050:封印
「いやっ! 来ないでっ!」
「……ギギッ」
壁際まで追いつめられた修道女に、魔物は鋭い爪を振り上げて襲い掛かった。彼女の柔らかい肌が切り裂かれる寸前、透明な壁が出現し、魔物が吹き飛ばされる。
「早く逃げてください!」
アイリスが両手を突き出し、彼女に向けて〈護り〉の呪文を放っていた。
「あ、アイリス……」
「ここは僕達に任せて!」
吹き飛ばされた魔物をすかさず、ジェスが剣で倒す。その背後から、別の魔物が跳びかかるが、間一髪で床に伏せて避ける。
エデルは両の細い剣をクロスさせるように払った。彼女のあとには、四つに裂かれた魔物が転がっている。
「……くっ、数が多すぎる」
しかし、さすがのエデルも、魔物の数の多さに苦戦していた。それぞれは彼女の敵ではないが、こうも多ければ、修道女たちを守り切れない。
「とにかく、魔物を倒しながら進みましょう。修道女の皆さんには、一まとまりになって修道院の外に逃げてもらいます」
「しかし、外は安全なのか?」
「ある程度人数がまとまれば、魔物も簡単には襲ってきません。それで外で戦っている冒険者と合流すれば、ひとまず身の安全は確保できるはずです」
「そうだな……もうこの中も安全ではない」
ジェス、アイリス、エデルの三人は、とにかく魔物を探して進んでいった。それは、襲われている人々を外に逃がすためでもあったが、魔物の発生源を探すためでもあった。
それが、ライの作戦だった。
「手がかりがねえなら、ジェスとアイリスは、修道院の中で魔物と戦いながらその場所を探してくれ。理屈なら、力の歪みの元凶に近付くほど魔物が増えるはずだ。魔物を倒してれば自然とその元凶にたどり着けるかもしれない」
その言葉通り、魔物の気配を探し、ひたすらに走る。ジェスは後ろについてくるアイリスを振り返った。
「アイリス、大丈夫?」
「はいっ!」
力強い答えが返ってくる。この激しい戦いの中、真っ直ぐ前を向いている。
本当に、彼女は強くなった――。ジェスは剣を握り直し、まっすぐ駆け抜けた。
「よっと……」
一方、ライとマリラは、地面に空いた穴の中に下りていた。
輝石を出して照らすと、前にも後ろにも、長い通路が続いているのが分かる。石で覆われた壁は、明らかに人工的に作られた通路だ。
その通路の天井を、マリラが魔法で打ち抜いたのは偶然だったが、修道院の地下にこんな隠し通路があったとは。
「いかにもそれっぽいが……こりゃ、奥はどっちだろうな?」
「ちょっと待って」
マリラは杖を出した。何か魔法で探知してくれるのかと期待するライの横で、マリラは杖を地面に立て、ぱっと手を放す。
ころん、と杖が転がる。その杖の差した方向を、マリラは指さした。
「こっち」
「おい」
「分からないなら、どっちでも一緒でしょ。迷ってる時間が惜しいじゃない」
まあ、それもそうだ。第一、この通路がその力の歪みの元凶に繋がっているかも分からないのだから。
通路は暗く湿っぽく、黴っぽい匂いがした。輝石を掲げたライが先頭に、その後ろをマリラが杖を構えたまま進む。
「……。上が騒がしいな」
「ええ……」
二人は今、修道院の真下を進んでいるが、上での足音が響いてくる。今は騒がしいから分からないが、耳を澄ませば、話し声も聞こえてきそうだ。
「意外と響くのね。……ジェスとアイリスは、大丈夫かしら」
「……けど、二人は恐らく修道院の中に行きたがったはずだ。あそこで迷ってる暇はなかったろ」
「そうね……」
特にアイリスは、皆が襲われていることの不安で、顔面蒼白だった。
ライがジェスとアイリスに、修道院の中に行くように言ったのは、二人の気持ちを汲んでということもある。
「それより、俺たち二人だけで、その『元凶』とやらに近付く方が危険かもしれねえぜ」
「……仕方ないわ。ここまで魔物が出ているとなると、一刻を争うかもしれない。恐らく、封印は解けかけているのよ」
「詳しく聞かせてくれ。この修道院には何があるんだ?」
マリラは、修道院の建立当時からあったという古い本を見つけ、それを解読したことをライに話した。
「話は古代に遡るわ……。かつて、古代魔法王国は、世界の力を歪ませるほど、魔法の力を暴走させた。一部の竜は、それが世界の進化だと信じて王国に味方したけど、そう考えなかった竜は、世界の力の均衡を守るため、王国を滅ぼそうとしたわ」
ライは頷く。これくらいは聞いたことのある伝承だ。
「滅亡末期になり、王国に味方する竜が全て死んでしまった時、王国は、自分たちで竜と戦わなくてはならなかった。そのため、王国は、竜に匹敵する力の魔物を作り出した」
「魔物を作る? 魔法でか?」
「前、魔法学園でアルバトロと戦ったでしょ。あの時の触手もそうよ。もともと魔物は力の歪みから生じるもの。魔法で力を操れば、そこに魔物を生み出すこともできるわけ」
ライはため息をついた。よく分からないが、マリラが言うならそうなのだろう。
「まあ、魔法でゴーレムが作れるくらいだしな。それで?」
「これは想像だけど、その魔物は強すぎて倒すことができなかった。けど、弱らせることくらいはできたんでしょうね。その魔物を、古代の人たちは封印したの。この修道院に」
ライは驚いてマリラを振り返った。
「というより、この修道院は、封印した魔物を監視するために建てられたものみたい。長い時の間に、忘れ去られてしまったようだけどね」
「まさかそれが、復活しようとしてるって言うんじゃ」
「封印の力が弱まっている可能性は高い。その古文書にもあったのよ。もしこの近くで急激に魔物が増えたら、それはこの地に眠る悪しき魔力の影響である。忌まわしき怪物を封じ直せ、と」
古代の魔法の力は、今残る魔法のそれとは比べ物にならない。ライの背に汗が伝った。
「……そんなのが復活したらどうなるんだよ」
マリラは無言で首を振った。
それから、長い通路を、ライとマリラは進み続けた。通路は曲がりくねっており、どうやら修道院の敷地中に張り巡らされているらしい。一本道なので迷うことはない。
「……また右への曲がり角か。段々曲がる間隔が狭くなってるな」
「さっきから右へ曲がってばっかりってことは、この通路は、敷地内を渦巻き状に、張り巡らされているってことかしら?」
「だな。段々中心に近づいてる。ん、まあ、この上は――礼拝堂のあたりってとこか」
そして通路を進んでいったその先には――一枚の木の扉があった。
扉はところどころ腐っており、表面には古代語で何か描かれていたようだが、消えてしまっている。マリラは首を振った。
「分からないわ。……とにかく開けましょう」
「ああ」
ライは覚悟を決め、一気に扉を開いた。瞬間、何かが飛び出してくることも想定して、素早く短剣を構えたが――何も出てくることはなかった。
「……ふう」
警戒しながら、二人はその部屋の中に入る。部屋は正方形の形をしており、四方の壁はかたく石で固められていた。部屋の四隅には、石柱のようなものが立っている。
「ここで終わりみたいね」
「……ん? 何か落ちてる」
ライは、足元に落ちている本のようなものを見つけて拾い上げた。
「何か封印の手かがりになることが書いてあるかも!」
マリラはそう言ったが、ライは否定した。
「いや……違う。日記みたいだ。現代語で書かれてるし……新しいぜ、これ」
「えっ?」
紙も黄ばんでいないし、何よりその日付がつい最近のものだった。
「ちょ、ちょっとどういうこと? ここに最近誰かが入ってたってこと?」
「ん……ちょっと待て」
日記を読み進めるライの横で、マリラは部屋を調べ始めた。
地下の部屋だったが、輝石の力で、部屋中は明るく照らし出されている。
確かに、この部屋には、ランプや蝋燭といったものが転がっている。どれも比較的新しい。
それらを観察していると、石の床に文様が刻まれていることに気付く。これは間違いなく古代語だ。
「間違いないわ……ここが元凶よ。封印の呪文が、何重にも刻まれてる」
マリラは呪文を追った。床から始まった呪文は、石柱に続いており、柱をらせん状に上りながら呪文が刻まれている。とても強い封印のはずだ。
その柱の方もよく調べようと、マリラが柱に近付いた時だった。
さっ、と柱の陰から、急に何かが飛び出してきた。
「きゃあ!」
突然のことに、マリラは悲鳴を上げた。ライはすぐに短剣を構え、逃げ出そうとする影を追った。
だが――。
「いやっ! 止めてっ!」
柱の陰に隠れていて、逃げ出そうとしていたのは人間だった。それも、若い修道女である。
「……なっ……!」
逃げ出そうとする彼女を、ライは服を引っ掴んで捕まえた。
マリラも扉の前に立ち、彼女を逃がさないようにする。
「あなた、誰? どうしてここにいるわけ?」
マリラとライに至っては、本来完全な部外者であり、そう言う筋合いはないはずだが――彼女は観念したのか、抵抗するのを止めた。
「ご……ごめんなさい……見逃してください」
「……そういう訳にはいかねえな」
ライは日記を広げて、その修道女に迫った。
「どうも、俺たちの仲間のことにも関係しそうなものでね。……これ、アンタの日記か? 名前が書いてあるな。ミザリーって」
修道女――ミザリーは、顔を覆ってその場に座り込んだ。




