048:修道院
マリラは、アイリスに連れられて、マルソ院長の部屋に向かった。扉をノックし、声をかける。
「失礼致します」
「どなたですかな?」
「昨日、ここに来た冒険者のマリラです。お願いがあって参りました」
マルソ院長は扉を開け、マリラとアイリスを見る。
「おや、アイリスも。どうなさったのですか?」
「はい。修道院の歴史が分かるような本があれば見せていただけないでしょうか? 私は、この魔物の大量発生には何か原因があると思います。ですから、過去に、似たような事例がないか調べたいのです」
「そうですか……しかし、ここの書物は貴重な資料で、修道院の中でも限られた者しか閲覧を許していないのです。私が資料を確認し、その結果をお伝えするのではいけませんか」
部外者では難しいか。そう言われ、マリラは引き下がろうとしたが、アイリスが頭を下げる。
「私からもお願いします、院長。マリラさんは魔法の学園で学んでいて、色々な知識を持っているんです」
「ふむ……」
アイリスに言われ、院長はしばらく考えていたが、やがて頷いた。
「では、アイリスと一緒であれば良いでしょう。アイリスには元々、ここの本を読むことを許していましたね」
「はい、ありがとうございます」
アイリスと共に頭を下げ、マリラは院長の部屋に入る。本棚にはやはり、宗教関係の本が多く並んでいた。マリラは修道院の歴史と書かれている本を一冊取ると、アイリスと共に読み始める。
用事があると言って院長が部屋を出て行くと、ふう、とマリラは息をついた。何だか監視されているようで落ち着かなかったのだ。
アイリスと二人になり、マリラは気になっていたことを尋ねる。
「ねえ、アイリスは、ここに自由に出入りできたの?」
「いえ、院長がいらっしゃる時だけですが、神聖魔法の修行の一つとして、ここの本を読ませていただきました」
「へえ……」
修道院の中でも限られた者だけが読める貴重な資料を、アイリスは自由に読んでいたと聞き、やや驚いたのだ。
やはり、アイリスは、ここでは特別扱いだったらしい。
しばらくこの修道院の歴史を調べてみたが、魔物が大量に発生したというような記述は見当たらない。むしろ、この辺りは魔物の少ない平穏な場所と書かれている。
「それにしても、この修道院って古くからあるのねえ。できたのが、古代魔法王国の滅亡とほぼ同じくらいなんて……」
「建物自体は何度か直されていますけれど。でも、礼拝堂にあるあの聖龍像は、建立当時から変わらないそうです」
「ああ、あれね」
礼拝堂で見た、あの銀色の像か。翼を広げた龍の像は、かなり大きく存在感があった。
マリラは歴史書を棚に戻し、他に何か、参考になる資料がないか調べる。
「ん? 何これ」
その中で、一際古い本を見つけた。そっと引き出すと、古い紙独特の臭いがする。そっと扱わないと、ページが千切れてしまいそうだ。
「それは、私も気になって尋ねたことがあるんですけど、院長もご存じないそうです」
「え? どういうこと?」
マリラは本をテーブルに置き、丁寧に開く。そこには、古代語の文字が書かれていた。
「――すごい、古代語の本じゃない」
魔法使いとして、純粋に興味が沸く。
古代語は、今でも古代語魔法の呪文を記述する際には使われるが、こうして本を書く言語として、日常的に使用される言語だったのは遥か昔のことだ。
確かに、古代魔法王国の時代からあった修道院なら、これほど古い本があってもおかしくないかもしれない。
「何て書いてあるのかしら」
マリラははやる気持ちを抑えて、ページをめくる。
「先代の院長もご存じなかったそうで……院長も気になって、古代語の辞書を使って解読しようとしたらしいんです。でも、古代語じゃないと仰ってました」
「え?」
「ところどころ、古代語じゃない文字が出てくるんだそうです。だから読めなかったって……」
マリラは注意深く、文章を追う。確かに、奇妙な文字が出てくる。書き損じにしては多い。何だろう――と思った瞬間、はっと閃く。
「これ……鏡逆さ文字だわ」
「かがみさかさ……文字?」
マリラはええ、と興奮した様子で話す。
「古代語は、力を持つ言葉だから、それで文を書くと、魔法の力を持ってしまうことがあるわ」
「はい」
アイリスもそれは知っている。以前、古代語の呪文を服に刺繍して大変なことになった事件があった。
「だから、力ある言葉を書く時は、わざと字を反転させて、言葉ではなく模様として記述することで、魔法の力を持つことを防ぐの。それが鏡逆さ文字」
ほら、とマリラはアイリスに指で示して見せる。
「こうして逆さにして、左右反転させると、読めるでしょう?」
「……え、えっと」
もともとアイリスは古代語が読めない。だが、アイリスのそんな様子に気付かないほど、マリラは夢中になっていた。
「現代語のある今では不要な技術だから、あまり知られてはいないけれど。私も学園で少し聞いただけ。実物は初めて見るわ。でもこれ、読めるかもしれないわよ」
「ええ! じゃ、じゃあ……私、院長を呼んできた方がいいですよね」
アイリスは、院長の部屋をぱたぱたと出て行く。
慌てて部屋を出たので、出たところで、他の修道女にぶつかってしまう。
「ごめんなさい!」
「あら、アイリス」
そこにいたのは、ミザリーだった。
「あっ、ミザリーさん。その、マルソ院長はどこでしょうか?」
「え? お部屋にいらっしゃらないの?」
ミザリーは、今アイリスが出てきたばかりの院長室を見た。
「あ、はい、急いでお伝えしたいことがあって」
「そう……私は知らないけれど」
アイリスはちょこんと頭を下げ、走っていく。
「……。」
その背中を、ミザリーはじっと見ていた。
アイリスがマルソ院長を連れて、院長室に戻った時、マリラは唇を噛んでいた。
「……っ」
本の横には、マリラが本を現代語に翻訳した内容が書かれた紙がある。
「まさか、あの本が読めたとは……やはり古代語は魔法使いの方に読んで頂くべきなのですね……」
「何て書いてあったんですか?」
マリラは静かに、院長にその紙を差し出した。
「まだ、全部を解読したわけではありませんが……」
「マリラさん?」
その顔が強張っているのに、アイリスは不安になって尋ねた。院長もまた、その紙を読んでいくにつれ、顔が強張る。
マリラは、真っ直ぐに二人を見て告げる。
「……これは、早く手を打たなければ、魔物どころの騒ぎではなくなるかもしれません」




