034:森の声
あの若い奥さんの旦那さんにしては、意外と年を取っているな、というのが、ライの第一印象だった。狩人の男は、髭を生やした壮年の男で、体のあちこちに古傷がある。
男は、はあはあと荒い息をついていたが、アイリスの回復魔法と、一行が分けた水を飲んで落ち着いた。
「……ありがとう、君たちは……」
「僕はジェスといいます。あなたはドランさんですね?」
「ああ、そうだが……何故?」
「エミーさんから、森で迷ったあなたを探してほしいと依頼を請けたんです」
「エミー、が?」
男はそうか、と息をついた。
「そうだな……。心配させているだろうな……」
「本当に、生きていて良かったです」
アイリスは心の底からそう言った。一年以上も深い森の中にいたこともそうだが、彼はひどい傷を負っていたのだ。
「……さて、まあ、ここからどうするかだな」
ライは腕を組んで、巨木にもたれかかった。
「見つけたはいいが、どうやってこの森から出る? 骨拾いが骨になってちゃ意味ねえぞ」
「……何それ?」
「あー、こっちでは言わないのか」
マリラはライの言葉を聞き返したが、ライは肩を竦めて流した。
「……この樹、随分大きいから、木に上って上から見たら、帰り道が分からないかな?」
ジェスはそう言うと、剣や荷物を下ろして、ぱっと木の幹に飛びついた。そのまま、ひょいひょいと上っていく。
その身軽さに、ライとアイリスとマリラは感心した。
「……。いや……まだこの森からは出られないと思う」
ドランは、少し考えてそう言った。彼は自分の弓矢を掴み、様子を確かめる。
「どういうことだ? いや……そもそも事情を聞くべきだな」
なぜ、村人は決して立ち入らない、森の奥へと入ったのか。
そして、どうして大怪我を負っていたのか。
「あの怪我は、見たところ火傷だったな」
「ああ……。そうだな。そうだ、君たちの名前を聞いてなかったな。……彼はせっかちだな」
ドランは、木を上って行ったジェスを見上げた。もうその姿は小さい。
「……早くアンタを、奥さんのところに連れて帰ってやりたいんだろうよ」
「そうねえ」
マリラとアイリスも、顔を見合わせて笑った。
「俺はいつもの通り、獲物を取りに森に入った。普段通りの場所を歩いていた――だがその時、俺は呼ばれたんだ」
「呼ばれた……誰に?」
「分からない。いや、呼ばれたといっても、声をかけられたとかではない……何か強い意志のようなものを感じたというのか。森の奥から、助けを求めるような……そんなものを受け取ったんだ」
ライとマリラは首を傾げたが、アイリスだけは考え込んだ。
「……それは、龍の声、でしょうか?」
「俺は神官のお嬢さんのように龍に仕えてはいないから、龍の声を聞くようなことができるとは思えない。だが、その声――うまい言葉が見つからないから、声というが――を聞き、使命感のようなものを感じたのは確かだ。森の奥に入ることに躊躇いはあった。だが、そうしなければ、あの村が脅かされる……そんな予感もあったんだ」
よく分からないが、ドランは嘘を言っていないようだ。話の続きを促した。
「……で?」
「呼ばれるままに行くと、霧が立ち込めてきた。そして、煙も流れてきたんだ」
「煙? 霧じゃなくてか?」
「ああ。焦げる臭いがした。森火事かと思った俺は、そこで火を噴く魔物にあったんだ」
「え……?」
一行は魔物の姿は、一切見なかった。
「それで」
「俺は戦った。だが、強い魔物だった。何本かの矢を当てることはできたが、多くの矢は燃やされてしまったし、奴の焼いた木が辺りを焼いた。火に包まれては俺が死ぬ。どうやらあの魔物自身は炎にも強いようだしな。俺は一旦逃げた」
「……。」
「その後も、奴を追いながら、何度か遠くから矢を射かけては戦った。だが、仕留めることはできなかった。火傷をしていたのはそのせいだ。命からがら逃げてきたが、……君たちがいなければ死んでいた。感謝する」
「運が良かったぜ……」
一年半だ。その間、ずっと火を吐く魔物と戦い、そして偶然怪我をした時には一行が駆け付けた。出来すぎている。
「火を吐く魔物、ねえ……」
マリラは考えた。そういう強い魔物もいる。
魔物とはそもそも、世界を構築する力の歪みから出現するものだ。歪みが強ければ、強い魔物が生まれ、時に魔法のような力さえ使いこなす。
「……魔物は、龍が創らなかったものです……。不完全な存在ゆえに、あらゆる命ある存在を喰らおうとする性質があります。……この森の木も、命ある存在ですから、火の魔物は、それを喰らおうとしているのかもしれません」
アイリスの言葉に、ドランは頷いた。
「難しいことは俺には分からない。だが、この森をあの魔物に燃やさせるわけにはいかないんだ」
ライは頭を掻きながら言った。
「……なあ、都合のいい解釈かもしれねえけど、アンタはもしかして、この森に、火の魔物を倒して欲しくて呼ばれたんじゃねえの? 村で一番優秀な狩人らしいしな。とすると、この森は、アンタが魔物を倒すまでアンタを森から出す気はないかもしれない」
マリラはライの仮設に納得しなかった。
「……私たちはどうしてよ」
「まー、似たようなもんだろ。この人を助けに来てるんだし」
「森から出られなくなる伝承は昔からあったみたいだけど?」
「さあ、そこまでは?」
ライが肩を竦めていると、ジェスが木から降りてきた。
近くの枝からひらりと下りてきたジェスは、慌てた様子で言う。
「向こうの方角から火の手が上がってる!」
「……!」
それを聞いたドランとライ達三人は、急いで立ち上がった。
「どうするよ?」
「行くしかないんじゃない? 放っておくと、私たちの身まで危険になりそうだしね」
「もちろん行きます!」
「よし、ジェス、方向はどっちだ!」
「え? う、うん」
そうして駆け出して行く冒険者達の背中を、ドランは驚いて見た。
「……助けてくれるというのか」
そして、すぐに弓を背負ってその後を追った。




