148:悲劇
ルカは、フォンベルグの仕事部屋の前に、パンとスープを持って行った。
「……フォンベルグ様、ご飯……」
返事はない。ルカはそれを部屋の前に置いて、とぼとぼと立ち去った。この部屋の前にいると、気分が落ち込んでしまうからだ。
ピアが死んだ日――あれからフォンベルグは変わってしまった。今まで、フォンベルグは、不器用であっても、自分達には優しく接してくれた。魔法が見たいと言うルカのために、魔法で綺麗な光を夜空に打ち上げてくれたこともある。
サンは、箒が独りでに動いて掃除するのも、充分すごい魔法じゃないかとルカに言いながらも、一緒に光を見上げていた。
それなのに今は、まったく自分達を見てはいない。ただひたすら、ピアを生き返らせる魔法の研究に没頭している。
(仕方ない)
ルカは自分の思いを打ち消すように首を振った。ピア様が生き返れば、全てが元に戻る。寂しいなんて、こんなことを思ってはいけない。
ルカは、弟の部屋にも食事を運ぶ。すると、サンはぼさぼさの頭で、分厚い魔導書から顔を上げた。
「……サン?」
「姉さん……」
サンはひどい顔をしていた。顔面蒼白で、唇は紫だ。
「や、やだ、サン? あたし……あたし」
サンも具合が悪いのかと思ったルカは、慌てて駆け寄る。もしサンまで失ったら、ルカは耐えられない。
泣き出しそうな顔をしたルカに、サンは歯を食いしばって話しだした。
「フォンベルグ様は……もう、狂ってしまわれたんだ」
「え?」
「死者は生き返ることはない。それは魔法の常識なんだ。それをフォンベルグ様が知らないはずはない。なのに――」
サンはぼろぼろと涙を零した。
「そんなの嘘だよっ!」
ルカは首を振った。
「フォンベルグ様は、絶対ピア様を生き返らせてくれる! だって……」
「古代語魔法は、六つの属性の龍が司る、世界を創った力から成る。命を司る聖龍の力とは別物だ。それで作った命は――魔物でしかないんだ」
「魔物……」
ルカは嫌々をするように首を振った。
確かに、フォンベルグ様は、研究を始めてすぐに、魔法で魔物を作り出した。恐ろしい、猿のような姿をした魔物は、フォンベルグ様の研究を邪魔しようとした者達を次々に追い払った。
「さ、サンに何が分かるのよっ! サンよりフォンベルグ様の方がずっとずっとすごい魔法使いなんだもん! サンが知らない魔法で、きっと、きっと……!」
サンは辛そうな顔で、駄々をこねるルカを見た。
ルカは、どうしていいのか分からなくなって、部屋を飛び出して行った。
「……。」
一人、部屋に残ったサンは俯いた。サンだって、どうしたらいいのか分からない。
そうしていた時――急に、サンの部屋の扉が開かれる。ルカが戻って来たのかと思い、顔を上げたサンは驚く。
「フォンベルグ様……?」
そこにいたのは、頬がこけ、幽鬼のような顔をした、フォンベルグだった。
ルカは一人、ピアが昔使っていた部屋に隠れて、泣いていた。
(ピア様……)
サンは嘘をつかない。不器用で、馬鹿正直で、ルカが傷つくことも平気で言ってしまうけれど――それでも、嘘をついたことはない。
そのサンが、ピアが生き返らないと言うのだ。
でも、そうすれば、ルカは何を信じたらいいのだろう。
そうしていた時――ルカは、隣の部屋――フォンベルグの仕事部屋の扉が開く音を聞いた。
(!)
はっとして、扉の隙間から、様子を伺う。フォンベルグはほとんど、部屋から出ることはないのだ。勝手にピアの部屋に入ったことが知られたら咎められるので、ルカはそのまま身を潜めていた。
フォンベルグは、しばらくすると、サンを連れて、仕事部屋に入った。
(え?)
ルカは驚く。フォンベルグは、決してルカやサンを、魔法の研究をしている仕事部屋に入れたことはない。魔道具なども多く置いてあり、危険だからという理由で、ピアにさえ勝手に入らないように言っていたくらいだ。
(どうして……?)
ルカはそっと気配を殺して、扉をほんの少しだけ開けて、中の様子を伺った。ぞっとするほどの冷気が零れてきて、床に白い煙のようなものが溜まった。
「……?」
ピアを閉じ込めた氷の前で、フォンベルグとサンが何か話している。ルカは冷たい扉に耳を当てて、二人の話を聞こうとした。
「ピア様を生き返らせる魔法が……完成したなんて……」
サンは呆然と、フォンベルグの話を聞いた。
「だけど……それは、ピア様の体を使って作られた別の存在なんじゃ……」
「それが……何だ」
フォンベルグは冷たい目で、サンの言葉を一蹴した。
「ピアの姿……ピアの声……ピアの記憶……それを持っているものが、ピアでなくて何だというのだ」
「……。」
サンは、自分の考えが正しかったこと、そしてフォンベルグはそれ以上のことを考えていたことを悟る。
フォンベルグ様は、やはりすべてを理解していた。
死者は生き返らない。その上で、フォンベルグは、ピアを『作り出そうと』したのだ。
ピアと何一つ違いのない存在――それは、確かに、ピアなのかもしれない。
「生き返らせるなんて、ものではない……彼女は、二度と、死ぬことなどない存在になる……」
ぞくりと、肌が泡立った。
古い魔導書の記述にあった。生き物、またはその死体の体に呪いをかけて、魔物を作り出す魔法が存在するという。
この人は――ピア様を――ピア様の体を使って――ピア様の姿をした――魔物を作り出そうとしているんだ。
「……っ」
一歩後ずさったサンに、フォンベルグは続ける。
「ピアを動かすことは難しくない……だが、その呪いでは、ピアの記憶を受け継ぐことがない」
「……じゃあ、フォンベルグ様が、研究していたのは……」
死んだピアから、記憶や性格――心を取り出す魔法の研究。
「ああ」
フォンベルグはそして、杖をサンに向けた。
サンはその意味を、すぐに理解する。
実験台だ。
万が一にも魔法の理論を間違えて、ピアの記憶が壊れてしまってはいけない。だから、実験するのだ。
サンを殺し、そして――新しく作った、死者から、心を取り出す魔法を――サンで試すのだ。
「大丈夫だ」
フォンベルグは、虚ろな目で言った。
「一瞬で殺す……痛みは、ない。そしてすぐ……また家族で……」
サンの歯はがちがちと鳴っていた。それが寒さなのか、恐怖なのか、サンにも分からない。
フォンベルグが呪文を唱え、杖が光った瞬間――
「駄目えええええっ!」
部屋に飛び込んできたルカが、フォンベルグを突き飛ばした。
「え……」
ルカは、自分の手を見下ろして、がたがたと震えた。
「あ……あ、あたし、あたし……」
じわじわと、血の染みが床に広がっていく。
大人の男だというのに――痩せこけたフォンベルグの体は、まるで枯れ木のように軽く、ルカが渾身の力で突き飛ばしただけで倒れ、そして、頭を強く床に打ちつけて、そのまま動かない。
「……フォンベルグ様っ、あ、あたしが」
「姉さん、違うっ!」
動揺しているルカに、サンは呼びかけた。
だが、ルカの赤い瞳はいっぱいに開かれ――
「あたしが……フォンベルグ様を――殺し、た……?」
ピア様が生き返れば、何もかも、元通りに。
そんな希望も幸せも、何もかも、この手で壊した。
屋敷に、少女の絶叫が響き渡る。