131:折れた杖
宿の一室は、重苦しい空気に包まれていた。
ジェスは、竜だった。
(……これから、どうしたらいいんだ?)
ライは、ジェスがあの時、竜の姿になったのは、ザンドが呪いをかけたからだと考えていた。世の中には、人を魔物にする呪いもあるのだから。
だから、何としてもジェスを見つけ出し、その呪いを解いてやろうと思っていた。だが――。
(あいつが、元々、竜だったなら……俺たちは、どうするべきなんだ?)
竜は、生き物でありながら、創世の龍の力を受け継ぐ、特別な存在だ。それが本来の姿と力を取り戻し、空へと飛んでいったのなら――ライ達に、できることはあるのだろうか。
「……ところで、もう一つ聞きたいんだけど」
マリラは、ザンドに、折れて二つに分かれた杖を見せた。ライとアイリスは、改めてその杖を見て驚く。
「賢者の杖が、どうして……!」
かつて、魔法学園クロニカにて保管されており、副学園長アルバトロが、暴走を起こした時に使った杖だ。持ち主は、本人の力量に左右されず、あらゆる魔法を使用できるようになる。
だが、その杖は、あの騒動の時に折れ、そして燃やしてしまったはずなのだが。
「知っているのか、賢者の杖を」
ザンドは意外そうに三人を見た。
「それはこっちの台詞よ! なんでこれを持っているの!」
「それは、俺とベルガが、クロニカの跡地で拾ったものだ。瓦礫の間に埋もれるようにして落ちていた。こんな宝物が落ちているなんて驚いたが。折れているとはいえ、それはあまりに貴重な品だからな。闇市で売ることはなく、持っていることにした」
「落ちてた、だと……?」
ライは怪訝な顔をする。
「ああ。しかし、やはり折れた杖だな。俺の実力を超えた魔法は使えたが、途中で火を吹き出して暴走した」
「! そうか、火ね……」
マリラは納得したように呟くが、ライとアイリスは訳が分からない。
「とりあえず、これは私が預かるわよ」
マリラは、折れた賢者の杖を布に包み、荷物に入れた。
「それにしても、お前、そんなに話す奴だったか?」
ライは腕を組んだまま、ザンドを見下ろす。
ライの覚えているザンドは、無表情でまったく話さないか、ぼそぼそと二言、三言話すだけの不気味な奴だった。
それが今は、まあ、普通だ。
明るく饒舌に話すというわけではないが、聞かれたことにはちゃんと答えてくる。
ザンドは少し考え、そして答えた。
「……刺青が、無くなったからだろうな」
「話すほどの精神力さえ、なかったってことか?」
ライの疑問には、マリラが答えた。
「でしょうね。あれだけの魔法を常時発動していれば、正気を保つだけで精一杯だったはずだから。あなた、常にぼうっとしていた感じだったんでしょう?」
「ああ。……感覚が鋭敏になっていたから、周囲で起きたことはほとんど把握できていたが、俺自身はほとんど何も考えていなかったな」
ザンドは、全身に巻かれた包帯を見下ろした。火傷の傷はひりひりと痛むが、自分がしてきたことを思えば、当然の報いと感じた。
何かを感じる――それさえも、久しぶりの感覚だ。
「俺は、何も考えず、ベルガの指示に従うだけだった……。だからといって、俺のしたことが許されるとは思ってはいないが――」
ザンドは、ライ達に頭を下げた。
「すまなかった」
「……。」
ライ達は、顔を見合わせる。
謝られたからといって、簡単に許せることではない。だが、ザンドを責めたところで、得られるものはない。
「……これから、どうするよ」
ライは力なく、仲間達に聞いた。
「本当は今日、カステールに向けて出発するつもりでしたね……。」
しかしそれも、ジェスが、ジェスの両親に会うためだ。三人で今更、何をしに行くのか。
「とりあえず、今日はもう休まない? 私達、昨日の夜は一睡もしていないでしょう。ゆっくり寝て、それから考えましょうよ」
ライもアイリスも、マリラの意見に反対する理由はなかった。とにかく、心身共に、疲れ切っていた。
「……。」
ライは、何度目かになる寝返りを打った。ため息をつき、体を起こす。
一度、夜中に目を覚ましてから、また眠りにつくことはできなかった。そうこうしているうちに、朝が近付いてくる。
ライは静かに部屋を出た。
夜明け前の、冷えて澄み切った空気が、肌に心地いい。
ライがそうして、花壇の縁に座って、ぼんやりとしていると、マリラとアイリスの泊まっている部屋の窓が、さっと開いた。
窓からマリラが顔を出し、外にいたライと目が合う。マリラは、ライを見つけてちょっと驚いた顔をして、すぐに窓の向こうに消えた。
しばらくして、マリラとアイリスが宿から出てくる。
「何してるのよ。ちゃんと休みなさいよ」
「マリラこそ、寝てなかったんだろ」
「それは……」
マリラはため息をついて、ライの左隣に座った。右側に、アイリスも座る。
三人はしばらくそのまま、黙っていたが、アイリスが、呟くように話し始めた。
「……ジェスさん、あの時、言ったんです」
ジェスが苦しそうに叫びながら、竜の姿に変わる時のことを、アイリスは思い出した。
「私に、『来るな』って。きっと、巻き込んでしまうからって」
突然、竜の力が解放されたジェスは、苦しんでいた。竜となって咆哮していた時も、苦しそうに、聞こえた。
「ジェスさんは……竜になっても、私達の知っている、優しいジェスさんのままだと思うんです。……私、このまま、こんな形で、ジェスさんとお別れなんて……嫌です」
アイリスは、そう、自分の気持ちをはっきりと言った。
「……そうね。私はね」
マリラも、空を見上げて話し出した。
「私は――魔物化の呪いにかかっていた時のことを考えたの。本当に怖かった……。自分が、自分でなくなっていくみたいで。今でも、時々思い出すのよ」
マリラは、自分の手を見下ろした。かつて、呪いに侵食され、黒い痣でいっぱいになったことのある手を。
「私、もっとジェスのこと、気を付けてあげればよかった。ジェスも、いきなりあんな力が使えるようになって――きっと、怖かったはずなのよ」
なのに、ジェスは、いつもの笑顔で、明るく振る舞っていた。
仲間思いの、お人好しだから。
「今でも、ジェスのことだから、自分に何が起きたかなんて、分かってない。突然、変わってしまった体に、困ってるわ」
マリラは、そう言ってぐっと手を握った。
ライは――二人の言葉を聞いて、頷いた。
「そうだな。このまま、ジェスを放っておくわけにはいかない」
ジェスは――本当に馬鹿みたいなお人好しで。
まるで気負いしないで、たくさんの人を助けた。
一人ではどうにもならなかっただろう、運命という奴も、ジェスが作ったこのパーティの皆で、切り抜けてきた。
「今度は、俺たちがジェスを助けるんだ」
ライが、そう言うと、マリラとアイリスは、当然のように答えた。
「もちろんよ!」
「はい!」
「よし、作戦会議だ。部屋に戻るぜ」
立ち上がった三人を照らすように、空に太陽が昇り始めた。
その杖は、あの騒動の時に折れ、そして燃やしてしまったはずなのだが→15話参照。