054:呪い
血吸い蝙蝠――一匹一匹は強くはないが、群れで人を襲い、その血を啜る魔物だ。暗闇を好み、洞窟や遺跡の中に潜むことが多い。
その魔物を、あの屍竜は、大量に呼び出した――いや、作り出したのだ。自らの力を放って歪みを作り、そこから小さな魔物が生まれた。
「くっ!」
力は強くないが、動きは素早い血吸い蝙蝠は、あの屍竜の援護には適しているかもしれない。
「何をするかと思えば、雑魚か!」
礼拝堂を埋め尽くすほどの小型の魔物に臆することなく、エデルは再び突っ込んでいく。自分の進路を妨害する血吸い蝙蝠は、双剣で次々に振り払い、再び屍竜へ斬りかかっていく。
なおも血吸い蝙蝠はエデルにまとわりついていくが、攻防一体の剣技こそ、エデルの双剣の真骨頂である。片方の剣が屍竜の体を裂くと同時に、片方の剣は血吸い蝙蝠を叩き落とす。
一方、ライとジェス、そして後ろで魔法による援護をしているアイリスとマリラは、血吸い蝙蝠の群れに襲われたことで思うように動けないでいた。
咄嗟にアイリスが〈護り〉の呪文を唱え、全身を噛みつかれることはどうにか防いだ。しかし、このまま〈護り〉の呪文を唱え続けているわけにはいかない。
「剣に力を……」
連続する魔法の使用で、アイリスの精神力も消耗していた。それでも、剣に祝福を与えなければ、前線で戦っている三人の動きが無駄になってしまう。彼らも消耗しているはずなのだ。
エデルの剣の輝きが薄れてきたのにマリラも気付く。
「くっ……アイリス、〈祝福〉の方に集中して!」
「はいっ!」
マリラは〈火球〉の呪文で、自分達にまとわりつく血吸い蝙蝠を叩き潰していく。
「シャアアッ!!」
風の流れを操る動きに乱れが生じたのを察知し、屍竜はすぐさま毒の息を吐き出す。マリラは詠唱を中止して、再び風を操ることに集中するしかなかった。
「く……!」
その隙をついて、血吸い蝙蝠が彼女たちに襲い掛かってきた。
「はあ!」
ジェスとライは、アイリスとマリラの前に立ち、血吸い蝙蝠を叩き落とす。次々に襲い掛かる血吸い蝙蝠から、マリラとアイリスを守る。
アイリスの〈祝福〉と、マリラの〈疾風〉による毒の無効化。このどちらが欠けても、屍竜とは戦えない。
しかしその分、攻撃できているのはエデル一人だった。
(確実に、奴にダメージは与えているはず……けどこのままじゃ、こっちが先に限界が来る!)
マリラも、気力を振絞って杖を両手で構えた。だが、精神力の消耗はかなり激しい。
「……っ」
ライは魔法を唱えるマリラとアイリスの二人をちら、と振り返る。あまり余裕はない。
「ジェス! お前はあのデカい奴の攻撃に集中しろ! アイリスも俺の武器に〈祝福〉はかけるな!」
「は……はいっ!」
アイリスは、〈祝福〉の対象を、ジェスとエデルに絞る。これで多少は負担が減るはずだ。
「ライはっ?」
「俺はここで二人の盾になる。攻撃力のあるお前が早く!」
「……!」
ジェスは一瞬ためらったが、頷いて駆けだした。
(ライの短剣の方が小回りが利いて、次々襲い掛かる小物の魔物を相手にするなら向いているはずだ!)
後ろを振り返らず、一心に屍竜のもとへ向かう。襲い掛かる血吸い蝙蝠は、剣の鞘で防いだ。
エデルの二刀流とまではいかないが、自分の身を守るくらいならどうにかなる。
屍竜の濁った目を、思いきり突いた。
ライもまた、右手に構えた短剣と、そして左手の手刀で、血吸い蝙蝠を叩き落とす。
右手の短剣だけでは、攻撃の手が足りないのだ。魔物の体を素手で殴り続けたため、左手からは血が滴っている。
「ちっ……!」
結局はジリ貧になっていく。早くあの屍竜を倒さなければ――。
今この戦いで、一番傷を負っているのはライだった。屍竜の攻撃は一撃必殺のため、皆慎重に避けて戦っていたが、大量の血吸い蝙蝠を相手にしたライは、ところどころに傷を負っていた。
しかも、ライはその攻撃を避けずに受けているのだ。ライが攻撃を避ければ、魔法に集中しているマリラやアイリスがそのまま攻撃を受けることになる。
「ライ……!」
「くっ……」
ライが体中の痛みに耐えながらも戦っていると、不意に暖かい光がライを包んだ。
「……頑張ってくだされ!」
マルソ院長が、僅かながらに回復した精神力で、ライに癒しの呪文をかけたのだ。ライは気力を振り絞り、短剣で血吸い蝙蝠を裂いた。
前線で屍竜と戦うジェス。
その戦いを魔法で援護するアイリスとマリラ。
勝利の鍵となる援護を守ることに徹するライ。
互いを信じて苦しい戦いに耐え続け、永遠かと思われた戦闘は、ついに終わりを迎えた。
「はああっ!」
「やあっ!」
ジェスは大きく飛び上がり、剣を全力で降り下ろす。エデルは鋭く、横に剣を一閃した。
正面から十字に斬られ、ついに屍竜は、断末魔の叫びを上げて倒れる。
その最期の叫びの衝撃波は凄まじく、マリラの風さえも跳ね返し、残っていた血吸い蝙蝠も、全てその勢いで羽がちぎれ、床に落ちた。
近くにいたジェスとエデルは堪えきれずに吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「くっ……」
最後まで強大な魔物だった。ドオン、と音を立てて巨体は倒れる。それと共に、屍竜の体は塵となって少しずつ崩れ出した。
「やった……」
疲れが一気に押し寄せ、ジェスとエデルは壁にもたれたまま座り込む。ライも、肩で荒い息をしている。
「あっ……」
アイリスはよろめいたが、その体を、マルソ院長が支えた。
「よく……頑張りましたね」
もう立つほどの力も残っていないアイリスは、小さく頷き、そのまま院長に体をもたせかけた。
マリラはライに近付き、傷のひどい左手の様子を確かめた。
「大丈夫? ライ」
「ん、ああ……」
院長かアイリスが回復したら、治してもらった方がいいだろうが、ひとまず手当てしようと、その手を取った。
その時だった。
倒れ、消えかけている屍竜の体が一瞬、沸騰でもするようにぶくりと泡立った。そして、その体から黒い矢のようなものが飛び出す。
はっとしたが、ジェスもエデルも動くことはできなかった。
「危ない!」
咄嗟に叫ぶ。
その矢は、獲物を探すかのようにジクザグに飛んでいき――マリラはそれが自分に迫るのを見た。
ライはまだ手にしていた短剣で、それを弾き返そうとした。
「ぐっ!」
だが、傷が痛み、体がついてこない。そのライの目の前で、マリラの胸に矢が刺さった。
「マリラっ!」
黒い矢に勢いよく胸を貫かれ、マリラは倒れる。
「いけないっ!」
アイリスは急いで、傷を癒そうとした。
だが――矢が刺さったはずなのに、マリラの胸からは血が一滴も出ていない。
いや、それどころか、ローブも破れてはいない。
「え……?」
「おい、これ!」
気絶したマリラの左腕を、ライが指差す。そこには、黒い痣が浮き出してきていた。
痣は生き物のように蠢きながらみるみる広がり――古代語の文字の形を取った。
「な……!」
不気味な黒い痣。
それが何を意味するのか、まだ、誰も分からなかった。
ただ一つ、ライははっきりと理解した。
俺は、マリラを助けられなかった――。




