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青空の冒険者  作者: 梨野可鈴
最終章 空を翔ける冒険者
157/162

157:名を呼ぶもの

 ジェスさんと、戦ってください――

 そう、言い放ったアイリスは、〈護り〉の呪文を唱え、黒竜のブレスの前に、透明の壁を作り上げる。

「無理よ!」

 攻撃の威力が高ければ高いほど、対抗する壁を作り出すには術者に負荷がかかる。マリラは、闇のブレスの攻撃力から想像して、アイリスの力ではそれを受け止めきれないと考えた。

 しかし――マリラの予想に反し、闇の炎は、ライとマリラに届くことはなく、上に向かって逸れた。

「……そうか……」

 炎が、自分達の前で防がれるのではなく、上に逸れたのを見て、ライは気付く。

 アイリスは、壁を垂直に張ったのではない。斜めに受け流すように張ったのだ。

 さらに素早く、ライに向かって、〈癒し〉の呪文を唱える。ライの傷が回復していく。

 アイリスは、自分と黒竜とライを頂点にした、三角形を作るような位置に移動していた。どちらにもすぐ魔法をかけられるぎりぎりの距離だ。

「……アイリス」

 ライは、アイリスがずっと戦いに参加していたことに、今更ながら気付く。竜の尾の攻撃をまともに受けて、この程度の傷で済んだはずがない。アイリスが、咄嗟に魔法で援護していたのだ。

(とはいえ、防ぎきれなかったようだが……)

 マリラの魔法の援護は期待できない。マリラには、できるだけ早く〈変化〉の呪文を完成させてもらい、この戦いを終わらせなくてはいけない。精神力を温存するためにも、これ以上魔法は使わない方がいい。

 ライは、小声でマリラに声をかけた。

「ありがとう。後は、〈変化〉の呪文に集中してくれ」

「……ライ」

 心配そうに言うマリラに、ライはちょっと口の端を吊り上げて笑ってみせた。

 そしてライは、折れて短くなった風切りの剣を、鞘に収めた。そして、目の前の黒竜を見据える。

「行くぜ、ジェス!」

 ライは地を蹴り、一直線に走り出した。

 そして――ライは、腰から一振りの剣を抜く。

 白銀の刀身は、ライが振るった一瞬だけ、白と緑の輝きを宿した。

 ライの手に握られているのは――ジェスの魔法剣だ。


「ライさん!」

 アイリスが〈祝福〉の魔法を、ライの持つ魔法剣に向けて唱える。ライの剣が聖なる輝きに包まれた。

 竜の口から黒い炎が吹かれる。ライはそれを左に飛んで躱す。広範囲に向けられた炎は、一跳びで避けきれるものではないが、ライの右側に、アイリスが障壁を張り、ライにかかる部分の炎を弾き返す。

 一気に黒竜の懐に入ると、押しつぶす勢いで、竜の爪が振るわれた。体が大きい割に速い。だが、ライはそれを避けながら、更に竜の体に近付き、剣の柄を両手で握ると、思いきり横薙ぎに振るった。

 輝く剣が、鱗に守られていない竜の腹にぶつかる。無敵の防御力を誇る鱗に弾かれない一撃は効いているようで、黒竜が呻くように吠えた。

 素早い動きで続けざまにもう一撃を叩き込む。だが、その剣は竜に痛みを与えながらも、血を流させることはない。

(アイリスの〈祝福〉か――)

 聖なる力を宿した剣は、歪んだ存在である魔物に対しては、絶大な攻撃力を持つ。

 しかし、聖なる力は、本来、生きとし生けるものを愛し、慈悲を与える聖龍の力だ。その力が、生命を傷付けることはない。

 つまり、この聖剣は、命あるものを傷付けることはない!

 竜の尾による攻撃が来る。ライはその巨大な尾を避けるため、黒竜から距離を取るのではなく、体ごと黒竜にぶつかっていく。竜は巨体ゆえ、近づいてきた相手には攻撃がしにくい。

「はああ――っ!」

 隙を逃さず、更にライは、竜の膝を蹴って飛び上がり、ドラゴニア剣術の流れるような動きで、攻撃の構えに入る。

 ライに足りなかったのは、ジェスと戦う覚悟だった。相手を傷つけないように戦おうとすれば、どうしても動きが制限されて、その動きが鈍る。

 だが――アイリスの言葉を聞いて吹っ切れた。

 ジェスと戦う。それは、ジェスを相手に戦うということじゃない。

 ジェスと共に戦うということだ。

「これくらい耐えろよ、ジェス!」

 お前は、俺が認めた相手なんだからな!

 光の剣が、再び竜の腹を叩く。


「……っ」

 限界まで、精神を集中させ、魔法を練り上げる。

 賢者の杖の先に、力が集まっていくのが分かる。凄まじい力が、杖から放たれようとしていた。

『――彼の者を、人間の姿に変え給え』

 呪文を唱え続けながら、マリラは――目の前で、ライとジェスが戦う光景に、二つの光景を思い出していた。

 一つは、ジェスとライが、剣の稽古で手合わせをする光景。仲がいいからこそ、全力でぶつかり合う、その二人の姿。

 そしてもう一つは――いつか見た、ドラゴニアの歴史に語られる、古い言い伝え。

 ドラゴニア初代の王は、剣を以って、竜にその力を認めさせ、竜との友情を勝ち取った。

 目の前の光景は、遠い物語の挿絵を見ているようで。


「はあっ!」

 ライが、飛び上がって、更に剣を押し込む。

 そして、竜が一歩後退した瞬間に、ライは折れた風切りの剣を抜いて、その短くなった柄だけの剣を、真上に放り投げた。

「アイリス!」

「はい!」

 アイリスが、風切りの剣に向け、〈祝福〉の呪文を唱える。

 祝福された剣の欠片は、光の魔法もかくやというほどの強い光を放ち――黒竜の目を眩ませる。

 黒竜が目を閉じた、その瞬間を逃さず、マリラは呪文を放った。凄まじい力の奔流が、七色の光となって、黒竜を包み込む。

『ぐっ、ぐあああああ』

 山を揺るがすほどの咆哮を上げ、黒竜が悶え苦しむ。しかしマリラは、更に賢者の杖に、自分の精神力を注ぎ込んだ。

「抵抗しないで、ジェス! 人間の時のことを、思い出して!」

 ライは、魔法に巻き込まれないように離れながらも、黒竜に呼び掛けた。

「ジェス!」

「ジェスさん!」

 アイリスもまた、ジェスの名前を呼ぶ。

 虹色の光に包まれながら、黒竜は叫んだ。



 深く、深く沈む意識の中で、ジェスはその声を聞いた。

 ――ジェス! ジェス! ジェスさん!

(……。)

 ジェスは、目を開ける。

 体を回転させ、宙を蹴り、声のする方へ――上へと泳ぐ。ぷはっと息をして、水面から上に顔を出すと――そこには、相変わらず真っ黒な空間で、水面の上に立つ黒竜がいた。

(……。)

 黒竜は、上を見上げている。

 仲間達の声が、その何もない空間に、響いていた。声がするたび、水面には波紋が浮かぶ。

(……僕の名前を、呼んでいる)

(そうみたいだね)

(呼んで、くれているんだ)

 ジェスは、濡れた手で目を拭うと、再び水面の上に立ち、黒竜に向かい合った。

 黒竜は、ジェスを見下ろすと、首を傾げるようにする。

(君は竜だ。例え人間の姿を取ろうとしても、それだけは変わらない事実だよ)

(分かってる。僕は竜だ)

 流れ込んだたくさんの記憶を、ジェスは受け止めている。もはやジェスにとっては、竜の体の動かし方も、魔法の力の使い方も、慣れたものだ。世界に関する知識も――当たり前のように馴染んでいる。

(でも、ライも、マリラも、アイリスも――竜である僕を、呼んでくれている)

(……。)

(あとはもう、僕が選ぶだけなんだ)

 ジェスはそう言って、ゆっくりと黒竜に近付いていき、黒竜に触れた。触れた瞬間、ジェスの体と黒竜の体の輪郭はぼやけ、重なり――一つになる。

 黒竜は――ジェス自身は、何もかも分かった顔で、それを受け入れた。

(――竜は本来、名前を持たないものだ)

(うん。だから、名前を呼んでもらえる僕は――幸せなんだと思う)

 記憶を共有し、始祖たる龍に連なる竜は、個々を表す名を持たない。

 ――ジェス、ジェス!

 ――ジェスさんっ!

 仲間が自分の名前を呼ぶ声は、今も響いている。ジェスは、その声に応えた。

「今、行くよ」

 人と竜が重なった時――そこに残ったのは、人の姿のジェスだった。



 バキバキと激しい音を立てて、七色の光を放出し続ける賢者の杖に、異変が起きた。

「あっ……!」

 折れた杖と繋ぐ繋ぎ目に、亀裂が入る。マリラは慌てて、そこを握るようにして繋ぎ止めた。

「駄目……! もう少し……!」

 マリラが、どうにか杖の出力を制御しようとする時、黒竜の体を包む光が、一際大きく膨らむ。杖から力を放出するのではなく、黒竜の方へ、力が吸い込まれていく。そんな錯覚を覚えるほど――杖はますます強く光を放った。

「!」

 黒竜を包んでいた光が、空に向かって突き上げるように放たれる。光の柱が雲を突き抜けると同時に、マリラの手の中で、賢者の杖は粉々に砕けた。

「あっ……」

 木片が舞う。だが、その先で、光の中――黒竜の影が、みるみる縮んでいくのが見えた。

 巨大な翼や尾は畳まれるように吸い込まれ、手足は細長い人間のそれになる。

 光の中に浮かぶ影が、完全に青年のそれになった時――光は全て天に吸い込まれ、消え失せる。

 光の中心から表れたのは――三人がよく知る、黒髪の青年。

「ジェス!」

 気絶したように倒れ込むジェスを、ライが駆け寄って支えた。マリラとアイリスも走って近付き、その横から顔を覗き込む。

「うっ……」

 ジェスは小さく呻くと、目を開けた。その目は漆黒だったが、その奥に、星のような銀色が舞っていた。

 三人は、緊張して、ジェスの言葉を待った。

 やがて、ジェスは――自分を見上げる三人の顔を見て――夜空のような双黒の瞳から、静かに涙を流した。

「……僕は、……」

 ジェスは、言葉が続かなかった。

 竜として、三人を攻撃していた時のことを、覚えていたからだ。遥かな記憶に流されて、自分自身の記憶を見失っていた時のことが、後悔として押し寄せる。

 そんなジェスを安心させるように、マリラは微笑んだ。

「大丈夫よ、ジェス」

 ライは軽くジェスの肩を小突き、肩を竦める。

「ああ、俺たちは仲間だろ」

「みんな――」

 震えるジェスの手を、アイリスは優しく取った。

「ジェスさん、おかえりなさい」

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