158:青空の下
青い空を、白い雲がゆっくりと流れていく。
ジェス、ライ、マリラ、アイリスの四人は、柔らかな草の生えた野原にいた。天気が良くて暖かい。
そこで四人は野原に座り、バスケットに入れたサンドイッチを食べていた。
アイリスはナイフでくるくると果物の皮を剥いて、皆に渡した。マリラは魔法で一瞬のうちに湯を沸かすと、お茶を淹れていく。ジェスはサンドイッチを頬張っていた。
そんな仲間達を見ながら、ライはふっと笑った。
赤の山の頂上で、ジェスは落ち着くと、竜の記憶について仲間達に伝えた。言い訳にしかならないとは思うが、攻撃してしまったのは確かだ。
マリラは驚く。竜が祖先から記憶を受け継ぐとは、どの文献にも書かれていなかったことだからだ。
「だって、竜の先祖代々の記憶ってことは、世界創世の時からの遥かな記憶があるってことでしょう? その情報量を思えば、流されても当然だわ……」
「だけど――所詮は、僕の記憶じゃないんだ」
ジェスはそう言って、首を振る。
何千年、何万年とも知れない記憶より、自分が見てきた十八年の記憶が、ジェスにとっては大事だった。
だからジェスは――今の仲間を選んだ。
「ん、それより、さっさと山を下りるぞ」
「そうですね……さっきの強い光は遠くからでも見えたはずです。竜がいると噂になっているんですから、冒険者が押し寄せてこないとも限りません」
そして一行は、相談の末、山を南側に下り、アルテミジア修道院を経由してから、ギールの街に戻った。山から南東に進んで真っ直ぐギールに戻るよりは、他の冒険者達を避けられると考えたからだ。
しばらく、ギールの街は混乱していたらしい。竜を求めて集まってきたのに、その竜が忽然と消えてしまったのだから。
まあ、まさかその竜が、今ここで人間の姿をしているとは誰も思わない。自然と噂は消えていったことを聞き、ライ達は胸を撫でおろした。
四人はそれから、ギールの街に滞在しているが、普段のように積極的に依頼を請けたりはしていない。
何しろ、ここしばらくはずっと駆けずり回っていたのだ。
ゆっくりして、次にどこに行くかはそれから考えよう――ライがそう言うと、全員が頷いた。どうやら、考えていたことは四人とも同じだったらしい。
そういうわけで、四人はこうして、仲間達でゆっくりと、街の近くの草原で、お弁当を食べながらのんびりとしていた。
昼ご飯を食べ終わると、アイリスは白い花がまとまって咲いている場所にジェスを誘って向かった。
お腹いっぱいになったジェスは、ごろりと草原に寝転がる。花が揺れ、優しい香りがふわりと降ってきた。気持ちが良くて、このまま昼寝してもいいなと思う。
隣にアイリスが座り、近くの花を摘んで、花輪を作り始めたが、ちょっと悪戯っぽく笑うと、ジェスに小さな声で言う。
「そうです、ジェスさん。ライさんとマリラさん、やっと恋人同士になったみたいです」
「え?」
ジェスはアイリスの言葉に、驚いて目をぱちくりとさせた。
ちょっと上半身を起こして、さっきいた場所を窺うと、ライとマリラは楽しげに二人で話していた。
……確かに、そう言われてみれば恋人同士のように見えなくもないが、もともと自分達は仲がいいし、ジェスはまったく気付かなかった。
ジェスは再び草の上に寝転がると、青い空を見上げながら笑った。
「水臭いなあ。言ってくれればいいのに」
「私にも、何も言いませんけどね」
マリラは恥ずかしがり屋なので、なかなかそうは言わないだろうとは思う。
「そっか……うん、お似合いだよね」
「はい」
アイリスは笑って答える。なるほど、それでアイリスは二人に気を遣って、自分を連れ出したのだろうと見当がついた。
ジェスは目を閉じた。
風が静かに吹き抜ける。心地よい沈黙だった。
しばらくして、ジェスはアイリスに話しかけた。
「……ねえ、アイリス」
「はい」
「僕、どこかで自分が竜だって、気付いていたのかもしれない」
ジェスは空に向かって手を伸ばし、太陽の光に翳す。
五本の指を持つ人間の手に、赤い血が流れるのが見える。――だけど、今のジェスはその中に、竜としての力強い鼓動を確かに感じ取っている。
「僕には、やっぱり、世界中を巡りたいっていう気持ちがあるんだ。どうしても一つの場所に留まることができない。それは、僕が――竜だからだと思うんだ」
いくら人間の姿をしていても、ジェスには竜としての本質がある。
大空を縦横無尽に翔ける竜に、人の街は、狭すぎる。
そして――人より遥かに長い年月を生きていく。
長命の生き物は、生まれてすぐは急激に成長するが、その後の変化は緩やかになる。
ジェスは生まれて十八年ほどのまだ若い竜だから、気にはならなかったが――そのうちに、人間の姿を取っていても、成長が止まったようになるだろうというのが、マリラの見解だった。
そうなれば、いつまでも年を取らないジェスは、人の街で、人間と共に過ごせはしない。
「だから――僕は、旅を続けてきたのかもしれない」
どこか寂しげな響きの声に、アイリスは優しく答えた。
「それもあるかもしれませんけど――」
旅の中、たくさんの場所を、一緒に見てきた。
美しい湖の上の都市を。
砂漠の遺跡と、地下に造られた金色の花畑を。
霧に包まれた幻想的な森を。
どこまでも続く大海原を。
広大な大地と、活気あふれる街を。
水晶に光輝く洞窟を。
雲海の上から眺めた輝く山々を。
それら、仲間と見た一つ一つの景色を、大切に思い出しながら、アイリスは言う。
「ジェスさんは、私と同じで、旅が好きなんですよ」
ジェスは瞳を開いた。黒に銀の散った双眸が、アイリスを見る。
アイリスは、微笑んでジェスを見下ろしていた。
「私も、もっともっと、世界を見てみたいです。だから、連れて行ってくださいね。ジェスさんだけが世界を見られるなんて――ずるいですよ」
風が、アイリスの水色の髪を流した。
それは、晴れた日の空と同じ色をしていて、見上げるジェスには、まるでアイリスが、広い空に溶け込むように見えた。
「――そうだね」
ジェスは――笑った。
「ジェス、アイリス、そろそろ行くぞー」
ライとマリラが、二人を呼んで、こちらに歩いて来た。
アイリスは手を振り、ジェスも体を起こした。
「……行こうか」
ジェスの言葉に、アイリスは笑顔で頷く。
四人の上には、晴れ渡った青い空が広がっていた。
これにて本編は完結となります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
王道ファンタジー世界、自分自身、書いていてとても楽しかったです。
最初は、気軽にファンタジー世界の日常風景をを書き始めただけなのですが、あれよあれよとなかなかのボリュームのある長編に。
次々に設定を繋げて、仲間たちが手を取り合う、一つの物語となりました。
ジェス・ライ・マリラ・アイリスの四人、そして重要なサブキャラであるエデル・ベルガ・ザンドに至るまで、彼らは「家族」をそれぞれの形で失っています。
だからこそ、仲間たちは強く手を取り合う。そして、それぞれの運命に打ち勝っていく。
生まれてくる場所は選べない。だけど、生き方は選べる。――なんてことは、恥ずかしくて言えない。(笑)
おまけとして、後日談をちょっとだけアップします。