130:竜の力
ライ、マリラ、アイリスは、ザンドを連れて、宿に向かった。
すぐにジェスを追った方がいいのではないかとライは言ったが、マリラは、まずザンドに話を聞くべきだと主張した。
「ジェスがあの姿に――竜になったのは私達も見てるでしょう? ザンドとベルガは、私達の知らない何かを知ってるのよ!」
マリラの主張はもっともだったので、ライも頷くしかなかった。第一、ジェスを追おうにも、手がかりがない。
皮肉だが、もともと四人分で取っていた宿だったので、ザンドを寝かせる分のベッドも足りていた。
マリラとアイリスはザンドの様子を見た。どうやら、顔の火傷は大したことはないようだ。
「倒れたのは、精神力を使い過ぎての、昏倒ね」
「ああ。ジェスに魔法をかけてたな」
ライは怒りも露わに、ザンドを見下ろしたが、マリラは首を振った。
「それもあるでしょうけど……元々、ザンドは体中に刺青で呪文を彫ってるからだと思うわ」
意識を失っているザンドのローブをめくり、その腕を見せた。そこには、刺青で〈強化〉の呪文が何重にも彫られている。
「身体能力の強化と、感覚の強化。よくここまで彫ったものだわ……」
マリラは馬鹿げたことを、と言った。
「いつだったか、魔法の呪文を刺繍したドレスを着たお嬢さんが暴走したの、覚えてる?」
「ああ……あったな」
「これはそれと同じなのよ。ザンドは常に、自分に向けて、〈強化〉の呪文を唱え続けているようなものなの。むしろ、よく精神を保ち続けられるわね。こんなことしたら、発狂してもおかしくないのよ」
ライはぐしゃぐしゃと頭をかき回した。
「馬鹿力で、俺たちを苦しめたけどな……しかし、じゃあどうする? コイツを起こさないと、話が聞けないぜ」
「……刺青を消しましょう」
マリラは淡々と言った。
「起きた時に、暴れられても面倒だわ。呪文が意味をなさなくなる程度に、……彼の肌を焼くしかない」
「……っ」
アイリスは、その痛みを想像し、小さく悲鳴を上げた。そんなアイリスに、マリラは優しく声をかけた。
「私とライでやるわ。アイリスは、外で待ってて」
「――いえ」
アイリスは少し震えていたが、それでもしっかりと答えた。
「怪我を治すのは、私の役目です。早くザンドさんに起きてもらうためにも――私も協力します」
「アイリス……」
ライは、アイリスとマリラを見た。二人ともしっかりしている。こんな状況でも、できることを必死にやろうとしている。
(ったく……リーダーのジェスがいない時、俺がしっかりしないで、どうすんだ)
ザンドが目を覚ましたのは、その日の夕方頃だった。
「……。」
ゆっくりと体を起こし、包帯が巻かれた自分の体を見下ろす。
「気が付いたのね。意外と早かったわね」
声をかけられ、ザンドははっとした。
「お前達は……」
金髪の魔法使いの女性と、緑の瞳の盗賊の青年。そして、水色の髪の神官の少女。
あの黒髪の剣士の仲間だ。
三人に囲まれた状態で、ザンドは窓を破ってすぐに逃げることを考えたが、ふと、体の違和感に気付く。
「ああ。刺青は消させてもらった。今のアンタの体は、普通の人間並みだぜ。三人を相手に逃げられると思うなよ」
「……そうらしいな」
ザンドは観念した。しかし、妙に気分が良かった。いつも靄がかかったようだった思考ははっきりしているし、熱を持っているかのような気怠さもない。
「あなたには色々と聞きたいことがあるのよ。――ザンド。あなた――」
マリラは、一瞬言いよどんだが、意を決したように尋ねた。
「ジェスを、竜の姿に戻したのね?」
「ああ」
ザンドは短く答え、肯定した。
だが、むしろ、驚いたのはライとアイリスの方だった。
「おい、戻したって、どういうことだよ……」
「……ザンドがあの場で、この杖を使ってジェスにかけていたのは、〈解除〉の呪文だった」
〈解除〉は、相手にかけられた魔法を解く呪文だ。
「なっ……?」
「前、南の島で、猫に変身する男がいたでしょう。彼が猫から人間に戻る時に唱えていたのと同じ魔法なの。だから――ジェスは、元々、竜だったと考えるしかないのよ」
「はっ……?」
混乱するライとアイリスを見て、ザンドは言う。
「やはり、知らなかったんだな。あの黒竜も、自分が竜であることを知らない様子だった。血を抜く俺に、理由は何だと繰り返し尋ねていたよ」
ライはそれを聞き、カッとなってザンドの胸倉を掴んだ。
「テメエ! まさか――!」
「……ああ。竜の体を手に入れれば、莫大な利益が手に入る。血を摂って弱らせたところで、竜の姿に戻し、それから殺して鱗や骨などを剥ぐつもりだった。だが、竜というのは予想以上に巨大な存在だったらしい」
ジェスを殺して捌くと、淡々と言ったザンドを、ライは殴ろうとした。だが――振りかぶった拳を、爪が食い込むほど握りながら、ゆっくり下ろす。
以前もこんなことがあった。だが――今は感情のままに動いている場合ではない。
怒りに震えながらも、どうにか冷静さを取り戻そうとするライの肩に、マリラがそっと手を置いた。
「……ち、ちょっと、待ってください! どうしてザンドさんは、ジェスさんが竜だって知っていたんですか? 私達や、ジェスさん本人だって知らなかったんですよ?」
アイリスが尋ねると、ザンドはアイリスの方を向いた。
「以前、ドラゴニアの王城の廊下で、〈狂戦士〉の呪文をかけたベルガと、黒竜が戦ったことがあった。お前もいたから覚えているだろう」
アイリスは頷いた。その時のことは覚えている。
「その時、ベルガはひどい傷を負っていた。だというのに、俺がベルガを連れて外に逃げた時、ベルガの体には傷一つなかった」
「え……?」
「それどころか、昔からの古傷さえも消えていた。こんなことが可能なのは、あらゆる傷を癒すという、竜の血くらいしかない。――そして、ベルガはあの戦いの中、あの黒竜に噛みついていた」
〈狂戦士〉の呪文を受け、凶暴化したベルガは、武器を奪われながらもジェスに向かってきた。その中で、ベルガはジェスの肩を、血が出るほど強く噛んでいた。その時、ベルガはジェスの血を飲んでいたのだ。
「!」
アイリスはその時のことをはっきり覚えている。その時、ジェスの肩の傷を治したのは、アイリスだからだ。
「そうか!」
その時、ライが突然声を上げた。
「えっ、何?」
「前、カステールの遺跡の奥で、アイリスが大怪我を負ったことがあっただろう」
ザンドは、それを聞き、少し俯いた。
以前、一行は砂漠の遺跡の一番奥で、財宝を狙ったベルガとザンドと戦うことになった。ザンドはアイリスを、馬鹿力で思いきり、石の壁に向かって叩きつけるように投げ、アイリスは頭に傷を負って気絶していた。
「俺は確かに、アイリスが怪我をしたのを見たはずなんだ。なのに、いつの間にか治っていた」
ライは、その理由をずっと考えていたが分からなかった。
それもそうだ。ライは、傷の治ったアイリスの方に、何か特別なものがあるのではないかと考えていたのだから。
「そうね、あの時は本当に不思議だったけど……」
「私は、よく覚えていませんが……」
アイリスは、困ったように首を傾げる。
「アイリスはずっと、気絶してたからな。――あの時、ジェスは遺跡のゴーレムと戦って、既にかなり傷を負ってたんだ……。俺とマリラが、ベルガとザンドと戦う間、ジェスは、自分の体を盾にして、アイリスを守るため、覆いかぶさったんだ」
「じゃあ!」
マリラははっと口を押さえた。
「ジェスはかなり出血してた。その時に、偶然ジェスの血が、アイリスの口に入ったんだ」
そうして思い返していけば、ジェスに関する不思議なことは、全て説明がつく。
つい先日も、惚れ薬を吸い込んだはずのジェスは、マリラやアイリスを見ても何の反応も示さなかった。
それは――ジェスが人間ではないからだ。
同じ種類の生き物の、雄と雌に好意を持たせる。そういった術で魔法薬は作られていた。
だから、ジェスは人間の女性であるマリラやアイリスに対して反応することはなく、同様の理由で、マリラも、人間の男性ではないジェスに反応することがなかった。
「あの、闇属性の強い力――あれは、竜の、魔法力、なんだな」
「多分ね……。竜の魔法力は、人間のそれとは比べ物にならないわ。私達が以前会った緑竜や金竜も、卵を温めていたり、生まれてすぐの子供だったりで、力は弱かったはず」
マリラは、窓の外を見た。
完全に崩れ落ちた屋敷に、陥没して大穴の開いた地面が見えた。
放たれた竜の力は周囲の家さえ巻き込み、ギールの街の一角を、完全に壊滅させていた。
「あれが――あの凄まじい力が、竜本来の力なのよ」
伏線回収。そんなことあったっけ? の方は下記参照。
魔法の呪文を刺繍したドレスを着たお嬢さんが暴走した→2話参照。
竜の体を手に入れれば、莫大な利益が手に入る→39話参照。
ベルガはあの戦いの中、あの黒竜に噛みついていた→72・75話参照。
アイリスが怪我をしたのを見たはずなんだ。なのに、いつの間にか治っていた→25話参照。