番外編:花の髪の乙女
本編からは、放り出されたままになっていた、ベルガとザンドのその後の話です。
ちょっとした世界設定の説明もかねています。
フォレスタニア南西部にある、ゼルジアの街は、腕利きの冒険者が集まる街として有名である。東のギールの街が初心者向けの冒険者が集まる街なのと対照的で、周辺の魔物が強いことから、腕に覚えのある傭兵や戦士が集まってくる。
そんなゼルジアの街には、戦士向けの武器や防具、傷薬を扱う店が多く軒を連ねている。歴戦の戦士たちが命を預ける道具を見る目は厳しく、自然とそれらの店の品質は高くなる。
危険を承知の上で、良質の品々を求めて訪れる旅商人も多い。
そんなゼルジアの街にある一軒の薬屋に、通い詰めている一人の冒険者がいた。
「あ、いらっしゃい。今日も傷薬?」
「あっ、はい」
剣を背負っている若い男性は、薬屋の店番をしている女性に答えた。
「そうそう、薬草が手に入ったとかで、解毒薬もちょうど出来たところ。いつもある品じゃないから、良かったら買ってく?」
「じゃ、じゃあそれも!」
「毎度あり」
店番の女性は、ニカリと笑って、薬を手渡す。その時に彼女の手が冒険者の彼の手に一瞬触れ、彼の顔がわかりやすく赤くなった。
薬を買うやり取りは、あっという間に終わってしまう。彼は顔を赤くしながらも、勇気を振り絞って店番の彼女――ルカに話しかけた。
「あ、あのルカさん、俺」
「――まだ何か用か」
答えたのは店番をしていたルカではない。店の奥から、低い声で答えた、ローブに身を包んだ男性は――無表情だが、確かに怒りを込めた視線を彼に向けている。
「あれ、サン、どうしたの?」
「店番を代わる。姉さんは、食事の準備をしてくれないか」
そうして、店番をしていたルカを店の奥に向かわせ、代わりに店の椅子に座る。そして、無言で剣士を睨みつけた。
「…………。」
赤い瞳は、彼への敵意をむき出しにしている。彼はため息をついて店を後にした。
ルカとサンの姉弟が、ゼルジアの街で暮らし始めて数年が経つ。
色々な事情があって冒険者をしていた二人は、自分達のことを誰も知らない土地で、新しい生活を始めることにした。
二人はゼルジアの街につくと情報を集め、跡継ぎがおらず、店を畳む決心をしていた、人の好さそうな薬屋の老主人に目をつけた。
ルカが「元奴隷だったんですけど、命からがら逃げてきたんです」という、虚実織り交ぜた身の上話をして、うまく取り入った。そこから色々と頼み込んで、現在、住み込みで働かせてもらっている。
サンは持ち前の、薬草や魔法に関する知識を活かして薬を作り、ルカは盗賊時代に培った手際の良さでテキパキと店を手伝う。
もともと冒険者の多いこの街は、流れ者も快く受け入れる向きが強い。二人はうまく街に馴染み、平和な生活を送っていた。
ただ、サンにとっては、悩みの種が一つあった。
ゼルジアの街は、強い冒険者の集まる街。ギールの街もそうだったが、全体的に若い男の多い街である。
薬屋の店番をしているルカに、ちょっかいを出してくる男が多いのだった。
「やはり店番は俺が……」
ルカが作った昼食を食べながら、サンはぼそりと呟いた。
それを聞いたルカが、呆れた声をあげる。
「はあ? サンが店番なんて無理じゃない。無愛想だし。というか、アタシが薬を作る方がもっと無理じゃないの」
「む……」
ルカの言っていることはもっともなので、サンは何も言えない。
「まあいいや。午後、薬の配達に行ってくるから、その間だけ店番しててよ。ドノさんが頼んでた薬草が来るはずだから、代金払っといて」
ドノは、二人が暮らしている薬屋の老主人の名前だ。
そのドノが作った痛み止めを、籠に入れると、ルカはさっさと店を出ていく。冒険者時代に鍛えた、よく引き締まった脚を惜しげもなく晒し、さっそうと街を駆けていく。
サンはため息をついた。
ただでさえ若い女性はこの街では目立つというのに、姉のルカは自分の魅力に無自覚である。珍しい紫色の髪というのも、興味をひかれる点の一つのようだ。
「……。」
本当なら、ルカが一人でお使いに行っている間、サンは〈強化〉の魔法で身体能力を上げて追いかけ、後ろからこっそりと見守っていたいのだが、店番を頼まれた以上、勝手に出ていく訳にもいかない。
サンは、無表情で店の椅子に座り、淡々と乳鉢で薬草を潰していた。
「いつも助かるよ」
「お大事に」
ルカは頼まれていた腰痛の薬を、鍛冶屋の主人に渡した。
もともと、体の調子が悪い客を店まで歩かせるのも悪いということで、希望する客には、薬の配達も行っていたらしい。しかし、その老主人のドノの腰が悪くなってから、薬の配達ができなくなってしまっていた。
ルカが店で働きだし、配達が再開されたことを、街の人々は喜んでいるらしく、ルカに好意的に声をかけてくれる者も多い。
それに嬉しい反面、後ろめたい思いもある。
ルカは、ベルガとして盗賊をやっていた間、生き抜くために、多くの悪事に手を染めてきた。サンは、それはルカに魔法をかけた自分の責任であり、ルカは悪くないと言ってくれる。しかし、やはりルカにとってそれは自分の罪である。
ルカは何気なく、街の教会を見上げた。
(そういえば、よくサンは教会に通ってるっけ……)
弟は神官でもないのに、毎日のように教会に行って祈りを捧げているのを、ルカは不思議に思う。
ルカも、創世神話――龍の存在そのものを信じていないわけではないが、だからといって、龍が自分に何かをしてくれるとも思わないので、信仰心はない。
それでも、ルカは気まぐれを起こして、散歩がてら教会に寄ってみることにした。
街の中心にある教会は、古い建物らしく、ところどころ煉瓦がひび割れていたが、街の神官を含めた住民によって大切に手入れされているため、荒れた雰囲気はない。
中には入らず、龍の神話が描かれたステンドグラスを眺めていると、扉が開いて、中から人が出てきた。
「あ、あれ、ルカさん?」
「……あ、どうも」
ルカを見て、顔を真っ赤にしたのは、今日店に来た冒険者の剣士だった。
「ここにはよくお祈りに来るんですか?」
そう言って彼は、教会を見上げた。ルカは正直に答える。
「全然。弟はよく来るけど」
「……そうですか」
彼は明らかにガッカリした様子だったが、ルカはそれを気にしない。
「怪我とかしたら来るかもしれないけど、大体はうちの薬でどうにかなるし」
「ああ……ドノさんの薬は、いつも本当によく効くので、助かってます」
それを聞くと、ルカは顔を明るくした。
「よかった! 実は最近、サンの作った分の薬も売ってて。ドノさんの薬より、効きが悪かったらどうしようって思ってたからさ」
「え、……あれ弟さんの薬?」
時々、その弟からただならぬ殺気を感じることのある彼は、その弟が調合した薬を飲んでいることに、若干の不安を覚えた。
が、彼は気を取り直して、ルカに向かいあう。
「あ、あの、それで、ルカさん」
「はい?」
「これ、受け取ってほしいんですけど」
「?」
そう言って彼は、小さな髪飾りをルカに渡した。葉っぱをモチーフにした銀の髪飾りは、意匠が細かく、丁寧に作られた一品とわかる。
今日、店に行った時には、サンの妨害によって渡せなかった贈り物である。
ルカはそれを受け取ってしげしげと眺めた。
「結構高そう。銀貨十枚……いや金貨一枚?」
「え、ええと」
盗賊をしていた時の癖で、瞬時に品物の値打ちを正確に言い当てたルカに、彼はやや困惑したが、弟に妨害されずにルカと話せる貴重な機会を逃すものかと、一気にまくしたてる。
「その、ルカさんのスミレの花みたいな髪に似合うと思って! 良かったらつけてください!」
「……。」
彼の言葉を聞いたルカは、しばらくきょとんとしていたが、やがてとても嬉しそうに笑った。
その様子を、物陰から見ていたサンは、複雑な思いだった。
ルカが少しでも嫌がるそぶりを見せれば、迷いなく強化した腕力であの剣士をぶん殴っているのだが――何しろあんなに嬉しそうに、それこそ花が咲いたように笑ったのだ。
(……。)
結局サンは、先に店に戻り、さもずっと店番をしていたかのように、帰ってきたルカを迎えた。
「どう、お客さん来た?」
「や……。」
いつになく不愛想なサンだが、ルカは上機嫌で、特に気にとめない。
「……楽しそうだな」
「ん? ああ、そういえば教会に行ったら、こんなもの貰ったよ」
そう言ってルカは、銀の髪飾りを見せた。サンはそれを何とも言えない目で見た。
「そういえばさあ、私達の髪の色って、珍しいんだってね」
「ああ……」
サンは頷く。
人々の髪の色は様々だが、多いのは黒や茶、金や灰色といったところだ。色の濃淡に個人差はあるが、概ね八割ほどの人々がこれらの色らしい。
しかし、例えば自分達の紫の髪や、アイリスの水色の髪など、まるで虹の中から取り出したような鮮やかな色の髪を持って生まれてくる人々もいる。そのような人々は、古代人の血を強く受け継いでいると言われている。
どこで知ったのだったか、とサンは記憶を辿る。そして――あ、と声をあげた。
「フォンベルグ様が、言っていたな」
「そうそう」
そしてルカは笑う。
あの口下手な魔法使いは――春の花のような色の、美しい髪だと、その妻の薄紅色の髪を、しどろもどろになりながらも褒めたのだった。
それを思い出し、サンは温かい気持ちになる。それと同時に、さっきのルカの表情を思い出した。
(あれは、フォンベルグ様とピア様のことを思い出したのか……)
そうやって、昔の記憶をいいものとして思い出せるようになってきたのはいい傾向だと、サンは安心する。
――と同時に、ルカの鈍感さに呆れかえる。
容姿を褒めて装飾品を渡されるなど、好意を持たれている以外の何物でもない。あれだけ妻を溺愛していたフォンベルグと同じことを自分に向けて言われて、何も意識しないのだろうか。
いや、意識などしない方がいいのだ。だが、男に対する警戒心というものも持ってほしいし……。
ぐるぐると考えていたサンだったが、ふと、短く切りそろえられたルカの髪に目をやる。
「姉さんは、ピア様のように髪を伸ばしたりはしないのか?」
「ん? 手入れが面倒だからいいよ。髪飾りも、はい、サンにあげる」
「……。」
ぽん、と渡された銀の髪飾りに、サンが戸惑うのにもかまわず、ルカは店の商品を整理し始める。
「薬の調合の時に、前髪が目にかかってるでしょ。これで留めたら? サンの紫の髪に、良く似合うよ」
「姉さんは……」
サンは呆れつつも、薬草の葉を模した髪飾りを眺めた。癪だが、趣味のいい品だし、何よりこの髪飾りは『ルカが自分にくれた品』でもあるので、捨てるわけにもいかない。
後日、この髪飾りをつけたサンと剣士が、本気で拳を交え、二人揃って傷薬の世話になるのだが、それはまた別の話である。