番外編:王家の結婚事情
後日談。遠い未来の話。
ドラゴニア国の王城、豪奢な装飾がこらされた一室で、二人の男女が向かいあって座っていた。
男性の方は、ドラゴニア現王、ファルトアス。先王が亡くなり、数年前に即位した王は、若くしてその政治の才を存分に振るい、厳しくも公正な治世で民衆から慕われていた。
その常に冷静な、深い青の瞳が、珍しく困惑を浮かべていた。
女性の方は、ドラゴニア王女のレイチェラ。剣の達人でもある彼女は、現在は兵士団の指揮を任されており、弟であるファルトアス王を支えている。
彼女の方は、美しい顔に、ひどくつまらなそうな表情を浮かべていた。ため息をつき、手にしていた肖像画を伏せて机に置く。
二人の前にはそれぞれ、これでもかと肖像画が置かれている。
――お見合い相手の肖像画が。
ファルトアスは即位後、国の統治に全力であたった。
そんなファルトアスに、大臣や宰相たちが今、唯一望むのは結婚、そして世継ぎだった。
若く優秀な王の妻になることを望む女性は多いが、何しろファルトアス自身にまるでその気がない。
側室を多く抱え、そのたび離宮を用意して国の財政を圧迫していた、ガルドラ先王に比べれば、はるかに民衆の人気は良いのだが、一国の王が生涯独身というわけにはいかない。
そしてまた、レイチェラも、未だ独身である。
彼女の元婚約者が、王家の者を暗殺しようとした大罪を犯したという事情があるため、大臣達もレイチェラのことはしばらくそっとしていた。
しかし、もうそろそろ、幸せになってほしい。王女を慕う、そんな家臣の老婆心が、この大量の見合い画というわけだった。
忙しさを理由に逃げ回っていた二人だったが、ついに、少なくとも見合い相手を決めるまでは部屋から出しません! と大臣に言われ、二人はこうして、大量の肖像画と向き合っているのだった。
「……ファルトアス、あなた、随分その女性を眺めているではないの。もうその方にしたら?」
「国母ともなる人をそんな軽率には選べないだろう。――しかし、こんな絵で何をどう選べばよいというのか」
王の妻ともなれば、それ相応の責務が伴う。ちゃんとした女性を選ばなくてはいけないが、絵を見たところでその人となりは分からない。第一、容姿にしたって、絵のそれは本物よりも誇張されているのだ。
「会うだけで、結婚すると決めたわけではないでしょう」
「なら、姉上こそ、早く選べばいい」
「どうにも、私より弱い殿方を夫と呼びたくはないのよ」
ファルトアスは内心呆れた。
強い男がいいというのは、女の一般的な心理かもしれないが、この剣の達人の姉が言うと、理想が高すぎる。
その時、外がにわかに騒がしくなり、部屋の扉が慌ただしく叩かれた。
「陛下、殿下、失礼します!」
「なあに、アルロス」
近衛隊長の焦った声に、レイチェラはのんびり返事をした。
この憂鬱な時間を終わらせてくれるなら、多少の問題事でも歓迎する。
「レオン……ハート王弟殿下が、突然訪ねていらっしゃいました!」
二人のいた部屋に通されたライは、久しぶりに会う姉と兄の顔を見て、年をとったな、と思った。
それは自分も同じことだろうが。
この部屋は、レイチェラ、ファルトアス、アルロスだけであり、ライ――レオンハートが訪ねてきたことは、ごくわずかな者しか知らされていない。
「急に……どうしたの、レオンハート」
冒険者として城を出奔していて、ずっと行方知れずだったのに、どういう風の吹き回しだろうか。
「あ……いや、まあ……。今更だけど、父上のお悔やみと、兄上の即位祝いに、顔をな」
「随分と遅いな」
ファルトアスが言うと、ライは苦笑して頷いた。
「ま、色々あってな」
「簡単には訪ねてこれないでしょう……長旅だったのかしら? いつまでこちらにいるの?」
レイチェラが気遣って言うと、ライは否定した。
「いや、来たのはあっという間。あまり騒ぎにしたくないし、すぐ帰るよ」
「どういうこと?」
その時、ふわり、と室内の空気が動いた気がした。窓も開いていないのに、とレイチェラがいぶかしむと、ライの横で、小さな竜巻のように風が渦巻いた。風が吹きあがると共に、ふわり、とその中央に、小さな女の子を抱いた女性が現れ、降り立った。
「ん、遅かったな?」
「ごめんなさい、ライを座標にしたはずなのだけど、妨害されたみたいで、なかなかうまく飛べなかったのよ」
突然部屋の中に現れた女性に、レイチェラとアルロスは驚き、ファルトアスはほう、と感心した声をあげた。
「〈転移〉の魔法で城内に来るとはな。防御結界を張っているのだが、魔法使いとしての力が、我が宮廷魔術師より強いということか」
「……えっ、ここ城内?」
金の髪の魔法使いの女性――マリラは周りを見渡し、前にいたファルトアスとレイチェラに気付いて、慌てて礼をした。
「失礼致しました。突然城内に入ってしまった無礼をお許し下さい。遅ればせながら、ご即位、おめでとうございます、ファルトアス国王陛下――あっ、こら」
その挨拶は、マリラの抱いている子供が、腕の中でじたばた暴れたことで遮られた。子供はライの方を向き、手を伸ばす。
「ぱぱー!」
「ほら、こっちおいで」
ライは、マリラから子供を受けとると、慣れた手つきで抱いてあやす。
その様子に、アルロスとレイチェラは驚愕し、普段は表情が顔に出ないファルトアスさえも、目を見開いた。
「レオンハート、その子……」
「あっ、悪い、子供の前では俺の名前、ライで通してくれるか? 混乱させたくないからな。改めて、紹介する。妻のマリラと、娘のリディナだ」
今、王の執務室には、ファルトアス、レイチェラ、ライが座って、お茶を飲んでいた。
「……彼女と結婚したのね。子供もいたなんて」
子供は、三歳くらいだろうか。真っ直ぐの金の髪に、明るい緑の瞳の女の子は、母親似ではあるが、確かにライの面影もあった。
「旅をやめて、結婚したのはだいぶ前だけどな。今はエムロイド伯爵領の小さい村で暮らしてるよ。領主は俺のことを知らないけど」
ライはそう言って照れたように頬をかいた。確かに、ライの格好は、冒険者のそれではなく、綺麗に洗われたシャツに、ズボンという出で立ちだった。
ちなみに、マリラは、リディナが、急に「おしっこ」と言い出したので、アルロスの案内で、慌ててお手洗いに行かせている。
「急にどういう風の吹き回しだ?」
ファルトアスの問いに、ライは頭をかいた。
「いや、まあ……ちょっと思うところがな。王家の立場もあるし、俺は家族とかそういうのとは、もう無縁だと思ってたんだけど、やっぱり自分の子供ができたら、ちょっと気になったというか……」
「……そういうものか」
ファルトアスはカップを置き、ふう、と息をついた。
その時、リディナを連れたマリラと、目を赤く腫らしたアルロスが戻ってきた。アルロスは鼻をぐずぐず啜り上げている。
「……アルロス?」
レイチェラはただならぬ様子の臣下に声をかける。
「ぐっ……ぐっ、いや、失礼します、陛下、殿下……ですが、ですが……ライが、こんな幸せな家庭を築いていたのだと思うと……胸が、胸が……」
「お、おお……そうか、アル……」
胸を押さえ、おんおんと男泣きするアルロス。当のライが若干ひいている中、リディナはアルロスをじっと見た。そして、その袖を掴んで、舌足らずの声で言った。
「……おじちゃん、むね、いたいの?」
そして、いたいのいたいの、とんでけー、と唱える。瞬間、アルロスは、感激でぶわっと、それこそ音が出そうな勢いで泣き出した。汁という汁が顔から飛び出し、マリラも一歩引く。
「何て優しい子なんでしょうか! レイチェラ様っ!」
「な、何なの」
顔がぐしゃぐしゃの家臣に呼ばれ、ドン引きするレイチェラ。
「早く結婚して、私に御子の顔を見せて下さいー!」
「なっ……あなたも独身ではないの!」
ぎゃんぎゃん言い合う主人と臣下を見て、ライとマリラは呆気にとられていた。
その横で、ファルトアスは優雅に紅茶を口に運ぶ。
「まったく、姉上、アルロス。国の王女と近衛兵が、弟とはいえ、民にそのような醜態を見せてどうする」
「結婚といえば、兄上も結婚しないのか? 俺の言えたことじゃないんだが、結構民衆は気を揉んでるぜ。今のところ、王家の血を引く後継者候補がいないって……」
痛いところを突かれ、ファルトアスは黙る。机の中に押し込んでいる、大量の肖像画という現実が戻ってくる。
「レオ……いや、ライ。その……何故、お前は結婚した? 私と違って、お前にその義務はないのに」
「はあ?」
ライは、しばらく宙を見て考えていたが、やがてファルトアスの目を見て答えた。
「……大丈夫だぜ、兄上は、父上みたいにはならない。俺がそうならなかったようにな」
問いから随分離れているのに、核心を突いた答えに、ファルトアスは息を飲む。
幼いばかりだった弟が、いつこんな、答えをするようになったのか。
「あと、何で結婚したかって、そりゃあ、愛してるからだよなあ、マリラ」
「なな、何を人前で言っているのよ!」
マリラは真っ赤になって慌てる。熱をもった頬に、リディナが小さな手で、きゃっきゃっと笑いながら触れた。
弟夫婦は、来た時と同じく、〈転移〉の魔法で帰っていった。
急に静かになった部屋で、ファルトアスとレイチェラは、再び肖像画の山と向き合っていた。しかし、その表情は、二人とも先程とはだいぶ変わっている。
「……結婚、しようかしら」
ぽつりと、レイチェラが呟いたのを、ファルトアスは無言で流した。