129:暴走
バチリ、と音がして、光が跳ね返される。強く、鞭で叩かれたかのような衝撃に、ザンドは杖を取り落とした。
「……何やってんのさ、ザンド」
ベルガは苛立ったようにザンドを見る。ザンドは杖を持っていた手を擦る。
「……奴にかかっている魔法が、強力すぎる」
ザンドは何度かジェスに向かって呪文を唱えていた。しかし、ザンドの魔法がジェスの体に当たった瞬間、弾かれてしまう。
「ちっ」
ベルガは舌打ちした。
ジェスは何が起きているのか分からなかった。
(僕にかかっている魔法? 何を言ってるんだ? ザンドは僕に、何をしようとしているんだ……?)
ベルガはふと、何かを思いついたというように、ザンドに言った。
「じゃあ、あれを使えばいい。――ほら、どんな魔法でも使えるんだろ?」
「……使うのか? あれは……」
「コイツにはそれだけの価値があるさ」
ベルガは、床に倒れているジェスの髪を掴み、無理矢理にその顔を覗き込んだ。
「くくっ、コイツを殺して、どれだけの財宝になるか……!」
一方的に嬲られても、もはやジェスは抵抗することはできなかった。体に力が入らない。
(せめて、剣があれば……)
魔法剣は、当然取り上げられている。あれさえあれば、剣を触媒に魔法力を活性化させ、ここから逃げるくらいの体力は回復できるのに。
ザンドは、ベルガの言葉に頷き、荷物の中から、別の杖を取り出した。それは奇妙な杖で、折れたものを無理矢理紐で繋いでおり、真ん中でくの字になってしまっていた。
飾りに、双頭の蛇が絡みついている。見事な意匠で、木彫りの蛇は、まるで生きているかのように見えた。
「……?」
ジェスはその杖に、見覚えがあった。あれは何だったか。
ザンドは杖をジェスに向け、同じ呪文を唱えた。
すると、杖から先程とは比べ物にならないほど強力で鋭い光が飛び出し、ジェスの体に当たった。
その瞬間、ジェスは今までにないほどの衝撃を覚えた。
体の内側から、何かが飛び出してくるような、何かがせり上がってくるかのような――
「うっ……ううっ、やめ……」
駄目だ。
反射的に、そう思った。なのに、ジェスの体はどこまでも熱く熱を持つ。狭い部屋の中を、ごうごうと黒い風が吹き荒れた。
「うっ……うわああああ!」
ジェスは体が引き裂かれるように感じた。
「あははは、あははははは―――!」
ベルガの狂ったような笑い、ジェスの叫び声、風の音――。ジェスの体から、巨大な闇が染み出した。それは、ジェスのいる部屋の天井を貫き、外に吹き出した。
闇が噴き出す場所を目指して走る中、アイリスの瞳から涙が零れた。
「!」
胸の奥が、ひどく苦しくなった。
(ジェスさんが苦しんでる!)
どうしてか分からないが、そう思った。
「黒い光、ここから出てるぞ!」
「ここって……!」
街の隅にある、古い屋敷の屋根を貫いて、その光は噴き出していた。この屋敷は知っている。
かつてアイリスが捕まり、奴隷として売られそうになった闇市場だ。屋敷の主人ともども捕まり、今は無人となっている。
屋敷の扉には鍵がかかっていた。
「どいて! 今開ける!」
マリラは炎の魔法で、扉を吹き飛ばした。三人はなだれ込むように屋敷に入る。屋敷は無人だったが、応接間の床から、天井に向けて、上昇気流のように力が流れていた。
「地下よ!」
「ああ!」
ここには、人を捕まえるにはうってつけの、奴隷達を捕らえる部屋があった。隠し階段のある部屋に向かう。
すぐにベルガやザンドと戦闘になることも考えられた。ライは剣を、マリラは杖を構える。アイリスはすぐに〈護り〉の呪文を唱えられるように精神を集中した。
ライの合図で、一気に地下への扉を開いて突入した。
「うわああああ――っ!」
喉が裂けるのではないかというほどの、ジェスの叫び声が聞こえた。尋常ではない。
「ジェス!」
三人は、奥の牢へと向かった。そこには――呪文を唱えるザンドと、魔法を受けて苦しむジェス。
「何を――!」
「お前ら!」
ライはザンドを止めようと剣で斬りかかるが、そこにベルガが曲刀を抜いて、割って入る。
「今、いいとこなんだ。邪魔しないでくれないか!」
「ちっ!」
ライはベルガと剣をぶつけ合いながら、マリラに目配せした。
(俺がベルガを押さえているうちに、早く!)
マリラは、ザンドに攻撃するべく、呪文を唱えた。だが――ザンドは汗を流しながら呪文に集中しており、マリラ達が乱入してきたことにさえ気づいていない様子だった。
「――その杖!」
マリラはザンドの持っている杖を見て驚愕する。それは、失われたはずの、賢者の杖だったからだ。
そして、マリラは、ザンドの口から聞こえる、聞き覚えのある古代語の呪文に耳を疑った。
それは攻撃魔法でも、呪いの言葉でもなかったからだ。
「ジェスさん!」
アイリスは、苦しむジェスに駆け寄った。だが、ジェスは、銀に染まった瞳で、アイリスの姿を見ると――渾身の力で叫んだ。
「来るなあっ!」
「!」
迫力に気圧され、アイリスの足が止まる。
次の瞬間――ジェスを中心に、爆発が起きた。
ジェスの体の感覚と意識が、全て消えた。
黒い髪が、生き物のように蠢く。次の瞬間――体は漆黒に変わり、巨大に膨れ上がった。
「きゃああっ!」
アイリスは手で顔を覆った。爆発の勢いで、地下の小部屋の天井が吹き飛んだ。
「なっ……!」
ライもベルガも、マリラもザンドも、アイリスも、爆発の中心を見る。そこには、叫びながら――咆哮をあげながら、姿を変えていく、ジェスがいた。
むくむくと体は膨れ上がり、巨大化しながら形を変える。全身が鋼のような黒い鱗で覆われ、尾と翼が生える。巨大な体からは、銀に光る爪や牙が出現した。
かつて創世において、闇を創り出した、闇龍に連なると呼ばれる存在――黒竜。
その存在は、こんな小部屋に収まるものではなく――竜の体を包む、凄まじいほどの力の奔流に押され、地下室は崩れ始める。
「ジェス……?」
ライ達は、仲間が目の前で、竜に変わるのを見ていたが、それでも、何が起きているのかまったく理解できなかった。
竜は、暴れるようにその体を強く振るう――その度、小部屋は崩れた。天井が崩れ、ライとベルガの間に落ちる。二人はさっと飛びのいて躱す。
「なっ……ここまでの大きさなのか?」
ベルガはそう言い、身を翻して部屋の出口へと向かう。
「ぐあっ!」
その時、ザンドが叫んだ。持っていた杖が、継ぎ目から炎を吹き出したのだ。ザンドはそれをまともに顔から浴びた。顔を押さえ、床を転がる。
「何やってる、逃げるよ!」
しかし、ザンドには聞こえていない。
そうしている間にも、竜はその大きな翼を振るわせた。強い風が、吹きあがる。
「ジェス、さん――!」
嵐のような風に逆らい、アイリスは手を伸ばす。だが、竜は、そのまま飛び立った。自らの体で体当たりし、天井を、そして屋敷を破壊し、空へと――。
「くっ!」
竜が突き破った天井は、ますます激しく崩れていく。
ベルガはちっと舌打ちをし、その場から逃げ出した。
ライも、ここは逃げるしかないと判断した。もうこの地下室は持たない。このままでは生き埋めになる。
「……アイリス、マリラ、逃げるぞ!」
「待って、コイツを連れて行かないと!」
マリラは、二つに割れた賢者の杖を拾い、気絶しているザンドの腕を持ち上げた。
「そんな奴、助けてく場合か、逃げ遅れるぞ!」
「聞かないと! ジェスに何をしたのか!」
マリラはライに反論した。ここで言い争っている場合ではないと、仕方なくライはマリラと共に、ザンドを両脇から支えて持ち上げた。
「アイリス、先頭を行ってくれ! 天井から瓦礫が落ちてくるから、〈護り〉の魔法を!」
「はっ、はい!」
ライ、マリラ、アイリスは、崩れる屋敷から間一髪で逃げ出した。
いつの間にか、朝が来ていたらしく、東の空が少し白みかけていた。しかし、これから、どうすべきか――三人の心は重く沈んでいた。