056:船出
一行は、港町ルーイェにいた。よく依頼で訪れる街でもあったが、今日ここに来たのは、ここから船に乗るためだ。
隣の大陸、ドラゴニアに渡り、マリラにかけられた呪いを解く唯一の希望、竜の秘薬を手に入れる。
マリラの体の痣は、日に日に広がっている。いつまで呪いに耐えられるか分からない以上、一行は急いで目的地に向かっていた。
フォレスタニアとドラゴニアの間には、貿易のための商船が出ている。ジェスとライは、船に乗せてもらえるよう、商人ギルドに交渉に行った。
こうした商船に冒険者が乗ることは珍しくない。冒険者は移動手段を得ることができ、商人としても護衛をつけることができる。
それでもタダというわけにはいかず、ライは交渉の末、いくばくかの金額を払った。
修道院の魔物退治で、それなりの報酬も得ていたので何とかなったが、予想以上の出費となった。
「ふう……四人分の船賃はきっついな」
もちろん、ドラゴニアに着いた先でも金は必要だ。ライはあれこれ思案する。
「出港はもうすぐだよ。準備があるなら急ぎな」
商人ギルドの受付に言われ、ジェスとライは頷く。
そこに、マリラとアイリスが戻ってきた。
「あ、買い出しは終わったか?」
「まあね」
マリラは頷き、荷物の詰まった麻袋を見せた。
「わあ、すごく高いんですね」
「思ったより揺れないのね」
初めて大きな船に乗ったマリラとアイリスの二人は、やや興奮している。船の甲板から、外を眺める。
「僕も船に乗るのは久しぶりだね。子供の時、両親と旅をしてた時に乗ったきりかな」
ライは、何も言わず、離れていくフォレスタニア大陸を見ていた。
「……で、ライ?」
「お、ああ、悪い、何だ?」
「もう……フォレスタニアの特産品を買っておいてって言ったのはライじゃないのよ」
そうして一行は、甲板から、一行に割り当てられた船室に向かった。
「で、何買ったんだ?」
「ドラゴニアで何が高く売れるか分からなかったけど、一応希少価値の高そうなものを探して集めたわ」
そうしてマリラは買った荷物を一同に見せた。
ライは予め、ドラゴニアでの旅費が必要になることを見越して、マリラとアイリスに、ドラゴニア大陸で高く売れそうなものを市場で見繕ってきてもらっていた。
マリラが見せたのは、乾かした草だった。
「薬草ね。フォレスタニアでも限られた地方でしか生えてないから、それなりに希少価値はあるけど、まあ、知名度がなさ過ぎて売れるかどうか不安があるわ」
「いい香りだね。何の植物?」
ジェスは爽やかな香りのする草を鼻に近付けた。
「聖母草よ。血止めによし、消毒によし、ね」
「ふーん、他は?」
「あとは、アイリスのアイデアでこれ」
そして出してきたのは、数本の空の瓶だ。
「瓶? そんな高く売れるとは思えないけど……」
「違うわよ、ほら」
マリラは杖を取り出し、杖に向けて呪文を唱えた。すると瞬時に瓶が真水で満たされる。アイリスはその瓶を手に取った。
「このお水に私が力を込めます、聖水ですね」
「……なるほど」
フォレスタニアより、ドラゴニアの方が魔物が多く、傷薬などの需要は高い。しかもこれなら、元手はほぼタダだ。
「アイリスの精神力の関係もあるから、普段からできる方法じゃないけどね。船の旅の間、ゆっくりと作ってもらうわけ」
「悪いな、助かるぜ……」
「でも、何でそんなにお金が必要なんですか?」
アイリスの問いに、ライはああ、と頷く。
「向こうの港に着いたら、真っ先に王都を目指す。そこまで徒歩だと結構かかるんだ。だから馬を借りようと思ってな」
加えて、その間の宿代も必要だ。
「それにしてもマリラ、いつ水の魔法を覚えたの?」
「ああ、うん、修道院に行くより前にね。炎や風の呪文ほど威力がないから、戦闘で使う機会がなかっただけよ」
「ふーん」
本当のことを言えば、マリラでは魔法学園の火事の一件以来、水を操る魔法を覚えようとは思ってはいたのだ。
ただ、どうも自分と水の魔法は相性が良くないのか、なかなか会得することができなかったのだった。
「いや、飲み水の心配がいらなくなるのは大きいなって」
ジェスは嬉しそうに言った。マリラは首を振った。
「そこまで期待しないでちょうだいよ? あんまり得意じゃないから」
その日の夜、マリラは眠れずに甲板にいた。
どこででも眠れるジェスは、船の揺れや波の音など気にならないようで、夜になるとぐっすりと眠っていた。
〈祝福〉の魔法を使って聖水を作っていたアイリスも、疲れたのか早めに休んでいる。
「……。」
月や星の明かりがあるので、まったく何も見えないというわけではないが、周りに明かりもなく、真っ暗だった。
昼間見た時はあれほど青かった海は、光のない夜には真っ黒なうねりにしか見えず、底の見えない恐ろしさがある。
その時、急に肩に手が置かれ、マリラはびくっと跳ねあがって驚いた。
「っ!」
「お、おお、悪い……そんな驚くとは」
振り返ると、そこにいたのはライだった。マリラは恨みがましい目でライを見る。
「な、何よ、声くらいかけなさいよ」
「いや……」
声かけただろ、という言葉をライは飲み込んだ。マリラはそれだけ、物思いに沈んでいたのだろうから。
ライはそのまま、マリラの横に並んで、何をするでもなく波を見る。飛沫が月明かりに照らされ、銀に光って消えるのを、ずっと眺めていた。
ライは、もともと揺れやら波で船がきしむ音やらで、あまり眠れていなかった。マリラが起き出したのには気付いていたが、しばらく戻ってこなかったので、自分も船室を出たのだ。
不意に、マリラが口を開いた。
「……ねえ、ライ」
「何だよ」
「……もし、もしよ。私が魔物になったら、……アイリスや、ジェスやライを襲ったら……その時は」
「……。」
波の音だけが、二人の間に流れる。
ライは無言だった。
「……酷いこと言ってるって分かってる。けどね、私……」
マリラは、自分の左腕を包帯の上から擦る。そこに浮かぶ痣は、日に日に広がっていた。何度も同じ呪文を繰り返し、螺旋のように腕に巻き付く。
この呪文がマリラの全身を覆う時、恐らく呪いは完成するのだという予感があった。
ライははあ、とため息をついた。
「……嫌な役目だな」
「ううん、何でもない、いいわ、忘れて」
マリラは首を振る。そして、船室に戻ろうとした。
だが、その腕をライが掴む。
「……いいぜ、約束してやる」
「え?」
「お前が魔物になったら、俺の手で退治してやる」
「ライ……」
「その代わり」
ライの緑の瞳が、マリラの瞳を真正面から見た。その視線の強さに、マリラは目を逸らせない。
「勝手に一人で逃げるなよ」
「……何よ」
マリラは少しだけふくれ、ライを振り払って、船室の方へと下りていく。
ライはそれを見送って、大きく息をついて天を仰いだ。
「……意地っ張りめ」




