123:変身
一行は木陰で、遅めの昼食を食べていた。
南国の果物を使ったサンドイッチに、香辛料のきいた魚料理は、この島の名物らしい。
道行く人々は、食事中の一行をちらちらと見る。冒険者が珍しいからではない。横に、縄でぐるぐる巻きにされた男が転がされているからだ。
「……で? この男、ライの知り合いなわけ?」
不機嫌な様子のマリラは、この男のことを話題にするのも嫌という様子だ。
「残念ながらな。……まあ、このまま海に沈めてくれていいから」
「レオンハート殿下、いくら何でも恩師にそれは酷いってもんだろ」
「黙れエロ親父が!」
マリラはすっと杖をジェドラールに向け、彼の周りの空気を魔法で操った。これで奴が何を言おうとこちらには聞こえない。
「……結局、この人誰?」
ジェスの問いに、ライはため息をついた。
「ジェドラール・テンペラスト。元宮廷魔術師で、俺の家庭教師をやってた」
テンペラストといえば、魔法使いの優秀な一門だと聞いたことがある。マリラはその名前を聞き、ちょっと驚いたが、何も言わなかった。ジェスとアイリスは、宮廷魔術師というところに驚く。
「へえ……そんな位の高い人なの?」
「ドラゴニアは良くも悪くも実力重視の国だ……魔法使いとしての実力は高いんだが……」
そこまで言ってライは項垂れた。あとは何となく察しがつく。
猫を見て、ライがすぐにジェドラールの変身だと見抜いたあたり、以前からよくこの男は、猫に化けては悪さをしていたのだろう。
「俺のいない間に辞めたとは聞いてたが、まさか島で遊んでたとはな」
「宮廷は退屈だからな。南国の方が薄着で魅力的なお嬢さんも多いし」
急に会話に口を挟んできたジェドラールを、一行ははっと見た。ジェドラールはマリラに向かって片目をつぶってみせた。
「お嬢さんの風の魔法の使い方は面白いね。今度参考にさせてもらおう」
「……魔法を解いたわけ?」
「ちょっと逆向きに風を渦巻かせただけだよ」
そう言うが、ジェドラールは杖を持っていない。それでこれだけ巧みに魔法を使えるのだから、確かに優れた魔法使いだ。縄だって、その気になれば簡単に抜け出せるはずだろう。
「俺のことより、殿下。こんな所にいていいのか? ここはドラゴニアの貴族も沢山いるぞ」
「冒険者の格好してたら、意外とバレねえよ。それに、もう逃げる必要もなくてな」
肩を竦めるライに、ジェドラールはふうん、と相槌を打った。
「もしかして次の王が決まったのかい?」
「ファルトアス兄上だ。知らなかったのか?」
「そうか、どうも世俗のことには疎くてね、まあ今度貴族のお嬢さんにでも聞いておくか」
「ああ」
そのやりとりを聞けば、ライ――レオンハート王子とジェドラールの親しさがうかがえた。王城でのゴタゴタの際も、ライはジェドラールを最初に頼ろうとしていた。信頼もしているのだろう。
女好きで、猫に化けて女性にすりよるなど、色々と問題があるにしても、教師としては優秀だったのかもしれないと思う。
「それにしても、さっきの呪文は何だったのかしら?」
マリラがジェドラールに尋ねる。
「ん? 猫になった魔法かい?」
「ええ。人間を猫にするなんて並大抵の魔法じゃないでしょう」
自分からその話題を出すということは、もう怒ってないのだろうか、と仲間たちは恐る恐る様子をうかがった。
そんな仲間たちの視線に気付いて、マリラはため息をつく。
「……許してはいないけど、魔法使いとしては気になってね」
ジェドラールも魔法使いとして、その問いに素直に答える。
「〈変化〉の呪文さ。元に戻る時は〈解除〉を唱えてる。まあ、まだ自分にかける分には難しくはない、抵抗がないからね」
「ふうん……」
ジェドラールは呪文を唱えた。たちまち体が縮み、白い首輪の、銀褐色の猫が現れる。猫はぴょんと跳ねてみせた後、すぐに人間の姿に戻った。
ちなみに、さりげなく、猫に変身したことによって体が縮んだので、縄から抜け出している。
「こんな感じだね。まあ、俺も猫以外にはならない」
「他の生き物は、難しいのかしら?」
「一般に元の状態とかけ離れた生き物になる方が難しい。自分より大きい生き物もね。だから虫や蛇、牛なんかは難しい。不可能じゃないがね」
「……だったら、猫より、犬とか狼とかの方が、体の大きさはまだ近いだろ?」
ライの指摘に、ジェドラールは首を振る。
「小さい生き物じゃないとご婦人に可愛がってもらえないからね」
まだ言うか。一同は呆れた。
「マリラ、だったかな。もし興味があるなら、今晩俺の宿に来てもらえれば、もっと詳しく――痛っ」
「俺の仲間にちょっかい出すな」
ライがジェドラールに肘鉄を入れていた。
遠慮のないやりとりに、思わずアイリスは笑ってしまう。
「仲間? ふうん……」
脇腹を擦りながら、ジェドラールはジェス、アイリス、マリラを順に見た。
「そうか。じゃあ、まあ、君たち、殿下をよろしく頼むよ」
ジェドラールはそう言ってくくっと笑い、特にマリラに向かって片目を瞑ってみせた。そして、手を振って去っていった。
次の日、船は島を出発した。
ライは甲板に立ち、遠ざかる島を眺めていた。
「……良かったの? 昨日はライだけでも、彼の宿に泊まってゆっくり話してきても良かったのに」
ジェスの言葉に、ライは首を振る。
「気持ち悪い。そんな仲でもねえよ」
そう言いながら、ライは遠い昔を思い出す。
ジェドラールが少年だった自分に初めて教えたことが、女の口説き方なのだから、その破天荒さには恐れ入る。
元々、教えるように命じられていた、王子に相応しい教育だけでなく、渡世術や庶民の常識、広い世界の事、さらには下世話なことまで、とにかく色々な事を教えてきた。王子につけるには、あまりにも風変わりな家庭教師だった。
だが、彼が自分の教師でなければ――世間知らずの王子では、城を飛び出すことなど、とてもできなかっただろう。
「ったく……。……会った途端あんな様子じゃ、礼を言おうにも言えねえだろうが」
ライの呟きは、波の音の間に消えていった。