013:炎の学園
「きゃあっ!」
アイリスとマリラは、操られたライの一撃を、ぎりぎりのところで避けた。短剣で切られたアイリスの水色の髪が、数本、宙を舞う。
「や、やめてください!」
「駄目だわ、聞こえてない!」
ライは再び、短剣を構えて襲い掛かってくる。魔法で眠らせようにも、この至近距離では間に合わない――。
ガン、と強く鋼がぶつかりあう音がした。
ライとマリラの間に、触手と戦っていたジェスが割って入った。すでにかなり息が上がっている。
「あっちを頼む!」
「くっ」
マリラはこちらに真っ直ぐ伸びて襲い掛かってくる毒の触手に、〈火球〉を叩きこんだ。燃やされた触手はしばらく動きを止めるが、またすぐに伸びて襲い掛かってくる。
連続で炎の魔法を打ち込みながら、マリラは絶望的な思いに駆られた。
(これじゃあ勝ち目がない!)
無限に再生する触手を、ジェスとライの二人がかりで抑え込むのもやっとだったのだ。魔法だって、限界がある。マリラの精神力が尽きればそこまでだ。
ああもう、ライの馬鹿。相手を挑発して集中を乱そうとしたのは分かるけど、逆に追い込まれてるじゃないのよ!
一方で、ジェスも苦戦していた。ライの繰り出す素早い短剣の技に、防戦一方だ。
ライとは何度も剣の稽古で手合せしたことはあるが、互いに相手を傷つけようとしたことはない。
(やはり、さっき操られていた魔法使いと違って、もともと動きが訓練されている分、なりふり構わず向かってこられると……)
「マリラさん!」
アイリスが叫んだ。はっとして横目で見ると、肩で息をして苦しそうな様子のマリラが、膝をついたところだった。
明らかに魔法の連続使用で、精神力が消耗していた。そのマリラに、毒の触手が襲いかかる。助けなければ。だが、目の前のライも、ひたすらに短剣を振りかざしてきている。
一か八か、自分の剣を、伸びる触手に向かって投げつけた。マリラに伸びていた触手は、軌道を変えて、その剣を弾き飛ばす。その隙に、マリラは触手から逃れた。
それを見届ける間もなく、自分の左肩に、鋭い痛みが走る。ライの短剣が、深く食い込んでいた。
「くっ……」
激しい痛みに歯を食いしばる。だが、そこで妙に頭が冴えた。
ライを斬ることはできない。ならば、剣など、無くてもいいのだ。
身軽になったジェスは、そのままライの懐に飛び込み、鋭い掌底の突きを、ライの鳩尾に入れた。
「ぐあっ!」
ライは苦しそうに呻いて、床に倒れた。気絶したらしい。やった。これで次に気が付いた時には、元に戻るはずだ。
「アイリス! 早くライを――」
そう言いかけたジェスの首に、ぬるり、と触手が巻き付いた。
「ふああはっはははっ!」
哄笑するアルバトロは、狂気に満ちていた。
「ざまあみろ、私を馬鹿にするからだ!」
「ぐっ……」
ジェスは、触手に首を絞められ、捕えられていた。そのまま持ち上げられ、苦しさにもがく。
幸い、瞬時の判断で、首に触手が巻き付く際、手を入れていたため、すぐに窒息することはない。だが、触手からぬめぬめと滴り落ちる毒が触れるたび、ジェスの肌が火傷のように赤く腫れていく。
「仲間を放せ!」
マリラはアルバトロを睨んだが、アルバトロは優越感を浮かべた様子で笑った。
「ふん、良いな、お前のその苦しそうな表情」
「貴様、どこまで堕ちて……!」
「お前は、私に何か言える立場か?」
アルバトロが、双頭の蛇の杖を振るたび、ぬるりとした触手がジェスをいたぶるように撫ぜる。アイリスは見ていられないというように首を振った。
「さあ杖を捨てろ! 私に跪いて許しを請うか? くははははっ!」
アルバトロは笑いながら、目の前の、魔法使いを見ていた。
彼女はかつてこの学園の生徒だった――忘れもしない。
アルバトロに屈辱を味わわせた、この女のことは。
その少女は学園に来た時、ひどく粗末な身なりをしていた。
「……また奨学金を出して生徒を連れてきたのですか?」
窓から、その金髪の貧乏そうな少女を見かけたアルバトロは、オルドール学園長に尋ねた。
「今まで教育を受けてこなかったというのが惜しいくらいの子でしてね」
オルドール学園長はそう答えて笑った。アルバトロは、一体、何を根拠にそう言うのか見当もつかない。幼い頃から教育を受けてきた名のある魔法使いの家柄であればともかく、およそ学問とは縁のなさそうな貧乏人の子に、才能があるかどうかなど分かるのだろうか。
学園の中庭で、少女が杖を振って呪文を唱えると、その先から火柱が上がった。
「あっ」
少女はそれに驚いたように声をあげる。魔法が成功したのは、これが初めてのようだった。
「――ほう、なかなか早いものですね。初めてにしては威力もある」
リドルはその様子を窓から見ていた。魔術書を持って隣を歩いていたアルバトロは、吐き捨てるように言った。
「……不愉快ですな」
「おや?」
「あの娘は一銭も払わずにここで学んでいる。というのに、それを理解せずに我が物顔で魔法を使っている」
リドルはアルバトロの言葉に顔をしかめた。
「だからこそ真面目に学ぶべきでしょう。第一、生まれによって優れた才能が埋もれてしまうなど、あってはならない。魔術師の名家であるあなたにはお分かりにならないでしょうが」
そう言ってリドルはアルバトロを残して廊下を歩いて行った。
何も分からないのは――お前たちの方だ。
図書室で、その女生徒は魔術書を読んでいた。そこに、後から別の生徒の集団が入ってきて、彼女の読んでいた本を取り上げた。
「おい、お前どけよ」
「……何故?」
先に来た自分がなぜ出て行かなければならないのだと、彼女はきつい視線を向けた。
「俺は貴族だぞ」
「それが?」
「お前は貧乏人だろ」
きっ、と彼女は本を取り返し、相手を睨みつけた。そこに、学長室に用のあったアルバトロが通りかかる。アルバトロは揉めている彼らに近付き、そして、女生徒に向かって冷たい声で告げた。
「君、図書室から出て行きなさい」
「待ってください、私は――」
「彼らには学ぶ必要がある」
女生徒は、目を吊り上げ、そしてもう何も言いたくないという様子で荒々しくその場を後にした。図書室を出る前に振り返り、捨て台詞を残して。
「あなた達にあるのは家柄だけよ。生まれなんて自分の力でも何でもない。それで魔法が使えるようになるなら、ご立派なものね!」
アルバトロは、その言葉に、爪が深く食い込むほど拳を握りしめた。
アルバトロは――魔術の名門に生まれた。当然のように魔法使いを志し、一族の名を背負って立つと決めていた。
だが、いくら呪文を唱えたところで、魔法は簡単なものしか使えるようにならない。魔術書をいくら読んでも、知識が溜まる一方で、それらを発動させることは叶わなかった。
魔法の力は、多くは生まれ持った才能に依るという。だからこそ、学園では才能を持った人物を探しては、時には無償で教育を受けさせるのだ。
アルバトロはその血から、才能を受け継がなかったのだ。
だが、名家に生まれた自分に向けられる期待は大きく、そしてそれはいつしかさらに大きな失望に変わっていた。
あの貧しい娘が、魔法を一つも覚えなかったところで、誰にも責められることもない。だが、それなりの家に生まれた者には、それだけの苦しみがあるのだ。
握りしめた拳からは血が滲み、滴り落ちた。
そして、あの時の娘は、今自分の前で屈服しようとしている。
アルバトロは歓喜に身が震えた。
だが。
「……仲間を、放しなさい」
金髪の女魔法使いは、強い瞳でこちらを睨んでくるばかりだった。それどころか、杖を水平に構え、こちらに向けてくる。
「馬鹿か! 私に魔法は効かないのだ!」
マリラは、覚悟を決め――、精神力を振り絞って、低い声で呪文を唱えた。その杖先は、真っ直ぐ、ジェスを捕まえた触手と、その後ろのアルバトロに向けられている。
唱えているのは、〈火球〉の呪文だった。
まさか、仲間ごと吹き飛ばすつもりか、とアルバトロは身構えた。だが、あの魔法使いの呪文で触手は倒されることはないし、自分も同様だ。傷つくのは、この剣士だけである。
巨大な火が、杖の先から放たれた。
それと同時に、マリラはその杖先を、少し離れたところの、床に向けた――
轟音がして、吹き飛んだのは、学長室の床だった。
床を突き抜けた炎は、その下――図書室に放たれる。
「なっ!」
アルバトロの混乱をよそに、マリラは、床にできた穴に、続けて何発か〈火〉の呪文を放り込んだ。乾いた紙が大量に置かれている図書室でその炎は、みるみるうちに大きくなる。
「仲間を、放しなさい」
マリラは低い声で、もう一度繰り返した。
「さもなくば、この学園の魔術書を、すべて灰にしてやる!」