151:冒険者の店
行商人の馬車の荷台に乗りながら、ライはアイリスの話を聞いていた。
「ザンドがベルガと……まあ、俺達に迷惑かけさえしなければいいんだが……」
「大丈夫ですよ」
そう言い切るアイリスに、ライは何の根拠があるんだと聞く。
「うーん、穏やかそうな顔してました」
「アイツ、ほぼ表情なかったぞ?」
人の表情を読むのが上手いはずのライでさえそう思うのだが、奴は、アイリスには心を開いていたのだろうか。ライは嘆息する。
ライとアイリスの二人は、行商人の馬車に乗せてもらい、ギールの街を目指していた。ブラッタが上手く、街に滞在していた商人に口を利いてくれたのだ。
「今日の午後にはギールにつくな……」
「はい」
ジェスに関する有力な情報はまだ得られていない。まずはマリラと合流するのが目的だった。
「……マリラ、大丈夫かな」
「心配ですか?」
「ああ」
ライは素直に頷く。結果的に助かったが、ディーネの街で、ライは一度生死の境を彷徨っている。今までの旅でも危険なことは何度もあったが、それらとは訳が違った。
死ぬというのは、ああいうことなのか、と実感した。
旅をしているというのは――そんな危険と、常に隣り合わせなのだと、改めて思い知らされた。
そう思ってから――なぜか、ライの頭の中には、常にマリラのことがちらつくのだ。
(心配しすぎか? いや……絶対はないよな。万が一……いやいや)
大丈夫だと言い聞かせては、また思い出したように心配する。そんな感じで、時々虚空を見て物思いに耽るようになったライを、アイリスは何も言わずに見ていた。
およそ半月ぶりに見たギールの街は、いつもと変わらない賑わいを――いや、いつも以上に冒険者で賑わっていた。
「何だか、見慣れない感じの人も多いですね」
「ああ……」
腕に覚えのありそうな、歴戦の猛者――といった感じの冒険者が多い。ギールの街は、冒険者の街として有名だが、周辺の魔物も弱いし、冒険を始めたばかりの駆け出しの冒険者が最初に目指す街だ。
充分に経験を積んだパーティなどは、ドラゴニアや、フォレスタニア南西部など、危険だが高額の依頼が請けられる場所に行くことが多い。
「……とりあえず、冒険者の店に行こう」
ライとアイリスは、いつもの店を目指した。
ライとアイリスが、いつもの店に向かうと、店のテーブルは満席だった。
「食事でも、って思ってたが……まあ、いいか、マスター」
ライは、忙しく酒や料理を振る舞うマスターに声をかけた。
「ん? ライ君か」
「マリラ、来てないか?」
「ああ、彼女か――いや、ほら、そこにいるぞ」
「へ?」
ライとアイリスが、マスターの指さす方を見ると、マリラは必死の顔で、客の注文を聞いていた。
「ええ、ええっと、麦酒が五つ、揚げ芋が二つ、え、違う、豆の塩茹で?」
「姉ちゃん、こっちも注文」
「は、え、ふえ」
涙目になりながら、赤いリボンのエプロンに、フリルのスカートという、給仕の姿で走り回るマリラを見つけ、ライとアイリスは呆然とした。
「お、おい、マリラ?」
「げっ!」
げっ、て何だ。げっ、て。ライはため息をついた。
マリラは、自分の恰好を二人に見られたのが恥ずかしかったようで、客を放り出してばたばたと店の奥に走り去っていった。
「……な、何してたんでしょう、マリラさん」
ライは微妙な顔で腕を組みつつも――アイリスにも聞こえない程の小さな声で呟いた。
「……可愛い」
いつもの、魔法使いのローブ姿に着替えたマリラは、客が引いてきたところで、ライとアイリスと共にテーブルについた。
「私がここに来たのは三日くらい前なのよ」
「早かったな?」
「帰りは魔法で一瞬だったの。ライ達と合流しようにも、手紙が来てなかったから、仕方ないから、ギールで情報収集してたのよ」
「あ」
色々あって忘れていたが、そういえば手紙を送る手はずになっていた。ライは頭をかいた。
「悪い」
「で、マスターに、女一人でいるのは危ないってことで、ここの店に置いてもらってたのよ。ここにいれば冒険者が集まるから、情報収集になるでしょうってことで、その、仕方なく給仕として働いて……」
ライはマスターを睨む。マスターはグラスを磨きながら、明後日の方を見た。
絶対、忙しいからうまいこと言いくるめて手伝わせただけだ。
「それで、情報は集まったのか?」
「ええ……」
マリラの顔が、少し曇る。
「二人とも、この街の冒険者が多いと思わなかった?」
「はい。とても強そうな方が集まっていると……」
アイリスが言うと、マリラも頷いた。
「その通りよ。今この街では、竜を目当てにした賞金稼ぎの冒険者が、続々と集まってきている」
「なっ、そんなことに?」
ライは驚いた。
「ディーネは魔法都市よ。黒竜が現れた話は、通信用の魔道具を使って、もはやフォレスタニア全域に広がってしまっているのよ。そして、腕に覚えのある人が、竜を狙って集まっているの」
「――っ、おいおい……」
「街中の噂を集めたところによると、ジェスは今、『赤の山』にいるみたいね」
『赤の山』は、ここから北西にある山だ。休火山で、特別危険な魔物もいない。――腕に覚えのある者なら、すぐに辿りついてしまうだろう。
「できるだけ早く出発した方がいいな」
「ええ……今は冒険者達も、竜の強さを警戒して、そして分け前をどこかが独占しないように、できるだけ大きなパーティを組もうとしているところみたいなの。彼らがまとまってしまうと、かなりの強さになるはず。私達では止められないし、ジェスにも万が一のことがあるかもしれない」
ならば、それより先にこちらはジェス達の元に向かうだけだ。
何しろ――彼ら三人の目的は、ジェスを倒すことではない。
「よし、今日は山登りの準備をして、明日の夜明けと共に発つぞ」
ライが言って、三人は立ち上がった。
「あ、そうそう。ジェスの服も買わないといけないのよ」
「服?」
「ええ。人間の姿にしたら……多分、その時は、まあ、裸でしょうから」
ライとアイリスは、一瞬言われた意味が分からなかったが、すぐにああ、と頷く。
「そうですね。竜は服を着てませんから……」
「だよな……。よく気が付いたな」
ライが言うと、マリラは顔を赤くした。自分が素っ裸になってしまった経験に基づくとはとても言えない。
買い物に出ようとしたところで、アイリスが手を上げた。
「すみません、私は先に休んでいてもいいですか?」
「あら、砂漠越えは疲れた? ええ、明日も早いし、休んでいて」
マリラが言うと、アイリスはありがとうございます、と言いながら、笑顔で、ライに視線を向けた。
「……。」
ライは無言で、頬をかいた。
街で、山登りに必要そうな荷物や、ジェスの服を買っているところで――ふと、マリラがライに尋ねた。
「そういえばライ、ピアスはどうしたの?」
「……え?」
ライは自分の耳に手をやる。そして、言われて初めて、いつも付けているピアスがないことに気付いた。
ディーネで失くしたに違いないが、ライはそれを言うのが一瞬遅れた。マリラがずいと顔を近づけてきて、ライの耳を見上げたからだ。
「……あ、いや、失くしただけだって」
「耳に開けた穴さえ?」
「!」
ぎくりとした。
ピアスが無くなった原因は、ライが全身に大怪我を負い、耳が――ピアスごと千切れたからに違いない。その後、竜の血で完全に怪我は回復したが、再生した耳にはピアスの穴は開いていない。
「……いや、その」
うまい言い訳が思いつかない。というより、怒ったようなマリラの顔を見れば、大体の事情を察しているのは明らかだった。
(全身の装備を、変えてるんだもんな……)
そんなライに、マリラはくってかかる。
「ギールについて、手はず通りに、手紙が全然届いてないから心配したのよ! 何かあったんじゃないかって!」
「え、あ……ああ」
「何かあったんじゃないのよ! もう……!」
そう言って、ライを責めるが――その口調とは裏腹に、紫の瞳は忙しく揺れている。
「いや、まあ、俺も心配してたんだからな、いいだろ」
「何がどういいのよ!」
マリラを宥めながら、ライはふう、と息をついた。
胸のかきむしられるような不安を、そして、冒険者の店でマリラの姿を見た時の、安堵感を――どう表現したらいいのだろうか。
ぽんぽんとマリラの頭を撫でるようにしながら、ライは空を見上げる。綺麗な夕暮れだ。
「……アイリスは聡いよな」
ライはぽつりと呟くと、苦笑した。