052:聖龍像
「はあ!」
エデルが先陣を切り、次々に魔物を倒していく。その後ろに、ジェスとアイリスが続いて、逃げ遅れた修道女たちに外に出るよう促した。
「こっちが、魔物の気配が濃い!」
「……っ」
魔物を追って走り続け、向かった先は――礼拝堂だった。
ジェスとエデルは、バン、と扉を勢いよく開く。
「マルソ院長!」
アイリスが悲鳴交じりの声をあげる。礼拝堂の中心で、五匹もの魔物に囲まれている院長がいた。
しかし院長は目を閉じたまま、呪文を唱え――掌を突き出す。眩い光が放たれ、魔物をなぎ倒し消滅させる。
「すごい……」
ジェスは驚きの声をあげる。アイリスも院長が攻撃呪文を使うところは初めて見た。神聖魔法の攻撃呪文――〈聖なる光〉の呪文だ。
「君たち……」
「事情は大体聞いています、早く院長も外へ」
「いや、そういうわけにはいきません。――この修道院の本来の役目を忘れてしまった責任は、我々、歴代の院長にあるはずです」
「……っ!」
その時、エデルがはっと何かに気付いたように、辺りを見渡した。
「今、何か聞こえなかったか?」
「え?」
魔物の声かと、そこの場にいた全員が耳を澄ます。確かに、何か声が聞こえる。しかしそれは、魔物の声ではなかった。
(……の上、礼拝堂か?)
(……ない、……うど礼拝堂の、聖龍像の……)
くぐもって聞こえにくいが、普通の人間の声――に聞こえた。
「あれ? これ、ライの声かな」
ジェスは首を傾げ、どこから聞こえるのかと辺りを見渡した。さっきライは地下にできた穴に入っていたはずだ。声を頼りに聖龍像に近付くと、声はその床の下から聞こえた。
(これを動かせば、封印は……)
(……元に戻してみましょう。ライ、手伝って)
マリラの声もする。
ジェスは首を傾げながら、ぺちぺち、と聖龍像を触ってみた。聖龍像をそんな風に触るなど、修道院の人間ではまずありえない。丁寧に掃除することはあっても、叩くことなどもってのほかだ。
「――ん?」
その時、ジェスは冷たいはずの銀の像から、振動のようなものを感じ取った。
その時、アイリスは別の意味で衝撃を受けていた。
「……え?」
このくぐもった声は――かつて自分が聞いた神託の声と同じような感じがした。地面の下から響いてくるような、声。
だが、この声は聞きなれた仲間のものだとも分かる。
この修道院の下には、魔物を封印するための隠された空間があることはもはや間違いない。
つまり――あの声は……?
だが、アイリスがその答えに到達する前に、ジェスは叫んだ。
「皆! 離れて!」
ジェスは聖龍像から咄嗟に飛びのき、後ろにいるアイリス、エデル、マルソに叫んだ。
そう言ったのは、第六感のようなものだとしか言えない。だが、その場にいた全員が、背中が総毛立つような悪寒を感じた。
聖龍像が、ぐらぐらと揺れている。いや、それどころか、金属の像であるはずのそれが、まるで意思をもったかのように動き出し――次の瞬間には、弾け飛んだ。
「きゃああっ!」
衝撃が発生し、礼拝堂の窓を全て割った。
あまりの熱波と風圧に、前を見ることができない。だが―――
この世のものとは思えないようなおぞましい声が、礼拝堂に響き渡った。
目を開けた時、彼らの前にいたのは、腐った肉に覆われた、気持ちの悪い、竜の形をした化け物だった。
「な……」
恐怖に、アイリスは身が竦んだ。魔物からは気持ちの悪い臭いが漂ってきて、思わず吐き気がする。目は落ち窪んでいるが、ぼんやりと赤く光っていた。
グウ……と魔物が唸る。魔物はその巨体に生えた、骨だけとなった蝙蝠に似た翼を、まるで確認でもするかのように二度、羽ばたかせるように上下に動かす。
骨だけの翼を動かしても、風は起こらない。やがて腐った竜のような魔物は、自分達の前にいる四人の人間を、濁った眼で捉え――緩慢な動きで近付いてきた。動くたび、汚い汁がその体から滴り落ちる。
「――あれが……魔物の親玉というわけか……」
エデルの呟きに、アイリスは我に返った。
「まさか……聖龍像の中に、あんな魔物が封印されていたなんて……」
アイリスの呟きに、マルソ院長は魔物を見つめたまま答えた。
「聖龍像だからかもしれない……」
信仰の対象としておけば、ぞんざいに扱われることはない。
現に、修道院の人間は、その正体を知らなくてもあの像を壊したりするようなことはなかったのだから。
エデルは双剣を構え――燃えるような瞳で魔物を睨むと――その巨体に恐れることなく突進していった。
シャアアアア――――!
魔物は口を大きく開け、紫色の霧を吐き出した。エデルは咄嗟に振り払おうとするが、その霧を吸い込んでしまい、体が痺れてその場に倒れ込む。
「いけない! 毒だ」
エデルを助けたいが、なおも魔物が毒を吐き続けるため、近寄ることができない。ジェスは覚悟を決め、息を止めて突っ込もうとした瞬間、突風が吹いた。
「今よ、ジェス!」
「マリラ!」
聖龍像のあった場所にある大穴から、顔を出したマリラが杖を掲げ、風を操って毒霧を吹き飛ばしていた。おそらく魔物の封印が解けた時の爆発の衝撃で空いたのだろう。
ジェスは急いでエデルを抱えて後ろに下がる。アイリスが駆け寄って〈浄化〉の呪文を唱えた。
「おい、マリラ、早く上にあがれ……」
「分かってるわよ」
マリラは自分を肩車しているライに返事をすると、礼拝堂の床に手をついてよじ登り、地下室から上がる。ライもマリラの手を借りながら、地下室から上って礼拝堂まで上がった。
「ちっ……遅かったか」
「……ライ、マリラ、封印は!」
「封印に使われていた道具は粉々よ……。もう一度同じ術式で封印するのは無理だわ……」
マリラは、唇を噛んだ。
「ならば……倒すしかないだろう」
毒から回復したエデルが、体を起こしながら言った。
「エデルさん!」
「……すまない、不覚を取った……だが」
エデルは、強く、竜の形に似た、醜い魔物を睨みつけた。その迫力に、思わず一同はたじろぐ。
「あれを野放しにすることはできない」
「……。」
ジェスは剣を強く握った。他の仲間たちも、覚悟を決めてそれぞれの武器を構え直す。
「行くよ――」
動けなくなったエデルを食うはずだった魔物は、再び唸ると、再び毒の息を吹きだした。
「毒は任せて!」
マリラは魔法で風を起こし、毒の霧を外に追い出すように気流を発生させる。仲間にそれを吸わせないよう、精神を集中して精密に空気の流れをコントロールする。
ジェス、ライ、エデルはそれぞれ剣を振り上げ、三方から魔物に近付いて切りつけた。
ぐずぐずと腐ったその身は、抵抗なくやすやすと刃を受け入れる。切りつけた瞬間、鼻が曲がるような異臭がしたが、三人は息を止めて耐えた。だが――。
切りつけた傷は、次の瞬間には塞がり、何もなかったかのように、魔物はその大きな顎を振り回す。
体ごとぶつかってきたその攻撃を、ライは素早く避け――そして一旦下がる。切りつけても効果がない敵を前に、接近戦はできない。
「くっ……どうすりゃいいんだ」
「……っ」
マリラは精神を集中して風を操りながら、残った頭で考える。
風の刃で攻撃しても同じことだろう。ならば、燃やすのはどうか?
「……燃やすわ、下がって!」
ジェスも、自分達の攻撃が効果がないことを知り、マリラの指示で下がる。エデルは、再生する前にさらに傷をつけようと、双剣で目にも止まらぬ速さで切りつけ続けており、こちらの声は聞こえていないらしい。
「何やってんだ、あの女」
ライは、一心不乱に魔物に向かっていくエデルに、思わず呟いた。あれではまるで、憎い親の仇でも相手にしたかのようだ。
さっきまで、共に魔物と戦っていた時はあんな様子ではなかったのに。
マリラは、魔物の体は大きいため、エデルとは反対側を狙えば問題ないと判断し、〈火球〉を放った。燃える炎が体を抉り、一瞬、骨が見える。だが――すぐにどろどろと腐った肉が落ちてはその傷口を塞いだ。
「駄目だわ!」
だが、ぼうっともしていられない。魔物が再び毒の息を吐き出す気配があったので、マリラは再び風を操ることに集中しなくてはいけなかった。
剣も、魔法も効かない。
「どうしたら……」
ジェスは、呆然と呟いた。




