037:聖域
「痛え……」
ライは服を脱ぎながら、布が擦れる時の痛みに顔をしかめた。
「手足だけじゃなくて、全体的に肌が赤く腫れて火傷になってますね」
アイリスはライの火傷を魔法で治す。
「若いのに大したものだな、魔法使いのお嬢さんも、神官のお嬢さんも……」
ドランは感心した。
「はあ……さて、魔物も倒したことだし、さっさと帰ろうぜ」
「問題はそこだね。帰れるといいんだけど」
ジェスは世界樹にもたれながら、上を見上げた。
この樹が世界樹だというなら、この森は人や魔物が普段立ち入ることのできない聖域のはずだという。
「……本来は、聖域を守るための結界のようなものがあって、人や魔物は立ち入れないのではないでしょうか。けれど、あの魔物が聖域を守る森を燃やし、その力を弱めて迷い込んだ……。私達が入れたのもそのせいでは」
「出られるかな?」
「……きっと」
アイリスは世界樹に祈りを唱えた。
そして一行は、森に向けて歩き始めた。すると、魔物と戦っていた時にはなかったあの白い霧が急に周りを包む。
ジェス達は来た時と同じように互いの体を掴み、霧の中を一歩一歩進んでいった。
そして霧が晴れた時――。
「まさか……」
そこに見えたのは、村からほど近い森だった。
「間違いないんですか? ドランさん」
「ああ、ここはそう村から遠くない。いつも通っている場所だ」
ドランはそう言い、一行の先頭に立って歩き始める。
「村の者たちに心配かけているだろうな、エミーは身重だというのに家を空けて申し訳ない」
「ええ、早く帰って父親の顔を見せてあげないと」
マリラの言葉に、ドランは笑った。
「父親か。俺ももうじき父親になるのだな」
「……?」
その言葉に、マリラは妙な違和感を覚えた。
ドランが行方不明になって一年半以上。最後にドランがエミーと会った時、子供はまだ生まれていなかったのだから仕方ないかもしれないが……。
村が見えてきて、一行は駆けだした。
村人たちは、ドランと、後ろに続くジェス達一行を見て驚いた。
「まさか! 生きておったのか!」
彼らが戻ってきたという知らせは、真っ先にエミーに知らされる。
「あなた! あなた!」
涙を流して夫に抱き着くエミーを、ドランは受け止めたが、はっとしたように妻に尋ねる。
「お、おいお前、子供……」
「ええ、ええ」
エミーは涙を流しながら、後ろの村人に手を引かれて歩いている子供を指さした。
「え、えええ?」
これにはドランだけでなく、ジェス達も驚いた。
確かこの森に入る数日前には、とても立って歩くような子供じゃなかったはずだ。
「ありがとうございます……ありがとうございます……主人が森で行方不明になって二年……半年も、ずっと森を探し続けて頂いたのですね……」
「は、半年い?」
エミーの言葉に、森にいた一行は驚いたが、当然それ以上に激しい衝撃を受けたのはドランだ。
「に、二年……」
震えながら、お腹のすっきりとした妻、何事か分からないという様子の小さい子供、それらを代わる代わる見て――
ただ言葉なく、妻を強く抱きしめた。
その夜、村では大きな祝宴が催された。
村人たちはジェス達に感謝の言葉を述べ、生きていて良かったと伝え、そして報酬にと大量の鹿肉をと渡してくれた――半年分は食べられる量だ。だが、さすがに持ち運べないので大部分は辞退した。
「……まさか、僕達が森に入ったわずか二日間で半年、ドランさんにとっては十日足らずで、二年もの月日が経っていたなんて」
村人達も気が気でなかっただろう。森に送り出した冒険者達でさえずっと帰ってこなかったのだから。
「うーん。この場合報酬ってのは、やっぱり半年分もらっとくのが妥当なのか?」
鹿料理を美味しそうに食べながら、ライは冗談めかして言う。
「そんな金銭がこの村にあるとも思えないよ。物品を大量に貰っても困るし、これでいいんだよ」
「お前のお人好し伝説がまた一つ更新された」
「何だよそれ」
ジェスとライは笑い合いながら、振る舞われた料理を食べる。マリラとアイリスもまた、笑いながら楽しんでいた。
「君たち」
ドランとエミーが、息子を連れて一行のところに来た。
「改めて、助けてくれてありがとう。……充分な報酬も渡せず申し訳ない」
「本当に、何とお礼を申し上げればよいか……」
そう言って改めて涙ぐむエミーに、マリラは手を振ってみせた。
「世界樹の聖域に行くなんて、めったに出来ることじゃないし、良かったわ。もともと急ぐ旅でもないしね」
「はい。私も神官として、あの場所を守ることができて嬉しかったですし」
聖域の森はいくらか被害を受けたが、全焼したわけではない。傷も癒され、もとの美しい森に戻るだろう。
「それでなんだが……良かったらこれを貰ってもらえないか?」
そうしてドランが渡したのは、革製の鎧だった。
「え……」
「ジェスさんは、見たところ革の鎧を使われるようだから、どうだろうか。この村に古くから伝わる方法で鞣されていて、実は隠れた名産品なんだ」
もともと若い時にドランが使っていた品なのだが、ドランの体格では入らなくなったので、置いていたのだという。
ジェスは受け取ったが、確かにその軽さに驚く。それでいて、革が幾重にも重ねられているらしく、とても丈夫だ。
「これは、いい品ですね……」
ジェスは感心した。
「本当にいいんですか?」
「ああ。君たちに是非使ってもらいたい」
「では、ありがたく」
その時、エミーの連れている子供が、眠くなったのかぐずり出した。エミーは抱き上げ、そして笑って夫に渡す。
父親とはいえ、子供にとっては今日会ったばかりの知らない人だ。より激しく泣き出す。
「お、俺では駄目みたいだ、エミー」
「父親になったんです。慣れてくださいな」
その微笑ましいやり取りを、一行は笑いながら見守った。




