042:監禁
ジェスは、いつもの冒険者の店で夕食を取りながら、仲間を待っていた。
「おう、ジェス」
そこに、情報収集をしていたライがやってくる。ライは盗賊であり、ジェスより遥かに人との駆け引きが上手い。情報収集は、ライの役目だった。
「どう?」
「おう、あちこちで話を聞いて、大体の取引場所は見当がついた」
そう言ってライはニヤリと笑う。ジェスはため息をついた。
「詳しくは宿で聞くよ」
「あと、関係はねえけど、面白い噂を聞いたぜ。最近、子供の神官が、色んな冒険者パーティに同行してるらしい」
「子供の神官?」
ジェスは首を傾げた。子供が冒険者パーティに同行しているというのは、ジェス自身が幼い時にそうしていたから、まあ良いとしても、子供で神官というのは、かなり驚きだ。
「何でも、癒しの魔法が使える少女らしいぜ。驚きじゃねえか? その辺の教会にいる神官だって、まともに神聖魔法が使えるのは限られてるだろ」
「へえ……」
そこに、マリラが戻ってくる。袋に詰めた荷物を抱えていた。
「ジェス、ちゃんと揃ったわよ。大きさは私と同じくらいで問題ないでしょ?」
そう言って少し意地の悪い笑みを浮かべてみせるマリラに、ジェスはまたため息をつく。
「二人とも、どうしてそんなに楽しそうなの?」
「だって、ねえ?」
マリラとライは顔を見合わせて笑った。
その頃、アイリスは一人で夜の道を走っていた。しばらく走り、喧噪から離れたところで人気のないところまで来ると立ち止まり、はあはあと息をつく。
「……私の、せいで……」
アイリスは苦しそうに呟いた。
事の発端は、アイリスが『獅子の王』と呼ばれるパーティの魔物退治に同行したことだ。魔物を退治して回ることで有名な強いパーティと聞いていた。
アイリスはその魔物退治に同行していた。結果として、彼らは分厚い金属鎧を着ており、魔物相手にほとんど傷を負わなかったため、アイリスの出番はなかったのだが。
依頼に成功した彼らは、酒場で祝杯を上げ始めた。
「ははは、さあて、いっちょ乾杯だ!」
彼らはぐいぐいと酒を飲み干す。アイリスは酒は飲めないので、少し料理に手をつけていただけだったが、その間に彼らはどんどん酔っ払う。やがて、他の客に絡んだり、店の外で暴れたりし始め、ついには他のパーティの冒険者と喧嘩になった。
「いつもいつも迷惑なんだよ! でかい面しやがって!」
「いってえな、何すんだコラ!」
男達は殴り合う。そんな様子はこの街では日常茶飯事だったが、暴力事に慣れていないアイリスははらはらしていた。
「はっ! 俺たちにはよ、この癒しの神官がついてっからな! おい!」
大声で呼ばれたアイリスは、びくりと震える。
「俺の傷を治せ! あの男をぶっ飛ばしてやる!」
「えっ……」
アイリスは戸惑った。
確かに、彼は殴られて怪我をしている。少し血も出ているようだ。だが、それをアイリスが治せば、彼は回復し万全の体力で相手に殴りかかるだろう。
そうしたらアイリスは、次はその相手を治すのだろうか?
それでは――喧嘩はいつまでも止まらない。むしろ、相手を痛めつけ続ける争いが、アイリスのせいで長引くように思われた。
「何だと! そのガキが噂の少女ってわけかよ」
殴られた男の方も、アイリスを見た。
「おい、あんな馬鹿についてねえで、こっち来いよ。俺らの方が強いぜ?」
「言わせておけば! 手加減しねえぞ!」
「勝った方があのガキをパーティに入れるってのはどうだ」
「望むところだ!」
そうして、頭に血の上った男たちは、騒ぎながら殴り合う。
アイリスはその場にいるのが耐えられなくなり、逃げ出した。
(どうしよう……)
アイリスは人の通らない裏道で、一人座り込んだ。
自分の存在が噂になっているのは何となく知っていた。どうやら、〈癒し〉の魔法が使える神官が、貴重だということも。
あんな争いの種になるなら、自分はこの街から出た方がいいのだろうか。
そんなことを考えていた時だった。
「失礼、君は、アイリスという子かな」
「え……」
不意に声をかけられ、アイリスは驚いて振り向く。考えに沈んでいて、人が近づいていたことに気付かなかったらしい。
声をかけてきたのは、黒っぽい服を着た商人のような男だった。
「あ、はい……」
アイリスがそう答えた瞬間だった。その男は、アイリスに急に掴みかかり、その口を素早く布で覆った。
「ん、ん――!」
叫ぼうとするが声が出ない。口を押さえる布からは何か甘い匂いがして、嗅いだ途端、アイリスは意識を失った。
「……っ」
頭がずきずきと痛んだ。
アイリスが目を覚ました時、見えたのは薄汚れた壁だった。
ここはどこだろう?
アイリスは冷たい床に寝転がっていたらしい。起きようとして体を動かすと、じゃら、と鎖が鳴った。
「えっ?」
アイリスの手と足には、それぞれ鎖が着けられていた。それぞれ、右手と左手、右足と左足を結ばれていて、まったく身動きが取れないという程ではないが、明らかに拘束されている。
状況が分からず、アイリスは焦って周りを見渡した。
「……気がついたみたいね」
近くの壁に、女性がもたれ掛かっていた。彼女も自分と同じように手足を鎖で繋がれている。
「こ、ここ、どこですか?」
「あなた、分からないの?」
女性は明らかに疲れ果てた様子だった。痩せた細い腕が痛々しい。
「は、はい……すみません。確か……あの、捕まって……」
言いながらアイリスは今までのことを思い出していた。
妙な匂いを嗅がされて、そして意識を失ったのだ。
女性はそれを聞くと顔を歪めた。
「……まだ小さいのに、可哀想に……。ここは、奴隷市場よ」
「ど……奴隷ですか?」
アイリスは目を丸くした。
「あ、あの、人を売ることって、禁止されているんじゃないんですか?」
「……表向きにはね。今でも裏では売られているわ……」
女性は目を伏せた。
アイリスは周りを見渡した。窓のない暗い部屋の中には、他にも鎖で縛られた女性が何人かいるようだった。部屋には小さな扉が一つあるだけだったが、閉じ込められているのだから、どう考えても開かないだろう。
「ど、どうしたら……」
アイリスは怯えて、隣の女性に問いかけたが、彼女は首を力なく振った。
どうすることもできず、アイリスは黙って座っていた。どれだけの時間が経ったのか、すると、乱暴に部屋の扉が開かれた。
「!」
アイリスや、一緒に捕まっていた女性たちがびくりと震える。
そこにいたのは、アイリスを攫った黒い服の商人だった。
その商人の男は、連れていた女性を、乱暴に部屋の中に押し入れる。
女性は、押されるがまま、声も出さずに床に膝をついた。やはり手足は鎖で繋がれている。長い黒髪が顔を覆い、その表情は見えないが、ずっと俯いている。
「さーて……もうそろそろ競りが始まる。お前達を売るとするか」
商人は残忍な笑みで、アイリス達、部屋に監禁している女性達を見渡した。
「……」
これから、どうなってしまうのだろう。
アイリスは、ただ心の中で祈ることしかできなかった。




