127:不意打ち
一行は、ルーイェから、森を抜けて、一日ほどでギールの街に到着した。冒険者の街は、今日も多くの人が往来し、賑わっている。
「久しぶりに、マスターの料理が食べたいな」
「私もです」
ジェスとアイリスは頷き合う。ここの酒場のマスターの料理は、濃い味で油っこいのだが、時々無性に恋しくなるのだ。
「久しぶりに顔出したら、マスターも喜ぶんじゃねえか? マスター、ジェスを気に入ってるしな」
まあ、どんな厄介な依頼もちゃんと請けてくれるという点で、冒険者の店のマスターはジェスを大変気に入ってるのだが。
「そうね、今日はとりあえず、宿で一泊して、明日の朝、カステールに向かいましょう」
カステールの街は、ギールから南の砂漠にある。そこで宿を営んでいるジェスの両親に会うのが、今の目的だった。
一行は、話しながら、冒険者の店に向かう。
「――ん?」
ライは、ふと、後ろを振り返る。
「どうしたの、ライ」
「……いや」
誰かに見られている気がしたのだが、気のせいか。
「いい、お酒は一杯だけだからね」
「ジェスが満足するまで飲んだら、金がいくらあっても足りないからな」
冒険者の店のテーブルで、マリラとライは、ジェスによく言い含めていた。ジェスは苦笑しながら、麦酒のグラスをゆっくり傾ける。
冒険者の店は、相変わらず冒険者達で賑わっていた。一攫千金を狙う者や、自分の力を試そうとする者で溢れている。
「ここは変わらないわね」
「そうですね」
油で揚げて、塩をしっかり振った芋――四人とも大好きな料理だ――をつまみながら、それぞれの好きな料理を頼んだ。
そうしてのんびりと食事をしていた四人の前に、大柄な男が立ちはだかった。
「おい、お前ら!」
「うん?」
筋骨隆々の男は、四人を睨んだ。相手を見て、マリラは首を傾げた。
「……あなた、誰?」
アイリスとライは、声を潜めてマリラに言う。
「……あの、マリラさん、獅子の王のパーティの方ですよ。前、修道院の魔物退治で一緒になった……」
「そんなのいたっけ?」
「マリラって、割と人の顔覚えないよな。よくここで酔って騒いでる馬鹿がいるだろ」
「ああ、あいつら」
「聞こえてるぞ!」
男は腕を組んで、怒った顔をした。
「あの……で、何か、用でしょうか?」
ジェスが聞くと、男は顔を真っ赤にした。血管が切れそうな勢いだ。
「お前ら、俺たちの手柄を横取りしやがっただろうが! 俺たちの獲物を倒しやがって!」
「はい?」
本気で訳が分からないという様子のジェス。ライは脱力した。
「言いがかりもいいところだな。あの修道院の屍竜のことを言ってるんだろうが、たまたま奴が出た時に、俺たちが近くにいた。それだけだろうが」
「俺たちが先にあそこにはいたんだぞ!」
「知るかよ……」
ライはため息をついた。しかし男はジェスに向かって怒鳴った。
「俺と勝負しやがれ!」
「止めてください、僕はそんなつもりは……」
マリラとライとアイリスは、後ろでうんうんと頷いた。ジェスと戦うなんて、止めた方が身のためだ。
「――ふん、剣じゃねえ。てめえも酒を飲むようだしな。この俺と飲み勝負をしろ。負けた方の奢りでな」
「やりましょう」
ジェスは即答した。
ライは呆れて、新しい麦酒のグラスを飲み干す、小柄な友人を見下ろした。
「お前さ、本当に何なの?」
「ん?」
平然としているジェスの前には、空になった麦酒のグラスが大量に置かれている。大男も飲み勝負を持ち掛けてくるくらいだから、それなりには飲んだが、今はぐったりとテーブルに突っ伏している。
ライ達三人の予想した通り、そして店中の客は信じられないという様子で、ジェスと大男の飲み勝負の結果を見ていた。
「まだ、僕は飲めますけど――」
「お、俺が悪かった……うぷ。もう勘弁してくれ……」
アイリスは不憫になって、大男に〈浄化〉の呪文を唱えてやった。毒消しの呪文だが、これで多少は気分がましになるはずだ。男の顔色が少し回復したのを見て、アイリスは遠慮がちに言った。
「あ、あの、申し訳ありませんが、お支払いはよろしくお願いします……」
大男は、それが精神的なトドメになったのか、どっさりと崩れ落ちた。
ライは腕を組んで、ううむ、と考える。
「アイリスも、俺たちと旅をしている間に、抜け目なくなってきたというか、何というか……」
回復させてやったのは、ちゃんと金を払わせるためか。
ジェスは酔って気分が良くなったのか、晴れやかな笑みでテーブルを立った。
「ご馳走様でした。あ、僕、ちょっと外の空気吸ってくるね」
「あ、私も」
アイリスもジェスについて行った。室内は、飲み勝負を見物していた人々でいっぱいで、少し蒸していたから、外の新鮮な空気にあたりたかった。
「……俺は、ジェスに酒を教えたことを後悔している」
「まあ、酒癖は悪くないからいいんじゃないの」
「お前が言うか?」
ライのからかうような様子に、マリラはむっとした。
そんな和やかな様子で二人が話していると――外から悲鳴が聞こえてきた。
「うん、楽しかった」
「はあ……」
飲み勝負が楽しいというジェスの気持ちはよく分からず、アイリスは曖昧に返事をした。
ふと空を見上げた。今日は新月なので、星が良く見えると思ったのだが、薄曇りなのか、星はほとんど見えない。
少し残念に思っていると、小さな女性の悲鳴が、近くの路地の奥から聞こえた。
はっとして、ジェスとアイリスは路地の奥を見る。
すると、女性が男性に腕を掴まれていた。布を頭に巻いていて、暗がりで顔はよく見えないが、若い女性のようだ。
「助けてっ」
ジェスはすぐに飛び出して、乱暴されているらしい女の方へかけた。すると男性はすぐに女性の腕を放し、路地の奥に逃げていく。女性は、ジェスに抱き着くように駆け寄った。
「大丈夫ですか――ぐっ!」
ジェスの腕に、痛みが走った。何を、と思った瞬間、体に力が入らなくなり、ジェスはその場に崩れる。
「きゃあ、ジェスさん!」
アイリスは悲鳴を上げ、ジェスの方に向かおうとした。だが――そのアイリスも、背中に強い衝撃を受け、意識が遠のく。
(……な、なに……?)
アイリスは、自分を背後から殴った相手が、獣のように素早くアイリスを飛び越えて、倒れたジェスを抱えるのを見た。
(……あれ、は……)
その男性の顔を、アイリスはすぐに思い出せなかった。だが、助けたはずの女性が、頭に被っている布を取り、邪悪な笑みを浮かべたのを見た時――アイリスははっきりと思い出す。
襲われている女性という小芝居を打って、ジェスを路地の奥に誘い込み、襲ったのは、女盗賊のベルガ。
そして横にいる男性は、常にフードで顔を覆っていたから、その印象が強くて、すぐに思い出せなかったが、間違いなくザンドだ。
アイリスは地面に倒れ、薄れゆく意識の中で――自分を見て悲鳴を上げた、通行人の声を聞いた。