132:旅の連れ
ザンドは、ライ達三人が、宿を忙しく出入りするのを、ベッドの上で上半身を起こした状態で眺めていた。
「目撃情報があったわ。門番が、南の空に飛んでいくのを見てたって」
「分かった。俺は、カステール方面から来ていた冒険者にも裏を取ってくる」
「旅の荷物を、一通り揃えて買ってきました」
黒竜の行き先を探り、旅の支度をするのを見れば、彼らがどうするつもりなのかは、分かりきっている。だが、それでもザンドは、尋ねずにはいられなかった。
「黒竜を、追うつもりなのか?」
「はい。ジェスさんは、仲間ですから」
言い切ったアイリスの目は青く澄んでいて、迷いがなかった。
情報と荷物を集めた三人は、宿の一室で、地図を囲んで話し合った。
「ジェスさんが、南に行ったのは間違いないみたいですね」
ジェスが、ギールの街から飛び立ったのは、夜明けに近い深夜だった。まだ暗い空を背景に、黒い竜の体は、はっきりとは見えなかったせいか、多くの者は『巨大な魔物が南に飛んでいくのを見た』と言っていたが。
「そうだな。さすがにそれ以上は分からねえが……とりあえず、南に行って、そこでまた聞き込むしかないな……」
「南か……」
マリラは難しい顔をした。
三人の目的は、ジェスを助けることだ。
何をすれば、ジェスを助けることになるのか――話し合ったが、とりあえず、ジェスを人間の姿にすることが、第一段階ではないかという結論に至った。
「とにかく、ジェスと、よく話をしましょう。ジェスは今まで自分が人間だと思って生きてきたはずだから――今の状況に納得できているかどうか」
もし、ジェス自身が、本来の姿である竜で生きることを選ぶのであれば、それでもいい。人間の姿でこれまで通り生きていたいのなら、彼らは受け入れるだけだ。
しかし、そのために必要なのは、ジェスを人間の姿に変える、古代語魔法の〈変化〉の魔法をかけることなのだが、それが問題だった。
「これは、マリラにやってもらうしかないだろうが……」
「竜と人では、あまりに存在が違いすぎる……。魔法をかける時の負荷は計り知れない。人を猫や犬にするのとは訳が違うのよ」
マリラは、自分がどんなに修行を積んだところで、恐らく不可能だろう、と言った。
「本来、自分の力を超えた魔法は使うべきじゃないんだろうけど……賢者の杖に、頼るしかないと思うわ」
しかし、その賢者の杖は、真っ二つに折れている。
「折れた杖って、使えないんですか?」
「魔法力の制御が、どうなるか予想もつかないわね。難しい魔法であればあるほど、杖に対して負荷がかかるから、危険だと思う」
ザンドは無理矢理紐で繋げて使って、火を吹いていたが、あの程度で済んでよかったと思うべきなのだ。
「じゃあ、どうするんだ?」
「杖を修理する必要があると思う……。私、リドル先生を訪ねてみるわ」
リドルは、魔法学園のマリラの師だ。ライ達も、魔法学園の騒動の時に会っている。
「リドル様は、今はどちらにいるんですか?」
「マームの村ってところなんだけど……ここからずっと北にあるのよね……」
マリラはフォレスタニアの地図の、思いきり北の端を指さした。魔法学園クロニカよりも、更に北である。
「……参ったな。思いきり逆方向か……」
竜であるジェスは、恐らく今も動いている訳だから、早く追いかけなければ、どこに行ったか分からなくなってしまう。
しかし、ジェスを見つけたところで、賢者の杖がなければ始まらない。
「パーティを分けましょう。ライとアイリスは、南へ向かってジェスを追って。私は北へ行くわ」
戦力や目的を考えれば、この分け方が妥当だった。
「私は杖が修理できれば、すぐにギールに戻るから」
「だけど、マリラは一人でこんな場所まで行くのか?」
基本的に戦いの際、後衛となる魔法使いは、一人で旅をすることはない。北の辺境であれば、それなりに強い魔物もいるはずだ。
「一人じゃ難しいでしょうね……冒険者の店で、護衛を雇えないか、探してみるわ」
「仕方ないな……ん?」
ふと、ライは宿の部屋を見渡した。さっきまでベッドで寝ていたはずの、ザンドがいない。
「おい、ザンドはどうした?」
「……そういえば、いないですね」
三人は慌ただしく出入りしていたので、ザンドがいつの間にかいなくなっていたことに気が付かなかった。
「まあ、いいか……。アイツも、いつまでも俺たちといたくはないだろうしな」
そろそろ、宿を出ないといけないのだし、出て行ったのなら丁度いい。ライ達は、宿代を払って、冒険者の店に向かった。
冒険者の店のマスターに、護衛の件を相談すると、彼は難しい顔をした。
「マリラさんが一人でねえ……ライ君たちが一緒にはついて行ってやれないのか?」
「色々事情があって、それができないから頼んでるのよ」
マリラはそう言ったが、マスターは首を振った。
「そりゃあ、北の山まで行けるくらいの、腕の立つ奴は何人かいるが……」
「じゃあ、紹介してくれないの?」
「護衛をつける方が却って危険ってこともあるんだよ、特にお嬢さんのような若い女性はね……」
「はあ?」
マリラは訳が分からないと聞き返すが、ライは天を仰ぐ。
確かに、マスターの言う通りだ。冒険者なんか、血の気が多い若い男がほとんどなのだから。マリラがその護衛に襲われては意味がない。
「何て言うか……まあ、そうだよな。そもそも、マリラは、俺とジェスのパーティに入る時に、何も考えなかったのか?」
「え? 何をよ」
「……いや、いいんだ……」
ライはがっくりと項垂れる。
「困りましたね。どなたか、マリラさんを確実に守ってくれる方はいないんでしょうか……」
アイリスはそう言って、手を口にあてて考え込む。
その時、冒険者の店の扉が開いた。
扉に吊られたベルがカラカラと音を立てたので、一同はそちらを見る。入ってきたのは、赤い髪をなびかせた、美しい女性の戦士、エデルだった。
ライ達三人と、エデルの目が合った。エデルは、三人の姿を認めると、はっとして、そこから立ち去ろうとする。だが――
「――見つけた!」
マリラが素早く駆けよって、エデルの腕を掴んだのだった。
「護衛……私が?」
話を聞いたエデルは、驚いた。
「ええ。私に雇われるってことになるけど、どうかしら」
「エデルさんなら、安心ですね……」
「ああ……そうだな」
ライもアイリスも、彼女は護衛としてうってつけと認めるしかない。エデルの剣の強さは、充分知っている。女性なので、マリラの身の安全も問題ないだろう。
しかし、当のエデルは、俯いていた。
「だが……私が近くにいるのは、マリラ達にとって、その……苦痛ではないのか? 私は……彼を……」
「ん?」
険しい表情をしているエデルを見て、マリラ達はあることに思い至る。
「あ、そうか……エデル、もしかして、ジェスが死んだと思っているのね?」
竜の山の一件では、ジェスが高い崖から落ちたところまでしか、エデルは知らない。今、三人だけで冒険者の店にいるところを見て、ジェスが死んでいるとエデルが考えるのは当然だった。
「ジェスは生きてる。ちょっと……その、今は、別行動をしてるだけだ」
「――なっ?」
ライが言うと、エデルは驚愕の表情を浮かべ、三人をまじまじと見た。
「あ、あの高さから落ちて?」
「あの時、緑竜が空中でジェスさんを受け止めてくれたので、助かったんです。私達はそれから、ジェスさんと、ちゃんと合流することができましたから……」
アイリスの説明を聞いても、エデルは言葉が出てこないようで、口を半開きにしたままだった。彼女が、ここまで間の抜けた表情を見せるのも珍しいと、マリラはそんなことを考えた。
「ま、それでも俺達に借りがあるのは間違いないんじゃねえか? ここは一つ、護衛を引き受けてくれねえかな」
少し意地が悪い言い方だったが、ライはもう一押しした。エデルは、しばらく何か考えている様子だったが、やがて、吹っ切れたように頷いた。
「分かった。報酬も要らない。北の山だな。責任をもって彼女を護衛しよう」
「……助かるわ、よろしくね、エデル」
エデルは、旅の準備を整えるため、先に店を出た。これでパーティを二つに分ける上での問題は片付いた。
「よし、エデルの準備が整い次第、そっちも出てくれ。俺とアイリスもすぐに街を発つ。あと、マスター、頼みがあるんだが」
「何だ?」
「俺からこの店に宛てて手紙が届いたら、店で預かっててほしい。マリラは、ギールに戻ったら、マスターから手紙を受け取ってくれ」
冒険者の店のマスターは、理由を聞かず頷いた。冒険者なんて、皆訳ありだ。常連の頼みくらいは、詮索しないで聞いてくれた。
そうして、最後の打ち合わせを終えて、ライ達三人が店を出た時、店の前に、ザンドが立っていた。ザンドは、全身を隠す魔法使いのローブを着て、杖を背負っている。さらに、長い包みを抱えていた。
「間に合ったか」
「……ザンドさん?」
ザンドは、布で包まれた長い包みを、ライに渡した。重みのあるその包みを開くと、中から出てきたのは、ジェスの魔法剣だった。
「崩れた地下室から見つけてきたものだ。黒竜をさらった時に、荷物を取り上げていたからな」
「これを、取りに行ってくれてたんですか?」
アイリスが尋ねると、ザンドは首を振る。
「取りに行ってくれた、などと言わない方がいい。そもそも俺達が奪ったものだからな」
受け取った魔法剣は、ライが預かって腰に差した。
金のためなら何でもするベルガを知っているライとしては、ジェスの荷物はとっくに売りさばかれてしまったと思っていたので、少し意外だった。
だが、ザンドは更に意外な事を言った。
「黒竜を追うのは、俺もついて行こう」
「ええっ?」
さすがに、三人はザンドをまじまじと見た。
「何でお前がついてくるんだよ」
「お前達の実力は分かっているが、さすがに女子供の方が多いパーティは無理がある。足手まといにはならないつもりだ」
「いいえ、あなたにとっての理由を聞いているのよ。さすがに、あなたのことを、すぐに信用はできないわよ」
ライとマリラが言うと、ザンドは少し考えた。
「……理由か。自分でも分からないが……そうだな、俺は朦朧とした意識の中で、お前達を不思議だと思っていた気がする」
「私達が、不思議……?」
アイリスは首を傾げるが、ザンドは肯定する。
「ああ、興味がある」
困惑する三人をよそに、ザンドは、虚空を見上げた。
「ベルガもこの街にいないようだし、俺も行くあてがないというのもある」
「何だかな……」
分かったような、分からないような理由だ。
「コイツ、連れてくのか? いや、着いてくるというか」
「私は何だか、捨て犬を拾ったような感覚だわ」
「マリラさん、その例えはどうかと……」
「でも、戦力にはなるのは確かね。ライとアイリスの二人では、複数の魔物に囲まれた時に不安だし、そっちの方に連れてってみたら? 目の届く所にいた方がいいって、考え方もあるわよ」
「おいおい……」
ライはため息をついた。
「アイリスは、どう思う?」
「私は――」
アイリスは、今までのことを思い出しながら、はっきり言った。
「ザンドさんは、元々、悪い人じゃないって思います」
「……ったく、仕方ねえな」
ライはアイリスの答えを聞き、頭を掻いた。その様子を見ていたザンドは、ぼそりと呟く。
「……だからお前達は、不思議なんだ」