140:杖の魔力
エデルは近くの岩に腰掛けながら、マリラの話が終わるのを待っていた。
すると、初老の男性がゆっくりと近付いてきた。エデルから少し離れたところで、何かをためらうようにうろうろとしている。エデルの方から声をかけた。
「何かご用ですか?」
「……お嬢さん、すまないが……マリラがこの村に来たというのは、本当かな」
小さな村なので、自分とマリラが村に来たのは、すぐに知れ渡っているだろう。マリラはここの出身のようだったし、当然だ。
エデルは素直に答えた。
「はい、先程来たばかりですが」
「その……あんたには、マリラが、世話になってるんだろうか?」
「?」
ぼそぼそと話す男の意図がつかめず、エデルは男の顔をじっと見た。伏し目がちな紫の瞳を見た時、はっとした。
「ひょっとして、マリラのお父上ですか?」
「……ああ、まあ、一応は。いや……」
父親に一応、というのはどういうことか。
自信のない様子で、何やら、マリラは瞳の色を除けば、父親似ではないらしい。
「マリラは、元気かな」
「ええ、今はリドルさんの家にいますが」
そう教えると、彼はいや、いいんだ、と逃げるようにそこを去っていった。
「……?」
後に残されたエデルは、首を傾げた。
折れた杖を前に、リドルは険しい顔をした。
「君は、この杖の危険さを知っているはずだ」
「はい」
「どんな魔法でも使えるようになる。魔法使いならば、その魅力に取り付かれないはずがない」
「……わかっています。しかし、私は仲間を助けたいのです」
リドルは真っ直ぐにマリラの目を見た。マリラもまた、目を逸らさずに答える。
「仲間を助けるために――どうしても必要な魔法があります。誓って、他の事には使いません。全てが終われば、再び杖を折り、先生にお返しします」
強い光を宿した紫の瞳に、先に目を逸らしたのはリドルだった。
「……杖は直せない」
「先生!」
マリラはテーブルに手をついて立ち上がったが、リドルはそれを穏やかに制す。
「違うのですよ……君のことは信じている。君は、この杖を正しく使うでしょう。だが、私は……私はこの杖を前にした時、杖の魅力に取りつかれない保証はない」
「そんなこと――先生はさっき仰ったではないですか! 技ではなく、心を学ぶ学園を作ると!」
「……私は、君から世界樹の話を聞いた時、溢れ出る好奇心を止められなかった」
この杖を研究したい。世界樹の力を明らかにしたい。強い衝動があった。
リドルは力なく項垂れた。しかしマリラは、そのリドルの前に立つ。
「私とて、心の弱い人間です。ですが、仲間達は、私を信じて待ってくれています」
必ず、ジェスを助けるために、賢者の杖を持ち帰ると。
マリラは堂々と、胸を張った。
「ですから、私は先生を信じます。先生は、杖に支配されなどしません」
「……ふ」
リドルは、長い息を吐き出した。観念したというように、苦笑した。
杖の修理は、八日ほどかかるという。
「それまで、ゆっくり休んでいて下さい。ここは君の故郷なのでしょう?」
それを聞いたマリラの声は、知らず冷えた。
「……何故、ご存知なのですか」
「私がこの村に住ませてほしいと頼んだ時、マリラのご両親から聞きましたよ」
リドルは、何故そんなことを聞くのか、という顔をした。
(当然と言えば、当然のことか……)
マリラはため息をついた。
「……いえ、私は他にすることもありますので……。失礼します」
マリラは一礼し、リドルの家を出た。
家を出ると、すぐ近くでエデルが待っていた。
「エデル、お待たせ。じゃあ、行きましょうか」
「どこへ?」
村を出るマリラの後ろを、エデルは慌てて追った。
「野営できるところを探しによ。もう暗くなるから」
「ええ?」
「ここ、宿がないでしょう? ……貧しくて、食料も少ないから、よそ者が村に滞在するのをひどく嫌うの。だから、私達は村の近くで野営することになるわね」
「しかし、私はともかく、マリラは……」
「エデル一人で野営させたら、眠れないじゃない」
マリラはそう言って、さっさと村を出た。エデルは、ちら、と村を振り返った。
村からはそう離れていないところで、二人は木に囲まれ、少し開けた場所を見つけた。
いつもは、一晩しかそこに留まることはないが、今回はそこで何日も野営するので、比較的しっかりと寝床を整えることにした。布を張って天幕のようにし、露を防ぐ。
「まだ眠るには早いな。――マリラ?」
「しっ……あそこに小鳥がいるわね」
マリラは、エデルに声を出さないように言うと、木の枝に止まっている小鳥に、そっと杖を向けた。口の中で囁くほどの微かな声で〈眠りの雲〉の呪文を唱えると、小鳥はころりと転がって落ちてきた。マリラはそれを手で受け止める。
「……食べるのか?」
今日の夕食にするのかとエデルが聞くと、マリラは首を振った。
「いいえ、ちょっとね」
マリラは、眠った小鳥を草の上にそっと寝かせると、小鳥に向けて杖を向け、長く複雑な呪文を唱えた。
「くっ!」
気合を込めて、魔法を発動させようと試みるが、小鳥はすやすやと眠っているだけだった。
「駄目、もう一回……。」
必死に呪文を唱えながら、何かの魔法を小鳥にかけようとするマリラ。何をしているのかと、エデルは首を傾げる。
マリラが、小鳥に唱え続けているのは、〈変化〉の呪文だった。
ジェスに対して、マリラがかけなければならない〈変化〉の魔法は、竜を人に変える、最高難度の魔法といってもいい。
それをマリラは、何としても成功させなくてはいけない。
杖の修理が終わるまでの時間、マリラは〈変化〉の魔法の会得に全力を注ぐつもりだった。