057:南の島
ルーイェの港を出て一週間し、船は小さな島についた。飲み水の補給をすると共に、荷物の積み降ろしを行う。
二つの大陸を結ぶ貿易船は、この島の連絡船の役割も果たしていた。
「ここに一日停泊するんだってね」
ジェスは剣を腰に差して伸びをした。
「ああ、そうだな」
対して、ライは船室の簡素なベッドに寝転がったまま、気のない返事をした。
「せっかくだから、外に行かない?」
「俺はパス、外は暑いし」
「ふーん……?」
ジェスは不思議そうに首を傾げたが、それ以上は追求せずに、マリラとアイリスを誘って船の外に出た。
島は確かに暑かった。季節柄、日差しはそこまででもないが、島の周りを流れる暖かい潮の流れの影響で、ここは一年中暖かいらしい。
「なんか、南に来たって感じがするわね」
「そうですね」
久々に土の上を歩けるとあって、一行はのんびり辺りを見渡しながら歩く。景色を見ながらゆっくり散歩していると、植物や海の色、流れてくる花の香りに、違う場所に来たのだと実感させられる。
「まあ、気持ちいい天気だよ……あれ?」
ジェスは近くから聞こえてくる歌声に耳を澄ました。
透き通る綺麗な声には聞き覚えがある。
きょろきょろと辺りを見渡すと、金髪の美しい吟遊詩人が砂浜で海に向かって歌っていた。
「フローライトさん!」
ジェスが声をかけると、フローライトは歌を止め、ジェス達の方を見た。
「ああ……いつだか助けていただいた冒険者の方々ですね」
旅の吟遊詩人のフローライトを見た者は、その女性と見まごう端麗な容姿を、そう忘れることはないだろう。だが、意外なことに、彼もジェス達のことを覚えていたらしい。
「あれ? 確かあれから、カステールに向かうって……」
「それなのですが……どうも、魔物が増えているらしいという噂を聞きまして。護衛の冒険者を雇おうにも、数が不足したのか、高くなってしまいましたし。一旦故郷に戻ってきたところです」
「え? 故郷?」
「はい。私はドラゴニア出身といっても、この島の出なので」
この島はすでにドラゴニア領のようだった。とはいえ、大陸からはだいぶ離れており、独自の文化を持つようだが。
「どうですか? せっかくですから一曲聴いていかれませんか」
フローライトは楽器を構えた。アイリス達は顔を見合わせる。
「まあ、特にやることもないし……」
「私は聴きたいです、けど……」
フローライトはくすくすと笑う。美しい人間というのは、ちょっとした仕草も本当に様になるものだと、マリラは妙な感心をした。
「お金は取りませんよ。私も暇で、練習をしていたところですから」
「あ、はは」
お金の心配をしていたことを見透かされたジェスは照れ笑いをしながら、砂浜に座った。
「何の歌を聴きます? 私としては、最近新しく聞いた、王子の恋の物語というのを披露したいところですが」
「王子の恋の歌?」
「ええ、何でも私は知らなかったのですが、この国の第二王子が城を出奔したのだとか。身分違いの恋に駆け落ちされたのだとか、噂になっております」
「……アイリスとマリラは、聴きたい?」
恋物語は、女性の好きなところだろうかと、ジェスは尋ねた。しかし、そのアイリスとマリラも、ややピンと来ていない。
ドラゴニアの娘ならともかく、マリラやアイリスにしてみれば、よその国の第二王子――というか、ドラゴニアの王子が何人いるのかも知らない――がどうこうしたというゴシップを聞いても、あまり面白くないというのが、正直なところだった。
「そうねえ。私達、ドラゴニアには初めて行くのよ。もしよかったら、一番ドラゴニアで有名な歌を、歌ってくれると嬉しいわ」
「そうですか、ではそれでは……」
楽器の弦に細い指を乗せ、フローライトは息を吸った。
赤き血が大地を染める。
愛する者を傷つけられた戦士の叫びが空を裂く。
空を覆うは魔物の大群、地を進むは魔の王国軍。
しかし勇ある者は立ち上がる。
真なる希望は竜に選ばれ、戦士を率いて進む。
勇者は荒れた大地に国を建て、聖剣の輝きのもと国を統べた。
それが我らドラゴニア!
誇り高き不屈の戦士の民!
「……ふう」
フローライトは短い歌を朗々と歌い上げた。
ジェス達はぱちぱちと拍手をする。
「えーと、この歌って?」
ジェスが尋ねる。マリラは軽く説明をした。
「ほら、フォレスタニア大陸には、古代魔法王国があったでしょ。古代魔法王国が虐げていた民は、ドラゴニアで蜂起し、開放を巡って激しい戦いが行われたの」
「はい。そして戦いに勝利し、ドラゴニア王国の祖を作ったのが初代のドラゴニア王というわけです。やがて初代の王は周辺の小さな民族をまとめて建国、そしてついに古代魔法王国を追い詰め、友である竜と共に、カステールにて戦死した――との言い伝えがあります」
続きをフローライトが説明する。吟遊詩人として、様々な伝承を歌うだけに、歴史には詳しいようだ。
その戦いの激しさゆえに、緑の多いフォレスタニアでも唯一、カステールの遺跡周辺が今でも砂漠となっているのだという。
「なるほどね、ドラゴニアっていうのは戦士の国なんだっけ」
「まあ、昔の話ですが……それでも、フォレスタニアに比べると、王家の力はかなり強いでしょうね」
それからジェス達はフローライトと、しばらく雑談をしていた。フローライトの言う魔物が増えたという現象も、おそらくはアルテミジア修道院の一件と関係があるので、もうそろそろ収まっているころだろうと伝えた。
「そうですか! では、私は次のフォレスタニア大陸生きの船に乗せてもらうとしましょう。皆さんも、よい旅を」
フローライトはそう言って、笑顔でジェス達を見送る。
よい旅を――そう言われ、ジェス達はやや曖昧な笑顔で答えた。
これからの旅は、決して気楽なものではないのだから。
「……さて、と……。日も傾いてきたし、そろそろ戻ろうか」
潮の匂いのする風に背を押され、一行は船へと戻る。
三人の陰が、白い砂浜に長く伸びていた。




