047:月夜
アイリスは、食事が終わると、いつものように祈りを捧げた。祈りは、どこで捧げるかが大切なのではないと知っていても、ここで聖龍の像に向かって、手を合わせるのは、どこか特別な気持ちがする。
まあ、ただ――
「がはははっ! 俺なんか今日は六体も魔物を倒したぜ!」
「はっ! 俺様は七体も倒したぜ!」
酒を飲んで騒いでいる戦士たちがいる、というのは祈りの場に相応しくないように思えたが。
「……つーか、『獅子の王』も奴らも来てたのか……」
「酒を持ち込んでるんだね……」
ライとジェスは呆れてため息をついた。そりゃあ、酒を飲んで女を見ればちょっかいを出す奴らを、修道女たちとは一緒に生活させられるはずもないわけだと納得する。
「……さてと、私は疲れたし早く寝るわね? また明日、礼拝堂まで迎えに来るわ」
「おう」
明日は、ジェス達は礼拝堂の敷地内で、警備にあたる予定だった。
マリラとアイリスは、礼拝堂を出て、それぞれが泊まる部屋に向かった。ジェスとライは、礼拝堂の壁に背を預けて眠る。寝床はないが、いつも野営をしていることを思えばいくらかマシなものだ。
マリラは、案内された部屋に入る。そこにはエデルがいて、剣の手入れをしていた。エデルはマリラを見ると顔を上げた。
「……すまなかったな」
「え?」
急に謝られ、マリラは何のことか分からない。
「その、さっきは失礼した」
「……ああ」
食事は一人で部屋で取るといっていたことか。確かにあの態度は、慣れ合う気がない、というようにも取れた。だが、こうして謝ってくるということは、そうではないのだろう。
「別に気にしていないわ、私は。ちゃんと食事してたの?」
「……ああ」
「そう」
マリラはベッドに寝転がると、嬉しそうに伸びをした。
「それにしても、エデルって凄いのね。女一人で旅をするなんて」
「……。」
エデルは何も答えなかった。不味いことを聞いたかな、とマリラは黙る。色々事情があるらしい。
「……私は」
「え?」
「……私は、魔物が嫌いでな」
エデルはそう呟いた。
「冒険者として旅をしているのは、魔物を退治するためだ」
「……それは」
魔物退治をする冒険者は少なくない。だが、それは彼らにとって手っ取り早く稼ぐ方法だからだ。
だが彼女は、魔物を退治することを目的としていた。
「許せなくてな、……人が魔物に襲われるのを」
「……そう、なの」
エデルは美しい顔に、ふっと寂しそうな笑みを浮かべた。
「明日も早い。寝るとしようか」
「そうね」
マリラは部屋の明かりを消した。窓から入る月明りが、彼女の真紅の髪を照らす。
(美しい人ね)
同性のマリラから見ても、エデルはとても美しい女性だ。
その凛とした表情は、まるで整った彫刻のようだが、その一方で、もし笑顔でいればどんなに魅力的かと、笑わないのが勿体ないと思う。
アイリスは、久しぶりに修道院の自分の部屋に入った。
部屋にあった自分の荷物は綺麗に片付けられていたが、もともとそう私物が置いてあったわけでもない。ベッドがあれば十分だった。
「久しぶりね」
同室の修道女のミザリーは、アイリスにそう言って笑いかけた。
「はい。ミザリーさんはお変わりないですか?」
アイリスも笑顔で返す。
「ええ。……アイリスこそ、旅をして大変だったでしょう?」
「はい――でも」
アイリスは今までの旅を思い返す。
最初は本当につらかった。どうしていいか分からず、途方に暮れた。
だけど、ジェス、ライ、マリラ、彼ら仲間と出会ってからは、決してつらいだけの旅ではなかった。勿論、魔物と戦ったり、危ない目に遭ったりすることも多々あったが、それでも、仲の良い仲間と一緒に旅ができて、もしかすると自分はとても幸福なのでないかと思ったこともある。
「素敵な仲間と出会うことができて――色々な場所で、たくさんの物を見て――いい経験になっていると思います」
「……そう。けど、今日なんて魔物退治に出たとか……怪我はないの?」
「仲間が守ってくれたので。それに私も、少しはお役に立てていると思います」
〈護り〉の呪文が使えるようになったことは、アイリスにとって嬉しいことの一つだった。仲間の怪我を癒すのはアイリスの役目だが、できれば仲間には怪我をしてほしくないと思っていたからだ。
「……マルソ院長が話していらしたけど、本当に元気そうなのね」
「はい。龍のご加護のお陰です」
そんなアイリスにミザリーは頷くと、部屋の明かりを消した。
「もっと旅のお話を聞きたいけれど、明日は早いからもう寝ましょう。私、食事の当番なのよ」
「はい。おやすみなさい」
そしてアイリスは、旅の疲れもあって、ベッドに潜り込むとすぐに寝息を立てた。
夜更けに、ミザリーがそっとその部屋を出たことも、ぐっすり眠っていたアイリスは気付かなかった。
「……。ったく……」
ライは眠れないでいた。
原因は、大男たちが立てる豪快ないびきの音である。酒を飲んで酔っ払って騒ぎ、そのまま寝てしまったのだ。
寝つきのいいジェスは、それでも普通に眠っているが。
礼拝堂は、静かに月の光が差し込んでいる。そのため、明かりを消しても、銀の聖龍像の輪郭が見えた。
その聖龍像は、四肢を床につけて翼を広げ、今まさに飛び立とうとする姿であった。
(この世界の、生き物を創り出した、慈悲深い龍だっけか……)
その声を、神に仕える神官は聴くことができるという。
ライも一応は宗教については、教養の一つとして知っていたが、深く信仰しているわけではない。
で、アイリスは神託を聞いたとか――何とか。
確かにアイリスは、まだ幼いのに、神聖魔法を使っている。〈護り〉や〈祝福〉の呪文も、比較的高位の魔法のはずだ。それは驚くべきことといっていい。
だが、それにしたって、ライはどうしてもアイリスが、聖女様、なんて呼ばれる存在であるとは思えない。
一緒に旅をしているから、その魔法の能力は認めるが、基本的には普通の少女と変わりないと思うのだ。
(……いや、一度だけあったな、不思議な事)
以前行った砂漠の遺跡で、アイリスは頭を強く打つ大怪我をしたのを、ライは確かに見たはずだ。
だが、ライが駆け寄った時、アイリスは何ともない様子で、傷一つ負っていなかった。
ひょっとしたらあれは、アイリスが神に特別愛された存在だから起きたことなのだろうか?
「……まさかな……」
ライは首を振り、もう眠ろうと強く目を閉じた。
次の日の朝、マリラとアイリスは、礼拝堂に向かい、ジェスとライと共に朝食をとった。
エデルはまた、食事は一人で部屋ですると言っていた。あとで合流するらしい。
マリラはパンを食べながら、ジェスとライに話をした。
「今日は私達、修道院の警護ってことになってたじゃない? それだけど、私、ちょっと調べたいことがあるのよね」
「調べたいこと?」
「そう。どう考えても、この魔物の増え方って異常だと思うのよ。倒しても倒しても出てくるでしょ。何か原因があるような気がするのよ」
原因があるなら、元から絶たないと、いつまでもこの修道院は危険なままだ。
「原因か……そうだね。そういうことなら、任せるよ」
「元々、俺たちは昨日来たばかりで頭数に入ってなかったわけだしな。別にいいだろ。けど、どうやって調べるんだ?」
「……そうねえ。まずは修道院で過去に似たようなことがなかったか調べてみるところかしら? 文献とかあればいいんだけど」
「でしたら、マルソ院長のお部屋に、たくさんご本がありましたよ。修道院の歴史に関するものもあったと思います」
「じゃあ、アイリスもマリラと一緒に、調べる方に回ってあげて。その方がいいよね」
ジェスの言葉に、マリラはそうね、と頷く。
「部外者だけで調べるのは難しいしね。アイリスから院長に口添えしてもらった方がいいわ」
「はい!」
そして一行は、それぞれ行動を開始した。




