015:魔法の深淵
焦げた本と、水浸しになった図書室の中で、マリラたちはリドルの話を聞いた。
「先生……」
「あの後、使える杖を探しましてね。私の使っていた杖は折られてしまったけれど、学園の中には、生徒に渡すための杖がありました。それを持って君たちを追いました。間に合ってよかった」
「いえ……ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらの方です。学園をアルバトロから解放してくれて、本当に感謝しています」
そう言うリドルに、マリラは苦しそうな顔をして、図書室を見渡した。戦いの最中、この学園の宝であった魔術書を、すべて焼き尽くしてしまった。
マリラは、師に頭を下げ、そのことを正直に言った。
「申し訳ありません」
「おい、そんな……」
ライは謝るマリラを止めようとした。激しい戦いだったのだから止むを得ないし、何もかもアルバトロのせいにして黙っとけばいいのに。
それを黙って聞いていたリドルは、もはや燃えかすと化した魔導書を見た。これは、魔法でも復元することはできない。
「良いのです」
リドルは空っぽの図書室――本がないのだから、もはやホールと呼ぶのが相応しいかもしれない――を見渡した。
「私は、アルバトロと闘いました。賢者の杖を持っていたとはいえ、私は何人かの先生たちと協力し、アルバトロを、あと少しのところまで追いつめた。だが――」
アルバトロはその時、傷つきながらもこの図書室に逃げ込んだのだという。
「私はそこで躊躇ってしまった。巨大な攻撃魔法を放っていれば、アルバトロを倒すこともできた。なのに、私はそこで魔導書を守ろうとしてしまった……。その結果、私は破れ、結果として多くの人達の命が奪われてしまった」
後悔を滲ませた声に、マリラはそれ以上何も言うことはできなかった。
五人は、学園の外に出た。そこには、頭から血を流して絶命しているアルバトロと、傍らに真っ二つに折れた賢者の杖があった。
アイリスは、死者が安らかに聖龍の元に迎えられるよう、祈りを唱えた。アルバトロだけでなく、この一件では、多くの人の命が失われた。
リドルは、自分の上着をアルバトロの顔にかけてやり、そして折れた杖を拾い上げた。
「あ……」
ライはそれを見て声を出してしまう。
アルバトロの持っていた杖に、剣を思いきり振り下ろした。その時の衝撃と、窓から落ちて叩きつけられた事で割れてしまったのだろうか。
「……すごい杖なんじゃなかったのか?」
「もちろん優れた杖でしたが……木で造られていることには変わりないですからね」
リドルは折れた杖を、学園の瓦礫の前に放ると、呪文を唱えた。リドルの杖の先から炎が放たれ、折れた杖を包む。
そして、リドルはため息をついて、その杖に背を向けた。
「この学園も、もはや廃墟となった以上、燃やすしかないでしょうね……」
「……これから、どうなさるのですか?」
マリラはリドルに尋ねた。
街や学園は崩れて荒れ果て、生徒や先生もほとんどいなくなってしまった。学園の宝であった杖と叡智も失われた。もはや何一つ残っていない。
「さて、そうですね……」
リドルは空を見上げた。青空が広がっている。
「何もないのですから、――どのようにでもなれるでしょう。ですが、この学園としての最後の務めをさせてほしい」
リドルはマリラに向き合った。
マリラは、うやうやしくリドルから新しい杖を受け取った。黒檀で作られた杖は、握るだけで指の先が温かくなるような感覚を覚える。
「そして、君には新しい魔法を伝えましょう。風の流れを自在に操り、真空の刃で切り裂くこともできる」
「……ありがとうございます」
これは今回の件に対する礼ということなのか、とマリラは考えた。
だが、リドルはマリラのそんな考えを読んだかのようだった。
「マリラ。魔法の真の力は、複雑な術式や呪文ではなく、その心にあります。強く思い、力強く生きようとする術者の心の力こそが、魔法を強くするのです」
「先生……」
「君は大切なものがちゃんと分かっている。だから、この魔法も使いこなせるはずです」
「あ……」
学園としての務め。
それは生徒に魔法を教えること、新しい魔法の研究をすること、そして、新たな魔法使いの力を認めること。
マリラは今、――この学園を卒業したことになる。
「ありがとう……ございます」
マリラは、深く礼をした。
そうして、師と生徒がやり取りをしている間、ジェスとライとアイリスの三人は、横で話をしていた。
「俺、操られてたのか……悪かった」
戦いの間の記憶がなく、ただ魔法で気絶させられていただけだと思っていたライは、実は味方を攻撃していたということを聞いて謝った。
「いや、ライのせいじゃないよ」
「そうですよ」
ジェスとアイリスが本当に気にすることはない、という様子で言うものだから、ライは苦笑した。
「でも、本当に全然記憶がないんですね」
「ああ……まあ、そんな記憶、ない方がいいんだろうけど」
ライは頬をかく。
その様子に、ジェスとアイリスは、ライの本名――彼が魔法で操られている間、レオンハートと名乗ったこと――について尋ねるのを止めた。
名前など関係はない。ライはライだ。
リドルの魔法で全てが燃やしつくされ、跡形もなくなった学園の庭を、マリラはもう一度だけ振り返った。
もはや、ガーゴイルも、魔物もいない。
思い返せば、この学園も、つらい記憶ばかりではなかったはずだ。新しいことを学び、初めて魔法が使えるようになった時は、純粋に楽しかった。
仲間と冒険の旅をしているのと、同じように。
それをいつしか――腐敗した学園で辛い思いをした記憶のために、すべてが悪い思い出のように思うようになっていた。
そんな風に思うのであれば、学園を助けるために、ここまで来ることなど、なかったはずなのに。
いつか――いつか、かつての活気ある魔法学園が戻ることを、マリラは願ってやまない。
物思いに耽る彼女を、仲間たちは待っていた。やがてマリラは、仲間たちの方を振り返り、笑った。
「……行きましょう」
風が、マリラの金髪を流した。