156:竜との戦い
ライ、マリラ、アイリスは咄嗟に地面に伏せて、竜の攻撃を躱した。
「おい、あれ――ジェスだろ?」
「ええ……だけど」
マリラは、信じられない思いで、自分達を攻撃してきた黒竜を見た。
『何用だ、人間』と――黒竜は確かにそう言った。
それは明らかに、竜としての呼びかけ方であり、自分達に向けたものだと思えなかった。
「ジェスは、私達のことが……分からないのかもしれない……」
「そんな!」
「やばい、次来るぞ!」
黒竜は、口を開けて、黒く渦巻く炎をその前に作り出した。竜が念じると共に、激しい炎が三人のいる場所目掛けて放たれる。
三人は走ってその炎を避けた。寸前で闇の炎の塊が着弾し、三人の居た場所に、大きく抉れた穴が開く。
当たればひとたまりもない。だが、ディーネで、竜の息の圧倒的な破壊力を見ていたライとアイリスは、違和感を覚える。
攻撃の威力からして、手加減されている気がしたのだ。
ライ達は、距離を取りながら、黒竜を見る。
『ここから去れ。人間』
それを聞き、マリラはまだ話し合う余地があると判断する。
今の攻撃は、あくまで威嚇であり、こちらを殺そうとしているわけではない。
「待って、私達は敵じゃない!」
マリラは必死に叫んだ。
「思い出して、ジェス! 私よ、マリラ! ライもアイリスもここにいるわ!」
マリラが叫んだ瞬間、黒竜の銀の瞳が、一瞬何かに迷うように揺らぐ。アイリスも、マリラに続けて、ジェスに呼び掛けた。
「ジェスさん!」
黒竜は、激しく頭を振り、地を踏み鳴らした。その振動で、いくつかの岩が斜面を転がり、遥か下まで落ちる。ライ達も、足場の悪い山の斜面で、咄嗟に姿勢を低くして、手をついた。
「お、おい、ジェス! そんな激しく動いて、こんな場所で山崩れでも起きたらシャレに……」
その言葉は、竜の咆哮によって遮られた。
『何故だ!』
その声の衝撃で、またパラパラと小石が落ちたのだが、巨大な黒竜はそんなことを意に介さない。
『何故だ……! 何故お前達を、見ていると……!』
激しく苦しむように、黒竜は巨体を揺らした。
アイリスはその光景を見て、胸を押さえた。
「ジェスさん、苦しんでる……?」
「よく分からないけど――もしかしたら、竜としての意識と、人としての意識が、ジェスの中で矛盾しているのかもしれない」
マリラが他の動物に変身した時も、変身直後は、体の動かし方などに違和感を覚えた。
「ディーネでの話を聞く限り、ジェスは竜の本能に目覚めているはず。竜も人間も知能は高いけれど、竜は創造主に近い存在だから、人間の意識とは相反する部分があるはず」
「……っ、ちっ、だったら」
ライは、黒竜から視線を外さないまま、マリラに言う。
「ええ。そのために来たんだもの」
マリラは、細長い包みを取り出し、覆っていた布を外した。双頭の蛇が絡みついた杖が、姿を表す。
「――ジェスを、人間の姿に戻すわよ」
マリラは杖を、黒竜に向け、呪文を唱えようとした。
だが、その瞬間、黒竜の炎が、マリラの視界に迫った。
「くっ!」
ライは咄嗟にマリラを横から突き飛ばすようにして跳んだ。
マリラを抱えながら受け身を取り、間一髪で炎を避ける。
『我を害するつもりか、人間!』
「違う、私は」
『今すぐここを去れ、さもなくば――』
黒竜の口からは、白い煙が上がっていた。恐らく、あの口の中には、高熱の炎が練り上がっているに違いない。
『我は――貴様らを滅ぼすしかない』
「……この野郎っ!」
竜の言葉の意味は分からなかったが、あきらかに黒竜が攻撃姿勢を取ったのに、ライは身構えた。
「……マリラ、〈変化〉の呪文は、すぐ唱えられるか」
「精神をかなり集中させないといけない……ある程度、隙ができないと……」
「ちっ……」
ライは、アイリスが岩陰に隠れているのを横目で見た。
「俺が飛び出して気を逸らす。その間に、ジェスに魔法をかけてくれ」
マリラは、両手で賢者の杖を抱えて頷いた。
ライは、風切りの剣を抜くと、ジグザグに走りながら、飛び出した。
放たれた闇の炎が、ライの少し手前に落ちる。ライはそれをバックステップで跳んで躱し、できるだけ黒竜に近付く。
竜の爪が、振るわれる。一本一本が、首狩り斧よりも大きい竜の爪だ。ライはそれを受けることはせず、ドラゴニア剣術の足捌きで紙一重で避ける。
「はあっ!」
気合を込めて、大きく突剣を振りかざす。だが、攻撃をするつもりはない。これはあくまで陽動だ。
黒竜は、人間の攻撃など避けるに値しないと見下ろす。ただその翼を激しく打ち震わせた。
風が逆巻き、山の斜面に沿って、下向きの強い風が吹き付ける。ライは風圧で転ばないよう、咄嗟に剣を足元に突き立てて、その場に踏ん張る。
「くっ……」
動けなくなった一瞬、竜の尾が鞭のようにしなって、ライを横から突き飛ばす。
「!」
避けきれない。
次の瞬間、ライの体は、巨大な尾に叩かれ、宙に打ち上げられた。
「ライ――!」
マリラの絶叫が響く。マリラは咄嗟に〈変化〉の呪文の詠唱を止め、賢者の杖から黒檀の杖に持ち替えると、素早く〈水流〉の呪文を唱えた。
杖の先から水が吹きあがり、大きな水球を作る。落下するライが、岩盤に叩きつけられる前に、受け止めると、水は弾けた。
「ライ、しっかりして!」
マリラがライに駆け寄る。
ライは荒い息をしながら、マリラの肩を借りて、どうにか立ち上がる。かなり激しく打ち付けていて、体の右側が強く痛んだ。
「く……」
仕切り直しか、とライは再び、剣を構えようとする。
しかし――その剣は、真っ二つに折れていた。
「なっ……!」
剣を地面に突き立てた状態で、横から強く殴られた。その時の衝撃で、剣が折れたのだ。一撃で名剣をへし折るほどの攻撃だったことに、ライは今更衝撃を受ける。
呆けている場合ではない。そう頭を切り替えて、黒竜に再び向き合うが――その黒竜は、大きく口を開け、闇のブレスを吐き出そうとしているところだった。
「……っ!」
ライの脳裏をよぎったのは、ディーネの都で、黒竜の攻撃を受けた時のことだ。
全身が一瞬で潰されるほどの衝撃は、魔物の攻撃の比ではなかった。
竜が吠える。叫びと共に、黒い炎が、自分に向かって吐き出される。咄嗟にマリラを背に庇いながらも、傷ついた足は動かなかった。
今まで戦ったどの魔物とも違う、圧倒的な力を感じた。
これが、竜の力。
(……まるで、歯が立たない)
ここまでなのか。
苦しんでいる親友を、助けることもできない。
愛する人を、守り抜くこともできない。
「……逃げてくれ、マリラ」
そう言おうとした、瞬間だった。
「戦ってください!」
山の頂上に、凛とした少女の声が響く。
アイリスが、その水色の髪をたなびかせ、白亜のロザリオを構えて、岩の影から飛び出して立っていた。
「ライさんのことは、私が守ります――マリラさんのことも、私が守ります――だから、だから!」
真っ直ぐな青い瞳で、少女は竜を見つめる。
「ジェスさんと、戦ってください!」