125:森の大陸
船は、フォレスタニア大陸の港、ルーイェに到着した。
「やっぱり景色が違うね」
ジェスは深呼吸をして、空気をいっぱいに吸い込んだ。
フォレスタニアは森が多く、森の大陸とも呼ばれている。ドラゴニアと比べるまで分からなかったが、ここの空気はどこかしっとりとして、落ち着いている。
「じゃ、今日の宿を探すか、俺は眠い」
ライは欠伸をした。昨日は船が揺れたので、あまりよく眠れなかった。
「その前に、荷物を売りましょうよ。重いし」
そこで、ライとアイリスが宿を探し、マリラとジェスで荷物を売ることにした。店によって扱ってくれる品が違うので、マリラとジェスは、それぞれ品物を分担した。
「じゃ、よろしくね」
ドラゴニアの織物を手に市場へ向かうジェスを見送り、マリラは、本を買い取ってくれそうな古書店に向かう。
古書店は、大通りから外れた場所にある、本が焼けないように厚い布で窓を覆った、薄暗い店だ。
マリラが店に中に入ると、見知った顔があった。
「あら、シャイールじゃない」
「マリラ?」
シャイールは、魔法学園時代のマリラの友人だ。
色々あって、ここルーイェで商人の手伝いをしていたはずだが、今の彼は、魔法使いらしい格好をしている。
きっちりと群青に染めたローブを着て、白木の杖を背負っていた。
シャイールはマリラを見てぱっと顔を明るくした。
「久しぶりだね、もし時間があれば、ゆっくり話せないかな」
「ええ、いいわよ」
マリラは奥にいた古書店の店主に、本を売る。それを横からシャイールが見ていた。
「ドラゴニアの歴史の本? 珍しいね……こんなのどこで?」
「勿論、ドラゴニアよ。ついこの前まで向こうにいたの」
マリラが答えると、シャイールは驚いた。
「あの魔物だらけの大陸に? さすがマリラだね、だけど……」
「?」
言葉を濁したシャイールにマリラが首を傾げると、後は外で話そう、とシャイールはマリラを連れて店を出た。
シャイールがマリラを連れて行ったのは、海の見える食事処だ。洒落た雰囲気の店で、そこでシャイールは薄く切った果物を浮かべた茶を頼んだ。爽やかな香りがする。
「それにしてもシャイール、今は何をしてるの?」
「見ての通り魔法使いだよ。貴族のお抱えにしてもらってね。新しい杖も旦那様から頂いたんだ」
「あら、すごいじゃない」
マリラは素直にそう言った。貴族に抱えられるというのは、それだけ実力が認められたということで、待遇もいい。
だが、シャイールは首を振った。
「実力というよりね……今は、魔法使いは一時的に、需要が高いだけだから。たまたまいい時期に、声をかけてもらっただけだよ」
「うん?」
それによれば、マリラが冒険者として忙しくしている間、様々なことがあったらしい。
まず、魔法使いを輩出することで有名な魔法学園、クロニカが潰れた事が広く知られた。
「出入りする行商の人達から、色んな話を聞くんだけどね……クロニカには色々貴重な魔術書があったことで有名だった。一時期、あの辺りはそれを狙った野盗なんかで治安が悪かったそうだよ」
「全部燃やしちゃったから、特に目ぼしいものなんか残ってないのに……」
マリラはため息をついた。魔術書を燃やしたのはマリラだが、更にその後、廃墟となった学園に魔物が巣食ったりしないよう、リドルが完全に火を放った。かつての街に残っているのは瓦礫ばかりだ。
「まあ、それで、新しい魔法使いが教えられないってことでね。今いる魔法使いが貴重だって、そういう流れになってね。確保しようと、貴族たちが躍起になったわけだよ」
「……そうなの」
「ちゃんと学園を出たわけでもない、見習いの魔法使いが貴族のお抱えになれるなんて、今までならありえないよ」
マリラは茶を啜る。確かに、自分やシャイールも学園を飛び出した後、職がなくて苦労したのだ。
「でも、確かリドル先生が、近くに魔法の学園を作ったんじゃなかったかしら?」
「うーん……でも、すごく田舎の村に作ったって聞いたから。まだできたばかりだし、クロニカほどちゃんとした設備があるわけじゃないだろうから、貴族が行って学ぶなんてこともないんじゃないかな……」
マリラは納得して頷いた。あの学園は、金に余裕のある貴族の寄付金で成り立っていた。
「私も本当は、もう一度リドル先生の所で学びたかったけど。ただ、年齢のことも考えれば、今を逃せば、職につけない気がしてね」
「……学びたいと思えば、どこでも学べるわよ、シャイール」
マリラはそう言った。シャイールは、そうだね、と微笑む。
「ねえ、リドル先生の学校ってどこにあるの? 機会があったらご挨拶したいわ」
「学園近くの、辺境の村だと聞いたよ。マームの村といったかな」
「……そう」
マリラは少しだけ顔を曇らせたが、すぐに取り繕ったので、シャイールは気が付かなかった。
シャイールは、お茶のお代わりを飲みながら、マリラに尋ねた。
「君も、今の機会に魔法使いとして職に就く気はないの? 今なら、相当いい職につける。特に君の、その黒檀の杖があれば」
黒檀の杖は、魔法学園クロニカの卒業生である証だ。
同じことは、ウィンガの街でも言われた。
「分かっているわ。でも、私は、今の冒険者の生活が楽しいのよ」
「……でも、君だっていつまでも、そんな生活をしていられるわけじゃない」
シャイールの声は、思ったよりも落ち着いていて、マリラをドキリとさせた。
「え……」
「魔物と戦う生活を強いられる冒険者は、若い間しかできない。旅の行商人だって、ある程度資金を貯めたら、どこかの街に落ち着くのが普通だよ」
「……。」
「君が、学園にいた時より、明るく笑っているのは分かる。今の生活が楽しいのもね。でも、友人として言うよ。マリラ、君はそろそろ――落ち着く先を考えた方が、いいんじゃないかな」
カチャリ、とマリラの持っていたカップが皿に当たって音を立てた。マリラは、何を言うべきか分からなかった。
今までの旅の中で、考えたことなんかなかった。
(冒険者を――やめる)
シャイールの言う通りだ。いつかは、そんな日が来る。今のパーティの皆が、おじいさんおばあさんになった日にも、同じ生活をしている訳がない。
「……ありがとう。考えて……みるわ」
「あ、いや……」
マリラはそれだけ言うのが精一杯だった。シャイールも、マリラがそこまで動揺するとは思わなかったのか、すまなさそうな顔をしていた。
「そろそろ行かないと、私。お茶、ありがとうね」
「いいよ、君には助けられたんだから。仲間達に、よろしくね」
マリラは、シャイールと、店の前で別れた。手を振ってみせる。
すっかり話し込んでしまい、気付けば日が暮れていた。
夕日が、海に映って、ゆらゆらと揺れている。
気付けば、胸の前で、ぐっと手を握り込んでいた。
――いつか来る別れを思うと、胸の奥がひどく切なくなる。
(……ジェス、アイリス……ライ)
彼らの顔を思い浮かべたが、マリラはふっと苦笑して、頭を振った。
何をしんみりしているのだろう。まだ別れたわけじゃない。宿に行けば、すぐに仲間と会える。
マリラは意識して、軽やかに歩き出した。綺麗な夕焼けが見えるということは、明日も晴れるのだろう。