121:竜と王
船が、ドラゴニア大陸を発って数日。
ライは甲板の上で、剣を振るっていた。
風切りの剣――その名に違わず、風のように軽い。刃が宙を舞うたび、ヒュンヒュンと空を切る音がする。
細身で軽い分、打撃の威力は少ないが、的確に相手の急所を斬るための剣だ。
昔習った型の通り、しばらく剣を振っていると、いつの間にかジェスが横にいた。ライは汗を拭って剣を下ろす。
「ごめん、邪魔した?」
「……いや」
暇さえあれば、剣を素振りするジェスほどではないが、ライも剣の稽古はする。特に今は、航海の途中であり、やることが全くないので、暇つぶしも兼ねて、船員たちの邪魔にならない場所で、剣を振っていた。
「本当にいい剣だね。ちょっと持ってもいい?」
「ん、ああ」
ライは剣を一旦鞘に納め、ジェスに渡す。
ジェスは剣を素早く抜くと、二、三度具合を確かめるように降り下ろした。
「うん。……軽いし、握りもいい。それに綺麗だね」
「ああ」
細身の突剣は、よく見れば細かな意匠がこらされている。美しい剣は、芸術品として売っても価値は高いだろう。
ジェスはライに剣を返した。
「そういえば、最近、一緒に稽古してなかったね」
「あー、そうだな」
ジェスとライは、以前はよく剣を打ち合わせていたが、最近はしていなかった。
パーティを組んだばかりの頃は、互いの実力や動き方を把握する意味でも、実践に近い訓練をして、実力を高めるためにもよく互いに稽古に付き合ったのだが。
「久々にやるか? けどなあ……」
ライはジェスの魔法剣を見下ろした。
今や、ジェスは魔法剣をある程度、使いこなしている。正直言って、ジェスの剣技はライのそれを遥かに超えた。
剣を振るえば衝撃波が飛ぶほどの威力があり、その気になれば支援魔法をかけたのと同じくらいの速さで動けるのだ。
ジェスはライの言わんとすることに気付き、腕を組んで考えた。
「ああ……魔法剣を発動させなければいいんだろうけどね。ライも、腕を上げたし……。ライを相手に集中しないなんて無理だから、多分魔法剣を発動させちゃうだろうなあ」
「おいおい」
ジェスの魔法剣が本気で発動したら、船に穴を開けかねない。
そこでジェスは、あ、と何かを思いついたように声をあげた。
「じゃあ、剣じゃなくて、組手にしよっか」
「お、いいな」
そう言って、二人は剣を腰から外し、その場に置いて、構えを取る。合図は特に決めていなかったが、示し合わせたように、同時に動いた。
二人とも体術の使い手ではないが、剣術も基本は、相手の動きを見極めて攻撃を避け、相手の隙を突いて攻撃することに尽きる。剣の動きを覚える前の基本として、拳でも訓練をする。
ジェスの掌底の突きを、ライは紙一重で躱す。攻撃の隙を突いたライの蹴りを、ジェスは流すように払った。
「おっと」
ジェスの肘が、危うく決まるところだったのを、ライは間一髪で避ける。ライはジェスより背が高く、体格差があるため、体術ではいくらか有利かと思っていたが、ジェスは動きの速さでそれをカバーする。
(……強えな、やっぱ)
そう思いながら、意表を突くようなギリギリの動きで手刀を繰り出す。ジェスもまた、予想外の動きに、驚きながらもなんとか反応した。
悔しいと思う反面、そうこなくちゃな、という気持ちにもなる。知らず、笑みが浮かぶ。
二人の組手は、互いに息が切れるまで続いた。
船室のベッドの上で、寝転がりながら本を読むマリラに、アイリスは尋ねた。
「マリラさん、何読んでるんですか?」
「ドラゴニアの歴史の本よ」
航海は暇だろうと、予め用意していた本だった。勿論、ドラゴニアではメジャーな本だが、フォレスタニアでは珍しい物――の一つとして買ったものでもある。読み終われば売るつもりだ。
ドラゴニアは、戦いの時代が長い。その歴史が記された本は、戦記物として読むには、なかなか面白い。
「まだ最初の章。ドラゴニアの建国王の辺りね」
「ドラゴニアの最初の王様って、古代魔法王国と戦ったっていう王様ですよね?」
「そう。剣の達人だったんですって」
かつて古代魔法王国は、魔法にて栄華を極めたが、その強大な力に驕り、民を虐げ、世界をも傾かせた。
人々、そして竜たちが争う混迷の時代、ドラゴニアの建国王は、その力を善き竜に示し、盟約を結んだとされている。
偉大な王の元、竜と人は協力し、荒れた大地を治め、魔法王国を倒した。
ドラゴニアは竜と繋がりの深い国なのだ。
「まあ、この歴史はドラゴニアが残したんだから、多少の美化は入ってるでしょうけど」
「それでも、古代魔法王国を倒したのは本当のことなんですよね」
「そうね。カステールの辺りは、かつて魔法王国があった場所で、最後の激しい戦いによって砂漠化した。緑が豊かなフォレスタニアで、唯一の砂漠ね」
この本は、ドラゴニアの歴史について書かれているので、その辺りには触れていない。
建国王が倒れた後も、戦乱の影響にて、混乱が続いたドラゴニアは、数々の戦いを経て、今の形に統一されたという。次の章からは、それぞれの王の功績が書かれているようだ。
「ドラゴニアの王様ってことは、ライさんのご先祖様ですよね?」
「まあそうなるわね……」
本の挿絵には、勇ましく剣を掲げ、空を飛ぶ竜と戦う若者の姿が描かれている。この戦いにより、若者は竜に力を認めさせ、友情を築いた。そして、竜と共に武功を上げ、王となったと記されている。
「でも、ライがこんなすごい王様の子孫なんてね?」
マリラが冗談めかして笑うと、アイリスもくすりと笑った。
ジェスとライは、甲板の上に仰向けに寝転がっている。汗をかいた体に、潮風が心地いい。
剣の相手ではなく、組手をしたのは、実は初めてだった。剣の勝負では、互いに相手に触れることはないが、拳となれば話は別だ。
ジェスとライの頬は、互いに相手の一撃を受けてやや腫れている。これくらい何てことはないが、アイリスやマリラが見れば呆れるだろうな、とは思った。
「あーあ、次は決着つけてやる」
悔しそうにライが言うと、ジェスも答えた。
「僕こそ」
青い空を見上げ、二人は無邪気な少年のように笑った。