004:貿易の街
貿易の街ルーイェにつくと、アイリスは歓声をあげた。
「すごい! 海です!」
「お、アイリスは海を見るのは初めてか」
ライが聞くと、アイリスは頷いた。
「はい。修道院は内陸の方にありましたから」
晴れ渡った青空に、海からの潮風が気持ち良い。港には隣の大陸から来た帆船が並んでおり、活気があった。この街、ルーイェが貿易の街と呼ばれる所以だ。はしゃぐアイリスに、ジェスは目を細めた。
「じゃあ、僕とライで依頼の話を聞いてくるよ。マリラとアイリスは、市場でも見てきたら?」
「えっ」
「あら、じゃあそうさせてもらおうかしら」
マリラはそう言って笑うと、行きましょう、とアイリスを促して歩き出した。
「で、でも……」
戸惑った様子のアイリスを置いて、ジェスとライは、さっさと歩いて行った。
「ジェスは優しいな」
「何だい、ライ」
今回の仕事の依頼人である、商人の家まで向かう途中、ライがそう言って茶化した。
「アイリスが始めて海を見てはしゃいでたから、自由にさせてやろうとしたんだろ?」
「まあね、マリラも気付いてたみたいだけど」
ジェスはそう言って少し笑った。
アイリスは修道院で修業していたこともあり、年の割にはしっかりとしているが、それでもまだ子供といっていい年頃だ。初めての海を見てはしゃぐのは当然とも言える。
「今回の依頼は、ここからギールまで、荷物輸送の護衛をすることだからね……すぐいつもの街まで戻ってしまうから、少しくらいは遊ばせてあげたくて」
ジェスはそう言って、空を見上げた。
色とりどりの品物が並ぶ市場で、マリラの後ろについて歩くアイリスは、少し困ったような顔をしていた。
「本当に良かったんでしょうか」
「いいのよ」
マリラはそう答えて、アクセサリーを眺めていた。もちろん、買うことはなく見るだけだ。透き通ったガラスで作られたアクセサリーは綺麗で、見るだけでもなかなか楽しい。
「でも、気を遣わせてしまったみたいで……」
マリラは苦笑して、アイリスの肩を軽く叩いた。
「アイリスは、小さい時からずっと修道院にいたのよね?」
「はい」
アイリスは頷いた。もともとアイリスの家は、位の低い貴族だったのだが、末娘として生まれたアイリスは、家の事情で幼い頃から修道院に預けられていた。
実の親や兄弟より、修道院で面倒をみてくれた院長や先輩の修道女達の方が、アイリスにとっては育ての親だったといっていい。
そこでずっと、神に祈りを捧げ、神聖魔法の修行を積んできたアイリスは、ある時に神託を得て、外の世界で旅立つこととなった。
アイリスが、今のパーティに入ったのも、ジェスのお人好しがきっかけだ。幼いアイリスが一人で旅をしているというのを、ジェスが心配してパーティに入るように誘ってくれた。
「いいじゃないの。ジェスの性格は知ってるでしょ。アイリスが楽しそうにしていた方が、ジェスは――ううん、私達は喜ぶんだから」
「……はい」
アイリスは少しはにかんで、頷いた。
露店の店主は、よく日焼けした顔を二人に向け、愛想よく笑い掛けた。
「どうだい、お嬢さん、何か買っていきなよ」
「え、い、いえ私は……」
アイリスは聖職者なので、ロザリオの他に、装飾品らしいものはつけようとしない。そもそも、冒険者として装飾品の類には縁のない生活をしている。マリラも、軽く手を振って断った。
「どうする? このまま市場を見て回る?」
「ええと……」
アイリスは少し考えた。確かにこの露店には、ギールの街にはないようなものもたくさん並んでいる。見て回るのは面白そうだが――首を振った。
「それより、海に行きたいです」
ジェスとライは、砂浜にいるマリラとアイリスを見つけた。
「こんな所にいたのかよ、探したぜ」
「あら。ごめんなさい、もうこんな時間ね」
マリラは太陽の傾きに、正直驚いた。ある程度したら市場の方に戻ろうと思っていたのだが、いつの間にか随分遊んでしまったらしい。
「すみません」
アイリスはそう言って慌てて立ち上がった。砂がぱらぱらと膝から落ちる。
「大丈夫だよ。それは……」
ジェスは、アイリスが持っているものを指差した。
「あ、はい、マリラさんに作ってもらったんです」
そう言ってアイリスは少し照れたように笑った。白い貝殻を組み合わせて麻紐で繋いだ、アクセサリーだ。
「ええ、アイリスと綺麗な貝を探してね」
「へー、器用じゃん」
アイリスは嬉しそうに、それを自分の鞄に結んだ。貝殻が揺れて、からんと涼しげな音を立てた。