051:日記
『今日、マルソ院長が修道院に子供を連れてきた。幼くして可哀想に。私と同室になったのは、きっと私が彼女の気持ちをよく理解できるだろうという院長のご判断なのだろう。
私も小さい時から、この修道院に預けられていた。彼女の面倒を見てあげよう。』
『アイリスは本当に素直な子。言うことはよく聞くし、毎日のお祈りも一生懸命だ。私のことも姉のように慕ってくれている。』
『驚いた。アイリスが、癒しの魔法を使った。修道院中で噂になっている。確かに彼女は幼い時からここで神へ祈りを捧げ続けていた。でも、私は?』
『倉庫を掃除していたら、隠し通路のようなものを見つけた。一体中はどうなっているのだろう。暗くて怖かったので入らなかったが、この通路を知っているのは私だけじゃないだろうか?』
『駄目だ。いくら祈っても私は魔法を使えるようにならない。実際に傷を前にすれば、癒しの魔法が使えるかもしれないと思って、指をナイフで切ってみたが、まったく治らない。』
『指の傷をアイリスに見つかった。なんでもないように、笑顔で治してくれた。この怪我は、あなたのせいなのに。』
『通路の中に入ってみた。長い通路が怖かったので、途中で引き返してしまった。あの奥には何があるんだろう。』
『気付いたことがある。あの通路の下にいれば、上の様子がほとんど伺える。面白い。エリスは、修道女でありながら、外の男性と手紙のやり取りをしているし、ジュディは何と部屋でこっそり酒を飲んでいる。みんな不真面目なものだ。』
『アイリスは修道院中で特別扱いされている。マルソ院長に特別に魔法を教わっているらしい。どうして。彼女はもう十分じゃない。』
『日記をアイリスに見つかりそうになった。これからはこの通路の中に隠すことにしよう。』
『もう誰憚ることもないから正直に書く。アイリスが憎い。どうして彼女だけ魔法が使える。私の方がずっと長く修行をしてきたのに。龍に愛されている? 聖なる龍は全ての命を愛し見守るなんて嘘だ。』
『私は知っている。アイリスはいつも時間が余れば礼拝堂で祈りを捧げている。一人で。いい子ぶっているのか。だったら、それに相応しいところまで持ち上げてやる。』
『まさか信じるなんて思わなかった。いくら何でも、神託や聖女なんて本人が言い出せば、院長もアイリスを叱ると思っていたのに。だけど、これでアイリスは外へ行く。どこかで野垂れ死ねばいいのだ。』
『最初はアイリスの無事をみんなで祈っていたのに、数か月もすれば、みんな話題にもしなくなる。私は全てここから聞いている。その程度のものだ。』
『まさか、アイリスが帰ってくるなんて。最近修道院の周りでも魔物が多いと聞くし、外の世界は魔物が多い危険な場所だと思っていたけれど。』
『アイリスも魔物退治に出たらしい。平然と帰ってきた。あの子はどこまで龍に愛されているんだ? 認めない。龍もあの子も。』
ライは、日記を静かに閉じた。
「……アンタがここを見つけたのは偶然だった。だが、この場所を自分だけの秘密のものにして、存在を誰にも話さなかった。違うか」
「……っ」
ミザリーは、目を逸らして歯を食いしばった。マリラは、ライの横で、日記の記述を、アイリスの名前が出てくるところだけ探して確認していたが、はっと口を手で押さえた。
「ちょっとそれじゃ、……それじゃアイリスの聞いた『神託』って!」
「こっちから上の声が聞こえるなら、ここの声も上に聞こえるはずだ。アンタはアイリスが一人で礼拝堂にいる時に、それっぽく言ったんだ」
――聖女アイリスよ。お前には役目がある。世界に旅立ち、導くべき者を導くのだ。
誰も周りにいない礼拝堂で、不思議に響く声を聞いたアイリスは、それを院長に相談する。そしてそれは、神託となり、大騒ぎになった――。
「知らない! そんな日記!」
「今更言い逃れは無理だ。この日記が晒されればすぐに分かることだ」
「……そんな、そんな……大騒ぎになるなんて思ってなかったの! ただ、私はアイリスが嘘つき呼ばわりされるくらいの話になればいいって思ってただけ! お願い、その日記を返して! ばれたら私……ここに居られなく……」
「アイリスをここに居られなくしたのは誰だ!」
ライの怒鳴り声に、ミザリーはびくりと震え、何も反論することはできなかった。
マリラはライから日記を受け取る。ただ、これを晒すかどうかは、慎重に考えなくてはいけない。慕っていた彼女が自分を憎んでいたと知れば、アイリスが傷付くかもしれない。
そして、アイリスの神託の件も、真偽はしっかりさせなくてはいけないが――それより今は、封印の件だ。
「ねえあなた。ここに前から出入りしていたのよね?」
マリラに声をかけられて、ミザリーはびくりと震えた。
「いい。ここは恐ろしい魔物を封印してる場所なの。その魔物の封印が弱まっている。最近、ここで何か変わったことはなかった?」
「……。」
ミザリーは、少し考えたが、首を横に振った。本当に思い至らないのだろう。ライはちっ、と舌打ちした。
「ここが封印の間だって分かってても、どうにもできねえのかよ……魔物が復活するかもしれねえのに!」
そう言ったところで、ふとライは考える。
魔物が復活するかもしれない。
だとすれば、その魔物はどこにいるのだ?
普通に考えれば、封じるべき対象は、封印の近くに存在しているはずだ。だというのにこの部屋には、封印の呪文が描かれた床と石柱以外、何もない。
(……俺のイメージでは、鎖か何かに縛られた魔物が、封印の中心に置いてあるような感じだったんだが……)
魔物の本体、つまりその体は、どこにある?
竜と戦う力を持つほどの、魔物……。
ライははっとなって上を見上げた。
「この上、礼拝堂か?」
「え、ええ、間違いない……ちょうど礼拝堂の、聖龍像の真下……」
「それだ……」
床に描かれた封印の呪文は、部屋の四隅の石柱に続き、螺旋状に石柱を上っている。
つまり、その呪文の続く先は、その上――聖龍像だ。
ライの視線を追い、はっ、とミザリーは何かに気付いた。
「私……、もしかして……その封印を動かした……?」
「えっ?」
「私、何も知らなかった! この場所がそんな場所だなんて……。だから、だから……その石の柱にもたれて休んでいたら、動いてしまったことがあるの……」
「!」
ミザリーの言葉を聞き、マリラははっとして石の柱をよく調べ直した。
確かに、長い年月、柱が立っていたと思われる床には、跡のようなものがついていた。そして、柱の一本がその跡からずれていることも分かる。
「これを動かせば、封印は元に戻るか?」
「そんな単純なものでいいか、確証はないけど……元に戻してみましょう。ライ、手伝って」
「分かった」
マリラとライは、柱を二人で抱え込んで、ずらそうとした。
だが、柱を動かすよりも前に、急にぐらぐらと部屋が揺れ始めた。立っていられなくなり、マリラはその場に膝をつく。
「くっ……!」
四本の柱全てに一斉に亀裂が入った。ひび割れたかと思った次の瞬間には粉々に砕け散る。石ころがふりかかり、マリラはとっさに顔を覆う。
だが、その頭上で、天井が蜘蛛の巣状に割れた――
「危ない!」
ライは咄嗟にマリラを突き飛ばし、共に床に倒れる。どん、と石の天井が爆発とともに吹き飛んだ。
礼拝堂の光が、地下の封印の間に降り注ぐ。
その時、ライとマリラが聞いたのは、背筋が凍るような、化物の咆哮だった。




