142:金の毛皮
「変身の魔法?」
「う、うん。……まあ、ちょっと色々あって」
獲ってきた兎を、鍋で煮て食べながら、マリラはエデルに説明した。
「そうか……しかし、魔法というのは、色々なことができるのだな。もし覚えたら、私にもかけてみてくれ」
「いいわよ。エデルは何になりたいの?」
「そうだな。私は男になりたい」
予想外の答えに、マリラは驚いた。
「男? 何で?」
美人なのに勿体ない。
エデルは、綺麗な顔を少し顰めた。
「女だと、何かと侮られることが多くてな。しかし、力も強いし、体格も良く、強い体なのは確かだ」
「……そんなことないわよ、エデルはその辺の男なんかより、十分強いし……ジェスも背が低いけど、それなりに剣の腕も立つじゃない」
マリラはフォローするが、まあ、同じ女性として、気持ちは分かる。侮られることもしばしばあるからだ。
「マリラは、男になりたいと思ったことはないか?」
「まあ、あったわね……」
マリラは苦笑した。エデルも同じ苦笑を返し、それから二人は、笑いながら鍋をつついた。
マリラとエデルの生活は、規則正しい。
朝起きると、昨日のうちに取っておいた食料で朝食を済ませる。その後は、マリラは〈変化〉の魔法の練習、エデルは剣の稽古をする。
マリラは繰り返し、自分に〈変化〉と〈解除〉の呪文を唱える。狐になろうとしているのだが、狐の耳が生えたり、尻尾が出たり、鼻が黒くとんがったり、微妙な変身だけが続いている。
エデルは、剣の素振りをして、軽く準備運動をすると、村の周りを回って、魔物を退治する。日を追うごとに、近くの魔物は狩り尽くしたのか、魔物が現れにくくなっているので、少し遠くまで足を延ばす。
たまに巨大な魔物を倒した時などは、肉が食えそうなので持って帰ることもある。
魔物の肉だと聞くと、マリラは最初だけ嫌そうな顔をするが、結局はおいしいと食べる。
その後は、エデルはマームの村に行って、農作業を手伝う。
よそ者は嫌われるとマリラは言っていたが、エデルは村人達に邪険にされたことはなかった。
その日、エデルは、リドルの生徒である、魔法使いの青年と少女に招かれ、三人でお茶をしていた。冒険者であるエデルに、ぜひ色々な話を聞きたいと言ってきたのだ。
エデルは、そう面白い話ができるとは思えなかったが、今まで自分がしてきた魔物退治の話をすると、二人の若者は目を輝かせた。
「エデルさんは、凄いですね。剣の腕もそうですが、全然気取ったところがないです」
「え?」
意味が分からず聞き返すと、若草色のローブの青年が、お茶を啜りながら言った。
「私達は、この村に受け入れて頂くのに、だいぶかかりましたよ。いや――私達が、この村に慣れるのに、だいぶかかっただけなんですけどね」
臙脂色のローブの少女は、ちょっと口を尖らせた。
「だって、この村ったら、本当に何もないのですもの。学問に集中できるといえばそうですが、最初は嫌でしたわ。今は慣れましたけど」
少女は、魔法を学ぶため、ドラゴニアの王都から来たのだという。話し方からしても、少しいい家の出身のようだ。
「確かに、あの華やかな都から来たのであれば、ここは不便に思うだろうな」
「でも、エデルさんは最初から気取っていませんから。村の人も自然に受け入れて下さっていて」
それを聞き、ふっ、とエデルは笑った。青年はちょっと顔を赤くし、少女に肘で小突かれる。
「……いや、そんな大層なものではない。私があまりに図々しいから、村の方々も、受け入れざるを得ないだけだろう」
「そうですか?」
「ああ……実は、ここが故郷に似ているんだ。私が勝手に、懐かしく思っているだけなんだが」
「いいのではありませんか」
答えたのは、奥の部屋から出てきたリドルだった。眼鏡を外し、手袋を外す。
「私にもお茶を貰えますか?」
「はい、先生」
少女は、リドルにお茶を入れるために立ち上がる。リドルは木の椅子を運んできて、エデルの隣に座った。
「エデルさん、と言いましたか。この村に来たばかりの時より、随分、表情が明るくなりましたね」
エデルは、意外な事を言われ、目を瞬かせた。
「ところで、マリラは、大丈夫ですか?」
「え……ええ。魔法の練習に集中しているようですが」
エデルが答えると、リドルはため息をついた。
「マリラは、この村にあまりいい記憶がないようですからね。無理に村の中で待たせることもできませんが……。夜は冷えるのに、ずっと野営をしているというのも、心配です」
「……そうですね」
エデルは頷いた。
ここはマリラの故郷だというのに、マリラは明らかにこの村を避けている。
「マリラさんは、村を飛び出してきたから気まずいのでは? 私だって、家を出て、この学校に行くと言ったら、お父様とお兄様が煩くて。家出同然で出てきましたわ」
少女はむしろ胸を張って言ったが、青年はそんな少女の額を軽く小突いた。
「君は黙っていなさい」
「……私は、そろそろ失礼します」
急にマリラの様子が心配になったエデルが立ち上がると、リドルは頷いた。
その頃マリラは――困っていた。
何度目かの〈変化〉の呪文を唱えた時、確かな手ごたえを感じた。と、同時にマリラは自分の体が縮むのが分かり――次の瞬間には、視界が真っ暗になった。
「!」
バサリ、と布が覆いかぶさってくる。マリラはじたばたともがき、自分に被せられた布を振り払った。黒い布を、短くなった手足を振り回してどうにかどけているうちに、マリラはその正体に気が付いた。
マリラは、完全に狐の姿になっていた。鏡がないから自分の姿を見ることはできないが、見下ろした手足は、肉球のある獣のそれで、ぺたぺたと触った自分の体は、金色の毛皮に包まれていた。
急に被さってきた布は、マリラの着ていた黒いローブだったのだ。狐の姿になる時に体が縮み、ローブの中にすっぽり収まる形になってしまったのだ。ローブだけでなく、履いていた靴なども、その辺に散らかっていた。
(やっと成功した……さてと、元の姿に……)
そう考えたところで、マリラははた、と気が付いた。
(あれ? ……何で、服が散らかってるわけ?)
考えてみたら当然だ。〈変化〉の魔法の対象は、マリラ自身だったので、マリラの体だけが狐に変わり、マリラではない服の部分はそのままだ。
ということは、この状態で元に戻れば、マリラは素っ裸だ。
(ん? でも、確かあのおっさんは、猫から戻った時に、服を着た状態だったわよね……?)
マリラは狐の姿のまま、首を傾げた。
しばらく考えて、一つの結論に至る。
(そっか! あのおっさん、自分を猫にすると同時に、自分の着ている服に対しても魔法をかけてたのね! 服は多分、猫が身に着けられる首輪か何かに形を変えて……)
マリラは、ぽん、と手――前足を叩いた。
(気が付いて良かったわ……今は人目につかないからいいけど、早く元に戻って服を着ないと)
マリラは元に戻ろうとする。そして、肝心なことに気が付いた。
狐の前足では、杖が握れない。
(ええええ―――っ!)
マリラはじたばたと、落ちた杖の周りをぐるぐる回った。
魔道具である、杖の補助がなくても、魔法を使うことは不可能ではないが、〈解除〉の魔法を使うには、さすがにまだ杖がないと難しい。
(どうしよう! 何これ、杖って重いじゃない!)
パニックになったマリラが、杖の周りで、尻尾を追うようにひたすら回っているところに、エデルが戻ってきた。
「……マリラ、なのか?」
エデルは、マリラの髪と同じ、金色の毛並みの狐を見て、聞いた。ぱっ、と狐はエデルの方を見て、人間の言葉を喋りながら、跳びかかってきた。
「エデルっ! 助けてーっ!」
「……わっ! しかし……ふわふわだな」
「ひゃん!」
金の狐に抱きつかれたエデルは、つい、もふもふの尻尾を撫でてしまう。すると、マリラが変な声を上げたので、慌てて謝った。