。
「……あの人が、マリラさんの友達だったなんて……」
「……。」
どうしてこんなことになったのか。縛ったシャイールを馬車に乗せて連れて行く間、マリラはシャイールから大体の事情を聞いていた。
「君が学園を辞めてからしばらく経って、学園がおかしくなってしまったんだ」
馬車の中、俯いたまま、シャイールはマリラにそう話した。うなだれた首が、馬車の揺れに合わせて力なく揺れる。
ジェスとライとアイリスは、少し離れたところでその話を聞いていた。
「……学園が……おかしく……」
学園は、マリラが以前通っていた、魔法学園のことだ。マリラは、色々とあって途中で辞めてしまっている。
「突然、オルドール学園長が亡くなって、今まで副学園長だったアルバトロが学園の実権を握るようになったんだ。それから、もうやりたい放題で……」
「アルバトロ……」
確か、金に汚い男だったはずだ。魔法使いとしての実力はそれほどではないと聞いているが、金持ちの生徒を優遇して得た寄付金で、学園内ではそれなりの地位についていたという記憶がある。まさか、学園長になっていたとは思わなかったが。
「分かったわ。金のない生徒を追い出しにかかったのね……あの男のやりそうなことだわ」
それで、貴族出身ではないシャイールは学園にいられなくなったのだろうとマリラは予想した。だが、シャイールは首を振った。
「いや、そうじゃない。急に魔法を使って、生徒や他の先生を支配するようになったんだ。ひどいものだよ。〈絶対服従〉や〈針の苦痛〉のような魔法を使って、言うことを聞かない相手を痛めつけるんだ」
「なっ……」
マリラは絶句した。
「私は大人しくしていたけど、時々、魔法の実験台にされそうになって。殺されるかと思って、逃げてきたんだ」
「……」
だが、学園を逃げてきたところで、行くあてもなかったシャイールは、やがて生活に困るようになり、どうにもならなくなって、魔法を使って盗みをはたらいてしまった。
「魔法学園をちゃんと卒業したわけでもないから、魔法使いとしての仕事もなくて……そうしたら……最初があんまり簡単にいったものだから……」
マリラは、その後何も言うことはできなかった。
冒険者の店に、ジェスとライが戻ってきた時には、日はすっかり暮れていた。
「悪いな、色々あって遅くなった」
ライはそう言って、店のマスターに食事を頼んだ。マリラとアイリスもまだ食事をしていなかったようなので、四人分を注文する。
「マリラ……大丈夫?」
「ああ、……気にしないで」
ジェスの問いに、マリラは軽く手を振って答えたが、ジェスは腕組みをして考えている様子だった。ライはそんなジェスを見て、苦笑した。
「しゃーねーな……」
「何がですか?」
ライの呟きを聞いたアイリスはそう聞いた。ライは、運ばれてきた肉に噛り付きながら、何でもないことのように言った。
「どうせ、魔法学園に行こうとか考えてるんだろ」
「ええ?」
驚いて声を上げたのはマリラだ。ジェスも、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「ライには敵わないな」
「ちょっと、どういう……」
マリラはそう言ってジェスとライを交互に見た。
「うん。あの、シャイールっていう魔法使いが言うには、魔法学園で苦しめられている人たちはたくさんいるんだろう? それだったら、僕たちで何か助けてあげられることはないかって」
「それに、マリラは学園が気になってんだろ? どうせ俺たちは根なし草の冒険者なんだから、行きたいとこに行けばいいさ」
真剣な表情で言うジェスと、肩を竦めて軽い調子で言うライに、マリラは慌てて言った。
「で、でも、学園って……。ここから結構遠いし」
「路銀なら心配いらないぜ。商人を襲った山賊……まあ、山賊じゃなかったわけだが……には、懸賞金が掛けられてた。今回の依頼の報酬と合わせて、結構な額が入ったんだ」
商人ギルドに行って、その懸賞金を受け取る手続きに少し時間がかかったため、遅くなったのだという。
「だけど……」
「うん。魔法学園のことは、僕はよく知らない。だから、学園に行くべきかどうかは、マリラが決めたらいいと思うんだ」
パーティのリーダーであるジェスは、そう言ってマリラを見た。マリラは戸惑った。
「それは……」
「マリラさんの思う通りにすればいいと思います」
それまで黙ってやり取りを聞いていたアイリスはそう言った。アイリスは、青く澄んだ真っ直ぐな目で、マリラを見ていた。
「マリラさんに元気がないのは、私は悲しいです。マリラさんが納得いくようにしてくれた方が、私は、私達は嬉しいです」
「……」
それは、マリラがアイリスに言ったことと同じだった。
マリラは、仲間達の顔を交互に見る。
本当に――本当にお人好しの集まりみたいなパーティなんだから。
翌日、長旅に向けて荷物を買い込んだ一行は、ギールの街の北門から出発した。
目指すは魔法学園――クロニカの街だ。