番外編:故郷再び
後日談。ジェスが戻ってから、少し後の話。
「しまったああああー!!」
ギールの街、いつもの冒険者の店で、マリラは叫んでテーブルに突っ伏した。
あまりの大声に、一緒にテーブルを囲んでいたジェス、ライ、アイリスだけでなく、周りの客もぎょっと振り向く。
「どうしたの……?」
「い、行かないと……」
「は?」
マリラはぷるぷる震えていた。
「マームの村に行かないと……」
赤の山から数日後。
ギールの街で十分に休んだジェス達は、目的地を決めようと、地図を広げて話していたところだった。
そこで突然、マリラが何かを思い出して叫び、震え出した。
「マームの村って、マリラさんの先生が、いらっしゃるとこですよね?」
リドルは、賢者の杖を修理してくれた魔法使いだ。今はマームの村で、学校を開いている。
「う、うん。先生にね、杖のことを報告しないといけないわけ……杖はもう使えない状態だから、大丈夫ですって」
マリラは、杖の欠片――木彫りの蛇の頭を、取り出した。杖はあの時、山で粉々に砕けてしまい、もはや復元は不可能だ。
しかし、マリラはそれをリドルに報告する義務がある。
「元々、ジェスの件が済んだら、この杖は折って返すことになってたのよ」
「じゃあ、行けばいいだろ? 別にそんな、慌てることでもないし……」
ライが聞くと、マリラはがっくり項垂れた。
「行きたくない……」
「マリラ、何かあったの?」
ジェスがマリラを心配そうに覗き込む。マリラは、恥ずかしそうに話し出した。
「うう……。実は、あの村、私の出身なのよ」
「つまり、自分の父親に、啖呵切って別れの挨拶をしてきたくせに、すぐまた顔を出すのは気まずいと」
珍しく要領を得ないマリラの話を、ライが簡潔に要約すると、マリラは顔を赤くして怒った。
「何でそう、はっきり言うのよ!」
「いや、言うだろ」
ジェスとアイリスは、納得がいかないような、ちょっと困った顔をしている。
「マリラが会いに行ったら、お父さん、喜ぶんじゃないかなあ」
「お別れなんて、そんな寂しいこと言わなくても……」
しかし、マリラは頭を抱えて唸っている。ライは仕方なく助け船を出した。
「俺は分からないでもないな。俺もその辺複雑だし」
ライも実家に関しては複雑な事情を抱えている。のこのこ顔を出したら締め上げられる程度には。
ライは、地図をとんとんと指で叩いた。マームは田舎の小さい村なので、地図に載っていない。
「マリラには道案内でついてきてもらう必要はあるが、まあ村の近くで待っててもらって、杖の報告自体は俺達ですればいいだろ」
「ライ!」
マリラが期待に満ちた目で、ライを見る。
そこでライは、ちょっと考えた。
「いや……他の方法もあるな」
数日後。マームの村に訪れたジェス達一行を、エデルやリドル達は、喜んで出迎えた。
「お久しぶりです、エデルさん」
「ジェス!」
エデルは、鎧ではなく、動きやすい村人の服を着ていた。武器も、短剣を一本提げているだけだ。
エデルは、ジェス達の顔を見渡した。
「皆も、元気そうで何よりだ……ん? マリラはいないのか。それに、彼は初めて見るが……」
一行の後ろにいる、金髪の小柄な男性を見て、エデルは首を傾げた。
魔法使いらしく、ローブを着ているが、やたらと筋肉が盛り上がり、戦士のようである。ぱっと見、職業が分からない。
「はじめまして。マリオです」
アイリスとジェスは、慌てて口を抑え、下を向いた。
「ん?」
「き、気にしないで下さい……」
二人は、吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。ライも、平静を装っているが、ちょっと口元がにやけている。
金髪の魔法使いは――マリラが魔法で男に変身した姿だった。
ジェスから、杖の破片を受け取ったリドルは、頷いてそれを返した。
「確かに確認しました。元より、君達を疑ってはいなかったが、しかし、誰の手に渡るとも限らないですからね。安心しましたよ」
「杖を直してくれて、ありがとうございました」
ジェスはリドルに頭を下げた。
「いえ。それより――マリラは、何故そんな姿を?」
「えっ」
マリラ改め、マリオは硬直した。
ジェスやアイリスも、驚いてリドルと男の姿のマリラを交互に見る。
ライは苦笑した。皆、図星を突かれた時の反応が素直すぎる。
「え、あ、あの……その……何で、お分かりに?」
「君達の雰囲気を見ていれば分かりますよ」
リドルは平然と言う。ライは素直に感心した。
「……慧眼だな。なら、マリラがわざわざ変装している理由も説明はいらないだろ?」
ライが言うと、リドルは複雑な表情をした。
「……せめて、エデルには顔を見せてやって下さい。彼女はあなたに会いたがっていますよ」
「……すみません、先生」
マリラは素直に頷いた。
ジェス達がリドルの家を出ると、エデルが鎧を着て立っていた。腰には剣を差している。
村娘のような女性らしい格好も、美人のエデルにはとても似合っていたので、アイリスはちょっと残念に思った。
「あれ? エデルさん、どこか行くんですか?」
まるで魔物の討伐でも行くような恰好のエデルに、ジェスが尋ねると、エデルはちょっと顔を赤くした。
「……いや、その、すまない。ジェスに会えたと思うと、つい手合わせしたい気持ちが抑えきれなくてな。そっちの都合も聞かず、準備をしてしまった……」
「え、僕と手合わせ、ですか?」
ジェスはちょっと頬をかいた。
「この前のは、魔法を使ってたようなものなのですから。単純な剣技なら、エデルさんの方が上ですよ」
この前の、とはバーテバラルの山の上でのことだ。そこでジェスはエデルを負かしたのだが、竜の魔法力を使って戦っていたので、剣の勝負として数えるには反則だと思っている。
「いや、勝ち負けとかはいいんだ。その……何だろうな、単純に、ジェスと剣の試合が楽しめればいい」
マリラは内心嘆息した。美人のエデルが照れて顔を赤くする様子は大変愛らしいのだが、あれでジェスへの感情は単なる尊敬なのだから、罪作りである。
しかし、人間の女性に興味のないジェスも、気にした様子はない。
「そうですか? じゃあ、喜んでお付き合いします」
ジェスは剣を抜いた。白銀の刀身が、太陽の光を受けて明るく光る。
エデルも両手にレイピアを構えた。ちら、と二人がライに視線を向ける。
ライは仕方なく手を上げ、試合の合図を出してやる。
「始め!」
ライが言うと同時に、二人は飛び出した。一気に距離を詰め、激しく打ち合い始める。
鋼のぶつかる音が、絶え間なく響く。
「あら? ジェスの方も、魔法剣を発動させないで、エデルに付いてってるじゃない」
マリラが言うと、ライがマリラを小突いた。
「おい、野太い声で女言葉が出てるぞ」
「あっ」
「……ま、魔法剣なしでも、ジェスの腕は、確実に上がってるよ」
村人達も、剣のぶつかる音を聞きつけ、作業の手を休めて、集まってきた。感嘆の声を上げ、二人の動きに見入る。
ライもしばらく、二人の打ち合いを眺めていた。いい勝負だ。見ていたい気持ちもあったが、ライはそっとそこを離れた。
ライは、村の端にある、小さな家を訪ねた。家の横では、初老の男性が、薪を割っていた。年老いた男性にはきつそうだ。
「……手伝いますか?」
ライが声をかけると、男性はライを見て、警戒するような目を向ける。
「……君は」
「見ての通り、冒険者ですよ。マリラには世話になってます」
マリラの名前を出した途端、男の動きは止まった。
「何の用だね?」
「……挨拶、ですかね」
ライはそう言いながら、目の前の男性――マリラの父親を見た。
エデルの友人である、冒険者達が来ていることは、小さな村ではとっくに知れ渡っている。
娘(男装しているが)が来ていることは、想像がつきそうなものだ。
大した娯楽もなさそうな村だ。だから、エデルとジェスの剣の試合を、村人達はこぞって見に来ているのに、彼はこうして淡々と薪割りなどしている。
(意地っ張りは、父親譲りかねえ……)
だが、恐らく容姿は母親譲りだろうな、と、勝手にそんな事を想像した。
彼が斧を手にしたまま黙っているので、ライは仕方なく話を振った。
「マリラに伝えることはありますか?」
「……いや、私は今更、父親らしいことを言っても仕方ない」
「父親らしいこと、ですか……」
ライは頭をかいた。ライの父親は国王だった。立場上仕方ない面もあっただろうが、ライも、自分の父親に、普通の家庭らしい、父親らしいことはされたことはない。
「……じゃあ、俺を殴ってみますか?」
甲高い金属音と共に、ジェスの剣が、エデルの右のレイピアをはたき落とした。
しかしそれと同時に、エデルの左のレイピアが、ジェスの喉元まで迫っていた。
「……ここまで、ですね」
「ああ」
二人とも息を弾ませていた。勝負は、エデルの勝ちということになるが――どちらが勝ってもおかしくはないほど、実力は拮抗していた。
もう少し長引けば、体力の差でジェスが勝てたかもしれない。
二人を囲んでいた村人達が、称賛の拍手を送る。観客に気付いていなかったジェスとエデルは照れた。
「お疲れ様です」
アイリスが、二人に汗を拭うハンカチを渡す。ジェスは汗を拭い、エデルと握手した。
「楽しかったです。また、機会があれば」
「こちらこそ」
マリラはそんな様子を、少しほっとしながら見ていた。すると、どこからかライが戻ってきた。
「あ、終わったのか? どっちが勝った?」
「あら、見てなかったの?」
ライは苦笑する。
「ちょっとな」
マリラは、ライの持っている包みに目を向けた。小さな、布の包みだ。
「何、それ」
「ん、貰った」
「誰から?」
ライはそれには答えず、ぽんぽんとマリラの頭を撫でた。
娘さんをください。
そう言ったライが貰ったのは、拳ではなく――乾かした聖母草の包みだった。安産の象徴である、母と子のお守り。
「気が、早い気もするな……」
マリラに、この包みの中身と送り主を教えてやるのは、しばらく先だろう。
ライは包みをそっと荷物の底にしまうと、仲間達のもとへ歩き出した。