059:新大陸
半月の航海を終え、一行はついにドラゴニア大陸の港に降り立った。
港町バランは、ルーイェよりは小さいが、貿易の街として市場はそれなりに賑わっている。
「よし。じゃあ、冒険者相手の店に対して聖水を売るぜ。その薬草の方は王都で売る」
「はいっ」
アイリスは瓶に詰めた聖水を差し出した。半月の航海の間、アイリスが〈祝福〉の魔法でちょっとずつ作っていたものだ。
「何で薬草は王都で売るの?」
ジェスの問いに、ライは肩を竦めた。
「王都の方が、貿易の街から離れてる分、よその大陸の物は高く売れるんだ。だから王都まで運ぶ。けど、聖水はこっちの大陸にもないことはないし、第一重いぜ」
「それもそうね」
ジェスとライは、聖水を運ぶ。ただの水だと思われて買い叩かれないよう、商談の場にはアイリスも連れていくことにした。
その後ろを、マリラはやや納得いかないという様子でついていく。マリラの表情に気付いたアイリスは、そっと尋ねた。
「どうしたんですか?」
「……ううん、いえね、ライがドラゴニア出身で、この国の事情には詳しいってのは分かるわよ。だけど、何かあまりにも何でも勝手に決めているっていうか……。何にも話してくれないと思わない?」
例えば、王都の話にしたってそうだ。
ライはさも当然のように王都と言ったが、そもそもこの大陸のどこを目的地としているのだろうか? 目的とする竜の秘薬の場所はどこなのか。さらっと話に出てきた王都は目的地なのか、それとも通過点なのか。
ジェスは気にしていないようだが、マリラはどうしても自分の身に迫るタイムリミットに、気が気でない。
(……信じているんだからね)
マリラは首を振って、迷いを振り払った。
聖水を売ると、それなりの金額となった。そしてライはその金で、若い馬を二頭借りた。
「王都まで行くのに徒歩だと時間かかるからな」
「けど……借りた後、どうやって返すのよ?」
マリラの疑問に、ライは説明する。
「フォレスタニアにはなかったな。ドラゴニア国の主な街には大抵、馬を貸してくれる店があるんだ。返すのはどこでもいいんだよ。先払いで馬を借りておいて、で、返せばいくらか返金される」
そうすることで、万が一馬が逃げたり、死んだりしても馬を貸す方にはあまり損にならないようになっているという。
「へえ……」
うまい仕組みだと、ジェスとマリラは感心した。
「そうなんですか。私、馬に乗るのは初めてです」
アイリスはおそるおそるといった様子で、馬のたてがみを撫でた。気性が大人しいようで、馬は小さく鳴いてアイリスに擦り寄ってくる。
「ああ、そっか。じゃあ、アイリスは俺の後ろで、で……」
ライはそこまで言って、はっと気が付いた。
「おい、確認したいんだが」
「うん」
ジェスは頷く。
「ジェス、お前……馬って乗れるのか?」
ジェスは横に首を振った。
ライはがっくりと項垂れた。
馬を借りたはいいが、乗れないのでは意味がない。すっかり失念していた。
馬を貸す仕組みが整っていることから分かるように、ドラゴニアでは馬は大事な足であり、ほとんどの人が乗馬を習うのだが、フォレスタニアではごく一部、優れた兵士や貴族が嗜みで覚える程度だったのだ。
「……とはいえ、一匹の馬に四人も乗れないわよねえ」
「徒歩は時間がかかるから避けたいとして……ライが乗っても、結局遅い方に合わせたら意味ないよね」
「……ライさんとマリラさんだけ先に馬に乗って目的地に向かうのはどうですか? 私とジェスさんは徒歩で追いかけますから」
「こっちの大陸は魔物も強いし、やめた方がいいな。パーティで固まって移動した方が安全だ」
「……じゃあどうするの?」
ライは頭を掻いて、しばらく考えたが、はあ、とため息をつく。
「こうしてる時間も惜しいしな……こうなりゃ出発する。馬なんか乗りながら覚えるものだ、ジェス、やるぞ!」
「え、ええ?」
そんなこんなで、より大人しそうな馬にジェスが乗り、慣れない手つきで手綱を握っている。その後ろに乗るのがマリラ。そしてもう一頭の馬の手綱はライが取る。ライと同じ馬にアイリスが乗って、二頭の馬はぎこちなく出発した。
「お、おっと……」
「おう、そうして手綱を引いて、いや、もっと強く引いていいから」
「え、えーっと」
ジェスがおっかなびっくり手綱を取ってゆっくり進む横に、ライが並走して指示をする。練習しながらでもとにかく進んだ方がいいという判断だ。
「ね、ねえ……この速度、歩くのと大して変わらないんじゃ」
「う、うん、ごめんね」
「え、えっと、ジェスさん、頑張ってください」
のろのろと進む一行の横を、早駆けで馬が通り過ぎていく。
本当なら、こうしてサクサクと進む予定だったのだが、この調子では、宿場町まで何日かかるか。
(参ったな……時間がかかっちまうと、馬の食糧も余計に必要になってくるし……)
そうライが思案している時だった。
ジェスの乗っている馬の鼻に、虫が止まる。馬はむずがって、頭をぶるぶると振るった。ジェスは慌てて何とかしようと手綱を引くが、それで馬はますます混乱して、激しく揺れた。
「わ、わああっ!?」
ジェスは馬から振り下ろされ、後ろでつかまっていたマリラも一緒に、どてーんと落ちる。
「きゃあっ、大丈夫ですか!」
アイリスは慌て、ライの後ろから飛び降りて二人に駆け寄った。
「一旦休憩だな……」
ライは馬の上でため息をついた。
そのまま、その日はそこで野営となった。
馬は適当に繋ぎ、その辺の草を食べさせている。アイリスは自分達の食事の準備をしながら、項垂れているジェスとライを、ちらちら心配そうに見ていた。
「……ごめん、ライ……」
ジェスは申し訳なさそうに謝ったが、ライもまた、申し訳ないという様子で首を振った。
「いや、いいんだ、俺も最初はあんなもんだったし……」
「最初って」
「子供の時にな……馬術の先生は厳しかった」
ライは遠い目をした。いや、思い出に浸っている場合ではない。
そんな二人をよそに、マリラは繋がれている馬に近付き、その体を軽く撫でてやっていた。そして少し考えながら、馬の目をじっと見ていた。
「ようし、行くわよ!」
マリラは馬の手綱を引き、馬を走らせる。その横を、ライが心配しながら早駆けする。
「お、おい、本当に大丈夫か?」
「うん、大丈夫そうね!」
次の日の朝、おもむろに馬に跨ってみたマリラは、そのままあっさりと馬に乗れるようになった。最初はその辺をくるっと回ってみせ、すぐに要領を掴んだ。
ライの後ろにはアイリスが、そしてマリラの後ろにはジェスがそれぞれつかまっている。
「え、マリラって馬乗れたの?」
「ううん? 昔、村で家畜の世話をしてたから、何となくいけるかなって」
ライはそれを聞いて納得した。
動物は人間の感情を敏感に読むものだ。こちらが慣れずにいれば、その不安は確実に馬に伝わり、思うように乗れない。マリラが相手にしていたのが牛だか豚だかは知らないが、子供の時から大型の動物に接していれば、慣れるのも早いだろう。
一方で、そうしてあっさり馬に乗れるようになったマリラに、ジェスはうーん、と考えこむ。
正直、運動神経なら自分の方が上だと思っていたので、やや悔しいという思いがある。
おっとりしているが、意外とジェスは負けず嫌いだった。
(ドラゴニアにいる間に、ちょっとずつ馬術の練習をしようかなあ……)
馬の背に揺られながら、ジェスはそんなことを考えた。




