039:竜の血
冒険者が集まるギールの街には、冒険者向けの道具を扱う店も多い。保存のできる食料や、ロープや油、そういった道具は冒険に必須だ。
一行は店の立ち並ぶ通りで、必要な道具の買い出しをしていた。
「ランプの油はそこまで必要ないかな。輝石もあるし」
「そうねえ、それより傷薬を買わない? 治癒の魔法で治すまでもないけど、小さな怪我をすることってあるでしょ」
そうして一行が相談しながら歩いていると、不意に声をかけられた。
「ちょっとそこの皆さん」
「……え?」
どこから声をかけられたのか分からず、周りを見渡すと、店と店の建物の隙間に、隠れるように露店を開いている男がいた。
「……皆さん、冒険者でしょう? とっておきの品があるんですが、買っていきませんか?」
こんな暗い路地で店をやっているなど、胡散臭いとしか言いようがない。商人の男も怪しい風貌をしている。
「いや結構」
ライがそう言って立ち去ろうとすると、商人の男は慌ててジェスの服の袖を掴んだ。
「商品を見もせずに! 絶対、絶対に後悔しますよ! ここでしか売っていません!」
「……は、はあ」
縋りつくように引き止められ、ジェスは困ったように仲間を見る。仕方なく一行はそろって商人の勧める品を見た。
「で? その品って?」
「これでございます! ありとあらゆる傷をたちどころに治す妙薬、竜の血です!」
胡散臭さは、頂点に達した。
竜は、特別な生き物と伝えられている。人間やその他の獣たち、植物などが、聖龍によって生み出されたとされているのに対し、竜は、世界を創った六つの龍の子孫たちと言われる。
神の力を受け継ぐが故に、その肉体には強い力がある。その血肉はあらゆる傷を癒し、牙はあらゆる物を貫き、骨はあらゆる病や呪いを解き、鱗はあらゆる攻撃を通さないと伝えられる。
「じゃ、竜の牙で、竜の鱗を突くとどうなんだ?」
「……どうなるのかしらね?」
ライとマリラがそんなやり取りをする横で、商人は熱心に売り込みを続ける。
竜自体が希少な存在なので、当然、その竜の血はとてつもなく珍しく、貴重だ。
「ね? ね? 今買わないと損ですよ、さあ」
そう言って商人は、赤い液体の入った瓶をジェスに差し出す。
「……いや、偽物だろーよ」
そんなもの、こんな所で売っているはずもない。ジェスも結構ですからと断わるが、商人も引かない。
「どうして偽物だと!」
ライはため息をついた。
「じゃあさ、今からお前、怪我してその血を飲んでみろよ。それで本当に傷が治ったなら、お前が飲んだ分までまとめて買い取ってやる」
「な、な……」
「ほれ、短剣なら貸してやるぜ」
「……っ」
刃物を一瞬きらつかせたライに睨まれ、商人はがっくりと項垂れた。
「何だか、ライさんの方が悪者に見えましたけど……」
アイリスは、ライにそう言った。
「もし、あそこで本当に商人さんが自分のことを傷つけたら……」
「そんな訳あるかよ。あれが偽物だって一番分かってたのはあの男だろ」
ライは肩を竦めた。
あの後、商人は諦めたのか素直に謝り、竜の血が偽物だということを認めた。
「これ、ただの赤い果実の汁なんです」
「……獣の血ですらないの?」
マリラは呆れた。それでよく相手を騙せると思ったものだ。
「仰る通り、全然売れませんでした。これは差し上げます」
そう言って商人は、いらないというジェス達に竜の血と偽った果汁を詰めた瓶を差し出し、逃げていった。
「あ、でもこれ果実の汁だから飲むと美味しいよ。ジュースをタダで貰ったみたいで、何だか悪いね」
「おい」
竜の血もどきを飲み、口の周りを赤くさせているジェスに、ライは突っ込んだ。よくそんなものを飲む気になる。
そんな一行に、声をかけてきた人がいた。
「あのっ!」
「はい?」
「それ……それ、竜の血でしょうか!」
「あ? いや、これは……」
声をかけてきたのは、若い娘だった。
「それ、譲っていただけませんか!」
必死の様子で声をかけてくる彼女に、一行は顔を見合わせた。
「竜の血が売っているっていう噂を聞いたんです!」
「あー、いや、それは……」
「お願いです! 兄が先日怪我をして! 命は取り止めたんですが、もう起き上がれなくなって……! お医者様も無理だと言って!」
娘はこちらの話も聞かずまくしたてる。
「ちょっと待ったお嬢さん、じゃあ教会は? この街にも教会はあるだろ?」
ライはどうにか話を遮ったが、娘はぶんぶんと首を振った。
「教会なんか! 聖龍なんかいないんです! 高い値段で聖水を売りつけるくせに、ろくな治療なんてしやしない! あんなペテン師の集まりなんか何の役にも立ちません!」
「ちょ、ちょっと」
随分過激な物言いに、マリラは娘をなだめた。
確かに――現在の教会は本来の信仰を失い、寄進される金品に執着して、腐敗しているという声もよく聞かれる。聖水といって売られるそれに効果がないという話も。
だが、全てがそうではないはずだ。
マリラは仲間の幼い神官が、確かに癒しの術を使っているのを何度も見ている。
「……あ、あの……」
そのアイリスは、おずおずと娘に声をかけた。
「もし、私でよろしければ……お兄様の具合を診ましょうか」
「あなた……神官!」
娘はアイリスの着ている法衣に、親の仇でも見つけたような目で睨みつける。
「あなたみたいな子供が何を言うの! ただでさえ神官っていうのは嘘つきなのに、こんな子供まで使って!」
「あっ、あの」
「黙りなさいよ! 教会なんかに渡す金はないわよ!」
娘のあまりの剣幕に、アイリスは言葉を失った。
過去に何か、教会にひどい目に遭わされたらしいことは想像がつくが、だからといってアイリスを責めるのは筋違いだ。
理不尽な物言いに、仲間達はアイリスを庇う。
「悪いが帰ってくれ、竜の血の噂はガセだし、俺たちはそんなもの――」
「お願いします! どうしても駄目なんですか!」
娘の食い入る様子に、アイリスは悲しげに目を伏せた。
「マリラさん、それ……渡してくれませんか」
「え?」
アイリスは、マリラが持っている果実の汁の入った瓶を受け取ると、静かに神聖語を唱え始めた。
「あの、娘さん、もういいですか、僕たちは」
ほとんど食って掛かる様子の娘に、アイリスは果実の汁の瓶を差し出した。
「これ、持って行ってください」
「……アイリス」
ジェスとライは驚いてアイリスを見る。娘は、アイリスを睨みつけるが、その手にある赤い液体の入った瓶を見ると、ひったくるように奪う。
「な、何よ、神官のくせに」
「……どうかあなたに、……龍の加護がありますように」
アイリスはそう言って、娘に微笑んだ。娘は、唇を噛むと、礼も言わずに走り去っていく。マリラとジェスは、疲れたというようにため息をついた。
「……何か思い込みの激しい娘さんだったわね。教会に恨み云々も、勝手な勘違いだったりして……」
「いいのか? あの汁飲んで怪我が治らなかったら、ますます逆ギレするんじゃ……て、アイリス?」
アイリスは、少し疲れたようにふらりと揺れる。慌ててジェスがその体を支えた。
「もしかして、アイリス、魔法を……?」
「……嘘、言うのは良くないのかなって、思ったんですけど」
アイリスは小さな声で呟いた。
「あの人にとって大事なのは――聖龍の加護を信じてもらうことでも、誤解を解いてもらうことでもなくて、お兄さんの怪我が治ることだと思ったから」
「まさか、さっき渡した汁?」
アイリスの〈祝福〉の魔法で、本当の――傷を癒す聖水になっていたというのだろうか。
アイリスは恥ずかしそうに頷いた。
「まだ、使えるようになったばかりで……とても疲れてしまうんですけど」
そう言うと、アイリスは気を失った。その小さな体を、ジェスはそっと抱きかかえて、持ち上げる。
「優しいし――強いね、アイリスは」
「……まったくだな」
まだ日も高いが、今日は宿に向かうとしよう。
ジェスは腕の中で眠るアイリスに、お疲れさま、と声をかけた。




