045:帰郷
「お、見えてきたな」
ライは、遠くにとんがった屋根を見つけた。
「大きい建物ねえ」
「はい、あれは礼拝堂の屋根ですね。もう少しです」
一行は、ギールの街から西に数日進んだ場所にある、アルテミジア修道院を目指していた。
この修道院はアイリスが育った場所であり、アイリスにとっては久しぶりの帰省であった。
「さて……みんな、来るよ」
「……ああ」
ジェスの言葉に、それぞれ武器を構える。それが合図のように、茂みから魔物が飛び出してきた。
ギールの街では、魔物退治の冒険者が集められていた。
アルテミジア修道院周辺に魔物が多く発生するので、その退治の依頼が出されている。
その依頼のビラを前に、一行は冒険者の店で相談をしていた。
「これってアイリスのいた所じゃない」
「はい」
アイリスは沈んだ表情で頷いた。話では、急に魔物が多く出るようになったという。
「魔物退治を中心に請け負うパーティのいくつかは行ってるらしいな。……どうするよ?」
最後の問いは、主にアイリスに向けられていた。
「……私は行ってもいいと思うわ。依頼を請ける請けないはその場で判断するのでもよくて、アイリスは顔を出すくらいの気持ちで行ってもいいかもしれないし」
マリラはそう言った。
以前、魔法学園の時、仲間たちは危険を承知で、マリラの気持ちを優先してくれた。ならば、今回も、アイリスの気持ちを優先するべきと思ったのだ。
アイリスは仲間達の顔を一人一人しっかり見て、そしてはっきりと、告げた。
「……行きたいです」
「よし、じゃあさっそく支度だね」
そして、一行は立ち上がった。
ジェスは剣を一振るいし、魔物の血を払った。一息ついて、額の汗を拭う。
「……確かに魔物が多いみたいだね」
「ああ」
ライは短剣を鞘に納める。マリラとアイリスも、集中を解いた。
「本当に、修道院に近付くほど魔物が多いような気がするわ。それほど強くはないようだけど」
「……他にも魔物が近くにいるかもしれませんね。早く向かいましょう」
ここに来るまで、一行は何度も魔物と戦闘をしていた。
アイリスは心配になって修道院を見上げた。
修道院に入ってきた一行の中にアイリスを見つけ、修道女たちは驚き、歓迎した。
「まあ、お帰りなさい」
「何て大きくなったんでしょう」
年上の修道女たちに頭を撫でられ、アイリスは恥ずかしそうに笑った。
その微笑ましい様子を見て、ジェスは笑い、ライとマリラは安心する。
実のところ――今回アイリスが修道院に帰ることに、不安があったのだ。
信仰には疎いライとマリラだが、神託を受けたからといって、子供をぽんと旅に放り出す修道院の態度は、アイリスに対して冷たすぎるように感じていた。
もしや、アイリスは修道院で疎まれていたのではないか――そんな疑念があったのだ。
「ええと……後ろにいらっしゃる方々は……?」
「一緒に旅をしているんです」
アイリスの説明に、修道女たちは頷き、アイリスより離れて、静かに礼をした。
「聖女様の――お連れの方ですね」
「……えっ?」
そんな言葉に、戸惑いの声をあげたのはアイリスだった。
「――今、院長を呼んで参ります。どうぞこちらへ」
その客人に対するような、丁寧だがよそよそしい態度は、ジェス達だけでなく、アイリスにも向けられていた。
寂しそうな顔をしたアイリスに、ライとマリラは再び顔を見合わせる。
(……どうやら、微妙みたいだな)
(……そうね)
小部屋でしばらく待たされていると、修道院の院長であるマルソがやってきた。
「マルソ院長!」
アイリスは見慣れた院長の顔を見て、ぱっと顔を輝かせた。白い髭を生やした柔和な物腰の老人は、一行に深く礼をした。
「聖女アイリス様。お帰りなさいませ」
アイリスは、慌てて首を横に振った。
「あ、あの……私は……」
そこに、ライが軽い調子で割って入る。
「どうも。申し訳ないけど、俺たちは『導くべき者』とかじゃないんで、がっかりしないように先に言っておくぜ」
「私たちはアイリスと一緒に旅をしています。旅は危険ですからね」
マリラも続け、アイリスの頭をぽんと撫でた。
「そ、そうです、あの、私が今日ここに来たのは……神託を果たしたからではなくて……心配で様子を見に来たんです」
アイリスはそう言って、だから私は聖女などではないです、と続けた。
「……そうですか、まだ旅の途中でしたか……」
マルソ院長は、いや、長い道のりになることは分かっています、焦らずに自分の役目を果たしなさい、とアイリスに言った。アイリスはまだ何か言いたそうにしていたが、黙って頷く。
「ところで、この辺りは魔物が急に増えたそうですね。それで冒険者を雇っているとか」
ジェスの問いかけに、マルソ院長は重々しく頷いた。
「ここ最近、急激に魔物が増えました。最初は定期的にやってくる商人が魔物の群れに襲われ……それだけでなく、修道院の中にまで魔物が入り込もうとするようになりました」
「そんな!」
「……冒険者を雇い、周辺の魔物退治や警護をしてもらっています。魔物は世界の力の歪みから生じるもの。じき、落ち着けば良いのですが……」
「……それは……何とかしないといけませんね」
アイリスも、言葉を失っていた。
心配で様子を見に来たが、修道院の中にまで魔物が侵入しようとするとは、予想していたよりも事態は深刻そうである。
「良ければ、僕達で手伝えることはあるでしょうか?」
「しかし――あなた方とアイリス様は、啓示を受けての旅の途中だ。ここで足を止めているのは――」
「いえ、マルソ院長。私も、力になりたいです。ここは――私にとって大切な家です」
アイリスもそう申し出た。
マルソ院長はアイリスの真っ直ぐな瞳を見つめ、強くなりましたな、と呟いた。
実際、冒険者の数は足りていないらしく、ジェス達の申し出は助かる、とマルソ院長は言った。
「修道院の周りを守ってもらっている者と、魔物の数を減らすため、退治に向かってもらっている者とがおります。修道院の警護は昼と夜とで交代せねばなりませんから、正直に言うとかなり人手不足でしてな……」
その冒険者達には、礼拝堂で寝泊まりしたり、修道院の庭や畑で野営したりしてもらっていると、マルソ院長は説明した。
空き部屋も少ない上、本来修道女たちの生活している空間に、荒くれ者の男が出入りする――というのも問題のため、そうするしかないという。
「申し訳ないですが、ジェス殿とライ殿は、礼拝堂に泊まってくだされ。マリラ殿は、あちらの部屋で、別の冒険者の方と相部屋になっていただけますかな」
ちなみに、アイリスは前に生活していた部屋に泊まる。
「私も礼拝堂で寝泊まりするのでも構わないけれど……女性の冒険者の人が他にいるんですか?」
「ええ、そうです――」
そう言った時、入り口の扉が開かれ、一人の冒険者が入ってきた。
「おお、ちょうど良い所に。あの方です」
双剣を差した、赤い髪を風に流した美しい女性の姿を見て、ジェスは声を上げた。
「エデルさん! お久しぶりです」
赤い鎧の凛々しい女戦士は、ジェスの声に振り向いた。