153:約束
赤の山の中腹で、三人は野営をした。
木が少ない山のため、木々の間に身を隠すことができない。落石の少なそうな場所を探し、念のため岩影に身を隠して休むことにした。
「見張り番は俺が先にやるよ。アイリスとマリラは寝ててくれ」
「ええ」
「ありがとうございます」
マリラとアイリスは、岩を背にして座ると、身を寄せ合って眠り始めた。すぐに、規則正しい寝息が聞こえてくる。
「……。ふう」
焚き火の揺れる光に照らされる二人の安らかな寝顔を見ながら、ライは息をついた。
二人とも泣き言など一切言わないが、相当疲れが溜まっているはずだ。男の自分でさえ、足場の悪い山を登るのに疲れているのだから。
「……。」
ライは空を見上げた。満天の星が、輝いている。
マリラが目を覚ました時、ライはそこにいなかった。
「あら?」
とうに東の空は、紫色に白みかけていて、夜が明け始めていた。はっとする。
「えっ、私、一晩中寝ちゃったの?」
マリラは慌てる。見張り番を交代でする時は、大体途中で起きる。そうでなくても、交代で起こしてくれるはずだ。
「ってか、何でライがいないわけ?」
マリラが慌ててきょろきょろと辺りを見渡すと、マリラに体を預けて眠っていたアイリスも目を覚ました。
「え……?」
アイリスも、夜が明け始めていること、そしてライがいないことを知ると、驚いたように目を瞬かせた。
「……火の番をお願いしてもいいかしら? 私、探してくるわね」
マリラは杖を掴んで、野営をしていた岩の影から飛び出した。
ライはすぐに見つかった。マリラとアイリスが眠っていたのとは少し離れた岩の上に座って、朝日が昇る方向を見ていた。
「何やってんのよ」
マリラはやや怒った様子で声をかけた。
「ん? ああ、マリラ」
「ねえ、寝てないんじゃないの? 何で起こしてくれなかったのよ」
マリラが腕組みをすると、ライは頭をかいた。
「悪い」
「や……寝てた私が言うことじゃないけど」
「いや、俺もうっかりしてたんだよな。考え事をしているうちにさ、いつの間にか朝になってて」
普段なら、星の動きでおおよその時間を知って、火の番を交代しているのだが、星を眺めながらも考え事に耽ってしまったライは、空の色が変わるのを見て慌てた。
「で、まあ、もう寝れねえなあと思って、太陽を見て目を覚まそうと思って」
「……馬鹿」
マリラはため息をついて、ライの隣に座った。
「眠れなくなるほど、何を考えてたのよ。また一人で背負うつもりじゃないでしょうね。言わないと」
「言わないと?」
「〈眠りの雲〉で無理に眠らせるわよ」
マリラは杖をちらつかせた。ライはおどけて肩を竦めたが、ため息をついて、話し始めた。
「ずっと考えてたのは、この先のことだ」
マリラは、黙って頷いた。
「ジェスが人間として――俺達といることを選んだとしても、全く同じようには、もういられない」
「……そう、ね」
ジェスが、仲間であることに変わりはない。だが、竜であるという事実を無視して、何もなかったようにはできない。
ジェスの中には、強大な力が宿っている。そして、人である自分達とは、明らかに違う時を生きていくことになる。
仲間として、その孤独を、一緒に受け止めていきたい。だが、人の身で、何ができるというのだろうか。
ライは、ずっと考えていた。
マリラは、そっと頷いた。すぐに答えが出る問題ではない。
「……ライ一人で考えることじゃないわよ。……それに」
「それに?」
「……ジェスに限ったことじゃないわ」
マリラは、隣に座るライの顔を見つめた。
「私達も、今は一緒にいるけど、いつかは離れて、別々の道を進まないといけない時が来るわ」
「……冒険者の、引退か」
ジェスの両親が冒険者を引退して、宿屋の経営を始めたのは、四十過ぎくらいだそうだ。平均よりはかなり年老いてからの引退だが、つまり、冒険者としてはそれくらいが限界なのだろう。
まだまだ先と考えることもできるが――いつかは必ず来る未来だ。
「そう……。正直、私はそのことを考えた時、皆と別れるのが辛いと思った」
「……。」
「けど――仲間じゃなくなる訳じゃ、ないのよね。もしジェスが竜として、この先、別々に生きることになっても、ジェスが仲間であることは変わらないって、思うことにしたの」
「……そうか」
だが、ライの顔は浮かなかった。
「ライ?」
「……ああ、くそ」
ライは髪をかき回した。どうしたのかとマリラが顔を除き込むと、ライは顔を逸らす。
珍しい反応に、マリラは首を傾げた。
「何か言いたいことがあるわけ? 言いなさいよ」
マリラはライの襟を引っ張って、顔をこちらに向けさせる。
「何でお前はそう、遠慮がないかな……いや、まあ、あれだ」
「何よ?」
「冒険者を止めても……その、一緒にいられないって限らないというか」
「ん?」
「だからまあ、……一緒に、いればいいんじゃねえかな、と」
「どういう事?」
ライはしばらく髪をかき回していたが、やがて覚悟を決めた。
立ち上がると、マリラの手を引いて立たせる。ちょうど上り始めた朝日が、二人を照らす。
「マリラ、ちゃんとよく聞けよ」
「何?」
マリラは、いつも通りの表情で、首を傾げている。
「この先、俺達が旅を止めて、パーティが離れることがあっても、俺は、マリラとだけは離れたくない」
「……え?」
マリラはそこで、自分の手がライの手と重なったままなのに気付いた。
「これからもずっと、俺と一緒にいてくれないか?」
「……え、」
何を今更――と言いかけた口が止まる。
マリラはライの真っ直ぐな瞳を見て、そして、握られたままの手を見て――顔から火が出るのではないかというほど、耳まで真っ赤になった。
「な、な、な、なな……」
「…………ぷっ」
俯いて慌てるマリラを見ていたが、ライは堪えきれず、吹き出した。マリラは、真っ赤な顔を上げて怒る。
「ちょっと! からかってるの?」
「いやいや。けど、そこまで動揺されると、俺が逆に冷静に……くく」
おかしくなって、ライは声を上げて笑いだす。マリラは真っ赤になって震えていたが、ライがあまりに、楽しそうに笑うのを見ていると、怒る気も失せてきた。
あの時と同じだ。
私を踊りに誘って、そして嬉しそうに笑った顔と。
マリラは呆れながら、ライに尋ねた。
「いつから?」
「ん?」
「いつから、そんなこと考えてたの」
「さあな。俺も分かんねえや。……で?」
ライはちょっと首を傾け、マリラに悪戯っぽく笑う。
「え?」
「で、どうなんだ?」
「む……。」
賭け事の時といい、ライは私には少し意地悪だ。
マリラは、ライと繋がれたままの手をほどいた。
そして、その手をライに向けて伸ばす。
途端、ライが嬉しそうに笑うのが見える。
胸に飛び込むより早く、抱き寄せられた。
「一緒にいてあげるわ。だって、ライ、危なっかしいもの」
「お前が言うか?」
マリラの頭の上から、聞きなれた声が降ってきた。それがどうしてか嬉しくて、マリラは目を閉じた。
帰りの遅い二人を待つアイリスは、超空気の読める子。