043:奴隷市場
奴隷商人は、上機嫌だった。
まず一つは、最近この街で噂になっている、神聖魔法の使える少女を手に入れることができたこと。どうやらあの少女は、修行なのか、あてもなく一人で巡礼の旅をしているようだ。捕まえて売り飛ばしたところで、その行方を気にする者はいないだろう。
〈癒し〉の魔法が使える少女は貴重だ。山賊まがいの傭兵に高く売れることだろう。
そしてもう一つは、競りの直前になって、急に安値で『商品』を仕入れることができたということだ。奴隷の仕入れ先として、懇意にしている山賊から、急に引き取って欲しいと連絡があった。
「この女は喋れないんでね。使おうにも困ってたんだ。そっちの言い値で構わないから、買ってくれ」
そう言って差し出された黒髪の女性を、商人は相当買い叩いた。だが、商人はこの奴隷を、安く売るつもりは毛頭ない。
喋れないということは、何をしても一切口答えをしないと言うことだ。そう付加価値をつけて、売ってやろうと考えている。
商人は表向きでは、普通の宝石店を営んでいる。
だが、その店の地下では、密かに奴隷を売っていた。
客――山賊や、貴族達もいる――が集まると、彼は地下室に閉じ込めていた奴隷達を並ばせた。
「さあ! 今日の目玉はこの少女。子供ながら癒しの奇跡を使う神官だ!」
地下室からようやく出され、連れてこられた先は、ステージのような場所だった。そこでアイリス達は、『商品』として競りにかけられた。
(……逃げ出せそうにない……)
外に通じそうな扉の前には、護衛らしい者が立っているし、アイリスは鎖で手足を縛られているため、素早く走ることができない。こうして奴隷商人や、その客達に見世物にされている中、逃げ出すことは不可能だった。
このまま、どこかに売られてしまうのだろうか。
アイリスは恐怖でぎゅっと目を閉じた。
「こんな子供が神官? にわかには信じられないが」
客の一人が、そう商人に尋ねる。商人は頷いた。
「では確かめてみるとしましょう」
商人は、護衛の男に目配せし、剣を持ってこさせる。そして、先程買ったばかりの、黒髪の女奴隷に目をつけた。声が出ないなら悲鳴を上げたりしないだろう――商人は、その女奴隷の腕に切りつけた。
「!」
女奴隷は咄嗟に逃げようとする素振りを見せたが、鎖に繋がれていることを思い出したのか、大人しく切りつけられる。腕から、赤い血が流れた。
「さあ、この傷を治すんだ!」
「ひどい……!」
アイリスは思わず叫んだが、商人は早くしろ、とアイリスに剣を向けた。
鋭い刃に押されるように、アイリスは怪我をした奴隷の前に進み出る。
(ひどい……私の、私の魔法は、こんなことのために……)
アイリスは、それでも、彼女の痛みを取り去ろうと、傷口に手をかざして、呪文を唱える。手の動きに合わせ、鎖がジャラ、と鳴った。
淡い光がアイリスの手から放たれ、傷口を包む。そして、血を流していた切り傷は、跡形もなくなっていた。
客達の間から、どよめきが起こる。
「さあ! 金貨四十枚から!」
商人の掛け声に合わせ、客達が次々に値を釣り上げていく。だが、アイリスはそんな会場の声を聞くこともなく、ただ顔を覆っていた。
(ひどい、ひどい、私の力のせいで、こんな!)
今にも崩れ落ちそうなアイリスの頭に、そっと温かい手が乗せられた。はっと顔を上げる。
アイリスの頭を撫でていたのは、黒髪の女奴隷だった。
信じられないことに、温かい笑みを、アイリスに向けている。
大丈夫、君は悪くない。
そう言ってくれているようだった。
そして何より、アイリスはその顔に、見覚えが――
「えっ……」
その瞬間、奴隷市場の扉が、外から爆音と共に吹き飛んだ。
吹き飛んだ扉は、扉の前にいた護衛を下敷きにした。
その扉を踏みつけるように、二人の人間が入ってくる。扉の下から、ぐええ、という声が聞こえたが、その二人が気にする様子はない。
「ここにいる奴らは、奴隷売買に関わったってことで――全員悪い奴ってわけよね!」
マリラは、すぐに会場の客達目がけて、〈眠りの雲〉の呪文をかける。大方の客は、何もできずばたばたと倒れた。
「遅くなって悪かったな、意外と地上の護衛が多くてよ」
ライはそう言って、短剣を構えて、魔法の射程距離外にいた相手に突っ込み、素早い動きで叩きのめしていく。
「……ちっ!」
奴隷商人は、突然の乱入者に慌てたが――ここまで来ているということは、店の入り口を守らせていた護衛達はやられている。別の通路から逃げようと、身を翻して素早く逃げ出した。だが――
「逃がさない!」
そう声を上げたのは、黒髪の女奴隷だった。その声は女ではなく、青年のものであり――その手足を縛っていたはずの鎖も切れている。
素早く跳躍し、裸足で蹴りを商人の腹に入れる。商人は為すすべもなく、その場に倒れた。
「ふう……」
女奴隷に変装していたジェスは、被っていたカツラをその場に放り捨てた。その様子にマリラが言う。
「女物の服を着替えるまで、むしろカツラは被ってた方がいいんじゃない?」
「……嫌だよ、まったく」
ジェスは憮然としてそう言った。
ジェス・ライ・マリラの三人は、以前捕まえた山賊退治に関連して、ある依頼を請けていた。それは、ギールの街で密かに行われているらしい奴隷売買の商人を捕まえることである。
以前より、噂にはなっていたのだが、その市場の場所や、それを行っている商人が誰か分からずにいたのが現状だったらしい。
しかし、捕まえた山賊が、取引相手であるその奴隷商人の情報を話したことから、今回の依頼が始まり――作戦が決まった。
まずは取引を行っていた山賊の手下と偽り、仲間を奴隷として売る。あとはその商人を尾行し、奴隷市場の場所を突き止め、売買の現場に踏み込む。そして、買い手達と合わせて一網打尽にするという作戦だった。
「しかし――その奴隷商人は、女しか扱わないらしいぜ」
「うーん、けど、マリラを送り込むのは危険じゃないかな」
奴隷として売られる際、荷物を持たせてもらえるとは思えない。杖は取り上げられるだろう。そうなれば、身を守る術のないマリラを送り込むのは気が引ける。
しかしライは、かなり身長が高いため、女のフリをするのは難しい。
となれば、ある程度自分の身を守れて、かつ、女性並みの体格のジェスが潜入するしかなかった。
「ま、声を出せばばれるから、話せないって方向で。鎖は、あらかじめ輪の一つを広げておくから、いざって時は強く引けば切れるようにしとくぜ」
「女物の服、ジェスに合いそうなの買ってきたしね。カツラも」
「……はあ」
ジェスは嫌々だったが、奴隷たちを助けるためと割り切ってマリラの用意した服を着て女装した。
「僕は丸腰だから……後は任せたよ」
「ああ」
そうしてジェスは、自ら鎖に繋がれたのだった。
ライは、気絶した奴隷商人の懐を探り、鍵束を取り出した。それを使って、奴隷達の手足を縛っていた鎖を解いてやる。
「……ったく、こんな子供まで?」
自分を縛っていた鎖が、床に落ちる。その音を聞き、アイリスの中で張りつめていた何かが切れた。
「――っ、こ、こわ、怖かった……」
「……君は……噂の?」
ジェスは、泣きながら、膝から崩れ落ちるアイリスを受け止めた。
次から次へと大粒の涙を零すアイリスの頭を、マリラはそっと撫でてやった。
「もう大丈夫よ――よく頑張ったわね」
その言葉を聞き、アイリスは、静かに意識を失った。




