145:親友
目を覚ました時に、最初に見えたのは、知らない場所の天井だった。
「!」
がば、と体を起こしたライは、周りを見渡す。
「……起きたか」
「……っ? 俺は……」
ライは頭をかきむしった。触れると、髪が少し短く切り揃えられている。何が起きたのか思い出そうとするが、心臓が跳ねるようにせわしく動き、脂汗が流れる。思わず胸を押さえた。
「混乱しているようだな。記憶はあるか?」
ベッドで寝かされていたライの横にいたのは、ザンドだった。椅子に座って、本を読んでいた。
「ザンド? ここは、ディーネの、宿……?」
窓の外から見える、六色の塔と湖に、ライは自分が今どこにいるのか把握する。それと共に、今までのことを思い出す。
ジェス――黒竜の闇のブレスに、飲み込まれ――ライは全身に傷を負って、かなりの高さから落ちた。
「俺は、生きてるのか……?」
そこでライは、ベッドの傍に置かれた、小瓶を見た。空の小瓶は、すすいだように綺麗だ。だが、ライは察した。
「まさか……お前」
「察しがいいな。お前に黒竜の血を飲ませた。言っておくが、もうない。次は助からないぞ」
ライはカッとなった。あれは、ベルガとザンドが、ジェスを鎖で縛り、傷つけて取った血だ。
ライは、ザンドの胸倉を掴んで睨む。だが、ザンドは顔色一つ変えず、ライを見返した。
「友の血を飲みたくなかったか? だが、あれがなければ、確実にお前は死んでいたぞ」
「テメエっ……!」
そこに、ライの声を聞きつけたのか、アイリスが部屋の戸を開け、飛び込んできた。
「ライさん! 気が付いたんですね!」
そして、一目散に、ライに向かって飛びこみ、その体に抱きついてわんわんと泣く。
「良かった……! 良かったです……っ」
「……アイリス?」
その勢いで、ライはザンドのローブを離した。ザンドはぱんぱんと、皺になったところを手で払う。
「お前は黒竜の攻撃で全身に重症を負い、湖に叩きつけられた衝撃で体中の骨を折っていた。すぐに湖から引き上げて竜の血を飲ませ、一命を取り留めたが――そもそも、俺がお前を引き上げた段階で、まだ生きていたのが奇跡だな」
「私の魔法じゃ、とても治せる傷じゃなくて……! でも、傷が治っても、ライさん、全然、目が覚めなかったんですよっ! 私……私、だから……」
泣きじゃくるアイリスの様子に、心配をかけたことが分かった。
ザンドにも、怒る筋合いはない。助けてくれたのだ。
「……アイリス。ザンドも……悪かった」
崩れた地下室から、ジェスの血を回収し、持っていたことを隠していたのは納得がいかないが――切り札だったのだろう。
立ち上がろうとしたが、目眩がした。目の前がチカチカする。
「……うっ」
「ライさん、まだ休んでいた方がいいです……。傷が塞がっても、流れた血はすぐ元には戻りませんし……三日も何も食べてなかったんですから」
ライは呆然とした。
ジェスを見つけてから――あれから、三日も経っていたのだ。
「何で、俺の世話をするのがザンドなんだ」
ライの前には、粥が置かれている。空っぽの腹にはこれくらいが優しいだろうという配慮だろうが――それはザンドの手料理だというのは、食べてすぐに分かった。薬草などが滅茶苦茶に突っ込んである粥は、体に良さそうだが、ただ不味い。
「アイリスは忙しい」
ザンドは竜に関する本を読みながら、あっさり言う。
アイリスは、ライの無事を確かめると、ザンドにライのことを任せ、出かけて行った。
不味い粥を、水で無理矢理流し込みながら、ライはザンドに尋ねた。
「……あれから……ジェスは、どうなった」
「黒竜か」
ザンドは本から目を離さずに答える。
「あの後、すぐにディーネから離れて、飛んでいった。後は分からない」
「……くそっ」
ライは拳を握りしめた。せっかくジェスに追いついたのに、また行方が分からなくなってしまった。傷ついた時と違い、今のジェスは竜本来の力で空を飛ぶことができる。三日で、どれほど遠くまで行ってしまっただろう。
悔しそうにするライに、ザンドは尋ねた。
「お前は、まだ黒竜を追うつもりなのか?」
「当たり前だ」
ザンドは、本から目を離さずにライとの会話を続ける。
「だが、黒竜の攻撃で、お前は死にかけたんだぞ」
「……違う! あいつはただ、俺を魔物から助けようとした! ただ、力の加減が分かってなかっただけだ」
港町で、水蛇と戦った時もそうだ。ジェスは自分の力の限り、魔物を倒し――勢い余って、海の中で気絶した。突如、使えるようになった強大な力に、制御が落ち着いていないだけだ。
ザンドはため息をつき、本を閉じて、ライを見た。
「……黒竜が、もはや人間だった時の意識など失っていて、お前達のことを忘れているとは、どうして思わない? 竜にとって、人など取るに足らない存在だ」
ザンドの赤い瞳と、ライの緑の瞳が、真っ直ぐに向かい合う。ライははっきりと言い切った。
「あいつは――ジェスは、俺の親友だ。俺は、あいつの心が、そんな弱いものじゃないって信じてる。俺はあいつを追わないといけない――」
「……なるほどな」
ザンドは言うと、立ち上がった。そして、ふっと、口の端を吊り上げる。それがザンドの笑みなのだとライが気付くのに、少しかかった。
「……。何だよ」
「アイリスも同じことを言っていた。お前達は本当に、仲間なのだと思っただけだ」
そしてザンドは、荷物をライによこした。それは、ライの服だった。
「新しい服……ああ、前のはボロボロになったのか」
「アイリスは強いな。彼女も、黒竜を信じていた。それだけじゃない。お前が必ず目覚めて、そして再び黒竜を追うだろうとも信じて、準備をしていた」
「……アイリス……」
ライは新しい防具に袖を通しながら、それが随分上質のものであることに気付く。魔法の都市ディーネの技術が使われた、軽くて丈夫な織物だ。
「これ、結構したんじゃないのか……?」
「ああ。ここの宿代もアイリスが出した。聖水を作っては売って、かなり稼いだ」
「おい」
お前も働けよ。
ライは半眼でザンドを見た。
その日の昼――三人は、湖上都市を発った。
「私がお店で冒険者の人達に聞いたところによると、ジェスさんは北の方へ飛んでいったそうです」
旅の必要経費を稼ぎながら、しっかりと情報収集もしていたアイリスの逞しさに、ライは感慨にふけった。
ここに初めて来た時は、泣いてばかりの子供だったのに。
「北なら、一度ギールに戻って、マリラと合流した方がいいかもしれねえな。そろそろ杖の修理も終わるだろうし……」
「そうですね。マリラさんに、早く会いたいですよね」
「ん? ああ」
「……。」
六色の影が揺らめいて映る湖上を、渡し舟はゆっくりと進んでいった。