055:決意
マリラは、古文書の解読を終えて、ため息をついた。修道院の歴代院長が保存していた、あの魔物について書かれていた古文書の残りを、解読していたのだったが――。
(駄目ね、何も分からない)
分かったことは、あの屍竜のことだ。あの魔物は、元は竜だったらしい。
古代魔法王国が、死んだ竜の体に術をかけ、魔物として生まれ変わらせたのがあの魔物であると書かれていた。その身は長い封印の間に少しずつ腐り落ち、力は削がれていたようだが、竜を元にしていたならば、強力だったはずである。
その術というのが、魔物化の呪い――今マリラの身にかかっている呪いだ。
「ぐっ……」
急な息苦しさに襲われ、マリラは胸を押さえた。
マリラは自分の左腕を見る。今は痣に包帯を巻いて隠している。
あの後、気がついたマリラは自分の左腕を見て、その黒い痣によって描かれた呪文の意味をはっきり理解した。
『彼の者は歪みにより血を求める魔物にならん』
このまま放っておけば――呪いによって、マリラは魔物になってしまうだろう。
「どうにかできないのでしょうか?」
アイリスはすがる思いでマルソ院長に尋ねた。
「……私の力をもってしても、これほど強力な呪いに太刀打ちすることは……」
あの後、マルソ院長はマリラに対して〈解呪〉の呪文をかけたが、失敗に終わっていた。
古代魔法王国の呪いはそれほど強力だったのだ。宿主が死んでなお、呪いが次の獲物を探すほどにだ。
「……。」
ジェスは、何も言えなかった。隣を見ると、ライが思い詰めた表情で何かを考えていた。
(自分のせいだって、思っているのか……)
マリラを守りきれなかったのは、パーティ全員の責任だ。そう伝えようと、ジェスはライの肩を叩いたが、ライはそれにも気付かない様子だった。
マリラはその後、少しでも手がかりはないかと、古文書の残りを解読したり、封印の間に何か残されていないかと探したりしていたが、魔物化の呪いを解く方法は見つからなかった。
(ま、当然かしらね……)
そんな方法があれば、あの竜の屍を魔物から元に戻しているはずだろう。
「……。」
マリラは部屋のベッドに倒れ込んだ。一人になり、ため息をつく。同室のエデルは既に修道院を発っていた。
「すまないが、剣しか持たない私で、力になれることはないだろう……」
エデルはそう言い、また別の魔物退治の依頼に向かった。
彼女は恐ろしく強く、勇ましい。だが、狂戦士にも似た危うさを感じた。
自分がこんな状況でなければ、もう少し話したかったのだが。
そんなことを考えていた時、部屋のドアがノックされた。
「マリラ? 入っていい?」
ジェスの声に、マリラは急いで起きる。目尻の涙を拭い、できるだけ普段通りの声で答える。
「いいわよ、入って」
ジェスの後ろには、ライとアイリスがいた。
「皆そろって、どうしたの?」
「話があって、集まってもらった」
ライが真剣な顔でそう切り出した。
「改まって何よ?」
「その呪いを解けるかもしれない方法だ。……それに賭けるかどうか、皆に聞きたい」
「えっ?」
突然のライの言葉に、全員が驚いた。
「可能性があるなら、勿論やるよ!」
方法も聞かず、ジェスはそう答える。現状、打つ手はないのだ。
「判断は話を聞いてからにしろよ……いや、まあ、そうだな」
ライは何かを吹っ切ったように告げた。
「竜の秘薬を知ってるか」
「え?」
「竜の骨から作る薬だ。竜の血があらゆる傷を癒すと伝えられるように、骨にはあらゆる呪いを解くという伝承がある」
マリラは目を瞬かせた。確かにそれなら、もしかするとこの呪いも解けるかもしれないが。
「聞いたことはあるけど……そんな伝説みたいな物、どこにあるのよ。まさか、竜を探して倒すとか言うんじゃ」
「いや。秘薬は隣の大陸、ドラゴニアにある」
言いきったライは、仲間を見渡した。
「港町ルーイェからは船で半月だ。かなり遠いし、危険な旅だが――」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何でそんなこと知ってるのよ?」
マリラの問いに、ライは頭をかいた。
「それはまだ言えない。俺がドラゴニア出身とだけいっとく」
「はあ?」
ジェスは、ライの目を見た。
「……。秘薬の話は、確かなんだね」
ライは頷く。
「そうと決まれば、行こう。マリラの体がいつまで、呪いに耐えられるか分からない以上、急ぐよ」
ジェスは立ち上がる。ライもああ、と答えた。既に旅の準備は済んでいるらしい。
呆けたマリラの手を、アイリスが取った。
「行きましょう、マリラさん」
「あ、アイリス……」
アイリスは首を振って、当たり前だというように微笑んだ。
「私たちは、仲間ですから」
アイリスは、マルソ院長の部屋に呼ばれていた。
ミザリーも居り、項垂れている。
「ミザリーが全て話しました」
地下室の存在を知っていたこと、アイリスの聞いた神託はミザリーが演じたものであったこと、故意ではなかったとはいえ封印を解いたのも自分であること、それらを全てミザリーは懺悔した。
あの地下室で見つかった冒険者に全てを暴露されるなら、と思ったのだ。
実のところ、ライはああ言ったが、ミザリーを糾弾するつもりはなかった。聖女なんていう無用な重荷からアイリスを解放したいとは思ってはいたが、ミザリーをどうするかは自分の責任ではないと考えていたし、正直それどころではなかった。
ただ、ミザリーもそれだけで懺悔した訳ではない。
あの後、屍竜が復活してから、ミザリーは無我夢中で、真っ暗な通路を逆戻りし、礼拝堂から逃げていた。
そして倉庫の中に隠れて震えながら、恐ろしい化け物の咆哮を聞き、自分のしたことを後悔していたのだ。
全ての話を聞いたアイリスだったが、驚きはなかった。
神託は本物ではないということには、薄々気付いていた。
「アイリス――詫びて足りるかは分からないのですが――許してほしい」
マルソ院長は、そう言って頭を下げた。
「ろくに確かめもせず、貴女を危険な旅に出してしまったこと……私は気付いたのです。貴女は強くなった……あの恐ろしい魔物の前でも恐れず戦うほどに。それはつまり、それだけ貴女が戦ってきたということだ……」
マルソ院長もまた、修道院の生活が長かった。つまりそれは、世間から離れているということだ。
知識でしか知らない故に、外の世界の危険さを軽視していた。
アイリスは、自分に深く頭を下げ、詫びる院長に慌てた。
「そ、そんな、謝らないで下さい」
「しかし……まるで貴女をここから追い出してしまった」
「いえ、違うんです」
アイリスはそう言って跪き、院長と、そしてミザリーの顔を下から見つめた。
「確かに私の聞いた声は、龍の声ではありませんでした。でも――旅に出て、私はたくさんの物を見て、知って……辛いこともあったけど、それでも一緒にいられる仲間に出会えたんです」
アイリスは微笑む。
「これが、龍のお導きなのかどうかは、分かりません。でも、私、旅に出て良かったと思うんです」
「……アイリス」
その青い瞳には、静かな決意が宿っていた。
「――私は、仲間を助けたいんです。未熟者ではありますが、また、旅立つことを、お許し頂けますか」
「……ああ」
マルソ院長は、深く頷いた。
彼女は――まさに良い仲間を得たのだろう。
「広い世界を見てくるがいい……ですが、ここは貴女の家です。いつでも、帰ってきて下さい」
「……はい!」
アイリスは笑顔で、そして礼をして出て行った。もう旅立つ準備は終えていた。仲間のもとに走っていく。
結局、ミザリーは顔を上げることも、一言も発することもなかった。
アイリスがあまりに眩しかったからだ。あれは、本当に聖女なのかもしれない。
「……魔法が使えることが、龍に愛されているということではありませんよ、ミザリー」
「……。」
「我々は龍に愛される者ではない……龍と、龍の創りし世界を愛する者なのです。もっとも……」
それを思い出したのは、あの純粋な少女の、全てを包むような笑顔を見たからだ。
マルソ院長は、彼らを見送るために部屋を出ていき、ミザリーは一人そこに残された。
窓から、アイリスが仲間と共に修道院を出て行くのが見えた。
「……。」
どうか彼らの旅に、龍の加護があるように。
ミザリーは、旅立つ冒険者達を見ながら、静かに祈った。
次回から、新大陸編となります。