025:策略
「……。」
ザンドは、ベルガに何事か合図した。ベルガはそれを聞き、立ち上がった。実に愉快――そんな顔をしている。
「あ、あの、ベルガさん……?」
「いや、さて、そろそろ行こうかね」
ベルガはそう言いながらも、通路の壁の方へと歩いていく。そちらはどう見ても行き止まりだ。アイリスは不思議に思う。
「ちょっとばかり壁が厚そうだね。頼んだよ」
「……。」
ザンドは、無言で壁に近づき、そして、思いきり拳をその壁に叩きつけた。すると、衝撃で壁に蜘蛛の巣状にヒビが入る。
「!」
驚くアイリスをよそに、ベルガは火薬を、傷ついた壁に向かって放った。
爆発音とともに、壁が勢いよく吹き飛ばされた。
「……大丈夫か、マリラ」
「私は平気……それより、ジェスを」
「ああ」
マリラはさすがにもう精神力が限界に近いのか、ぐったりした様子だった。だが、それよりも、大怪我をしているジェスの方が心配だ。
ジェスは、苦しそうに息をしながらも、意識はしっかりしているらしい。ライはこれからのことを考えた。ゴーレムはどうにかしたが、閉じ込められた状態には変わりない。ジェスを背負って帰ろうにも、道がないのだ。
だが、そんな思考を遮るように、急に部屋の一角の壁が吹き飛んだ。
「何だっ?」
新たな敵かと、ライは身構える。ジェスもマリラも、音の方向を見た。そこには――
「アイリス!」
「あっ……!」
壁に空いた大穴の向こうには、目を丸くしたアイリスがいた。その横には、ベルガとザンドが立っている。
「み、みなさ……」
アイリスは、仲間達の姿を見て、胸がいっぱいになった。言葉が出なくて、とにかく皆のもとに駆け寄ろうとする。だが――。
「きゃあっ!」
「大人しくしな!」
そのアイリスの髪を掴み、曲刀を首筋に当てて、ベルガは勝ち誇ったような残忍な笑みを浮かべた。
「アンタ達、この子の命が惜しければ――その財宝をよこしな」
髪を強く引っ張られる痛みに耐えながら、アイリスは、何が起きているのか分からなかった。
「な……なんで……?」
「アンタらがそこのゴーレムを倒してくれて助かったよ。そこまで期待はしてなかったんだけどねえ」
「どういうことだ!」
ライはベルガとザンドを睨みつけた。
「どういうことだって? そこに宝がある、それだけさ。説明する必要はないね。裏切られたとでも思ってるなら、信用した方が悪いのさ」
「あんた達……!」
ライもマリラも、怒りに震えた。本当なら、すぐにでも叩きのめしてやりたい。だが、アイリスが人質に取られている以上、下手に動けない。
「早くそこの宝を持ってきな! 持ってくるのはそこの女魔法使いだよ。杖を置いてこっちに持ってくるんだ!」
「……くっ」
こんな卑怯な奴らに宝を渡すのは癪だが、アイリスの身が最優先だ。それに、ジェスの傷も一刻も早く手当したい。応急処置さえ、満足にできていないのだ。
マリラは言われた通り、口から水を吐く竜の像の前に置かれた金色の箱を開けた。中に入っていたのは、金色に輝く剣だった。
「……これが宝?」
マリラはそれを取り出して確かめた。鞘も柄も、刀身さえも金色に輝いている。金でできているとすれば、武器としては使えないだろうが、値打ちはあるだろう。
マリラは杖を足元に置き、金の剣を持ってベルガの方へ向かった。
ザンドが前に進み出て、マリラから剣を受け取ろうとする。
「アイリスを放しなさい」
「宝が先だね」
ベルガは刀の切っ先を、アイリスの喉元に近づける。マリラはギリ、と奥歯を噛んで、ザンドに剣を渡した。
「宝は渡したわよ! アイリスを放して!」
「ああ、放そうじゃないか。ザンド!」
ベルガはザンドに鋭く命じた。ザンドは一瞬、複雑な表情でベルガを見たが――すぐに無表情に戻る。
ベルガはアイリスを放し、背中を強く押す。バランスを崩したアイリスは転びそうによろめくが、それでも走ってマリラのところへ向かう。
「マリ、ラさ――」
だが、そのアイリスの言葉は、途中で遮られた。
ザンドは小石でも掴むかのような様子で、逃げようとするアイリスを引っ掴み、そして部屋の向かい側の壁に向かって、勢いよく投げ飛ばした。
アイリスは悲鳴をあげる暇もなく、壁に叩きつけられ、そしてそのままぐったりと倒れた。
ライはその様子が、やけにゆっくりと見えた。アイリスが頭から壁にぶつかり、血を流しながら床に落ちるのを。
瞬間、体中の血が沸騰した。
「テメエ!」
ライは短剣を構え、ザンドとベルガに切りかかっていく。しかしザンドは、崩れ落ちた壁の欠片を、手当たり次第投げつけてきた。拳大の石が次々、矢のような速さで飛んでくる。
人間離れした馬鹿力と、そして無言で攻撃を続けるその様子は、まるで感情のない、攻撃のためのゴーレムのようだった。
何なんだ、あの不気味な奴は!
ライは石を避けながら走り、途中、落ちているマリラの杖を拾う。
そしてマリラは、ザンドがアイリスを投げる時に見えた、ローブの下の彼の腕を見逃さなかった。
「こいつ……!」
ザンドの腕には、古代語で〈強化〉の呪文の入れ墨が彫られていたのだ。
ジェスは折れて動かない足を引きずり、腕の力で這うようにしながら、倒れているアイリスのもとへ向かった。
「アイリス……」
ぜえぜえと吐いた息は、血の味がした。
ザンドは、激しく石を投げてきている。石は、この場で唯一戦えるライを狙っていたが、ライに当たらなかった石が、アイリスに当たらないとも限らない。
ジェスは、倒れるアイリスに覆いかぶさるようにしてその身を守る。飛んできた石が、ジェスの肩に当たった。
「ぐっ……!」
衝撃で、傷口が開いたらしい。ジェスの顔から、また血が滴り始めた。痛みに耐えるよう、きつく目を閉じる。
ジェスの傷から滴った血が、気を失ったアイリスの顔を濡らしていた。
「マリラ!」
ライが床を滑らせるように杖を投げてマリラに渡す。マリラはそれを取って、ベルガとザンドに向けた。
ライが到達するよりも早く、ベルガは身をひるがえして、壁に空いた穴の向こうに逃げていく。
「ザンド、もう放っておきな、ずらかるよ! 剣士は手負いで、回復役も倒れたパーティなんか、生きて出られやしないさ」
「……」
ザンドは、その言葉に従い、ぴたりと石を投げるのをやめ、獣のような速さで、ベルガを追って行った。
「……っ!」
ライもマリラも、怒りでいっぱいだった。だが、あんな奴らを追うより、今はするべきことがある。
「アイリス! ジェス!」
「くそっ!」
マリラとライは、折り重なるようにうずくまっているジェスとアイリスのところに向かった。
「早く、アイリスの傷を……」
「……っ」
ジェスを支えて、アイリスから一旦離す。だが、ライはアイリスが、頭から壁に叩きつけられるのを見た。あの勢いで頭を打てば、致命傷にもなりかねない。
(生きててくれ……!)
そう、祈るような思いで、アイリスの傷を確かめた。
だが、血に汚れた水色の髪を掻き分けても、どこにも傷は見当たらない。
「……え?」
マリラも驚いたらしく、アイリスの体を確かめるが、どこにも怪我はない。そうしているうちに、アイリスの瞳が開いた。
「……んっ……」
そしてアイリスは、ゆっくりと自分の力で起き上がり、自分を囲んでいる仲間達を見た。
ジェスも、ライも、マリラも、驚いて何も言えない。
やがてアイリスは、呟いた。
「――よかった」
その言葉とともに、青く澄んだ瞳から、涙が一筋落ちた。