012:毒の触手
図書室の中央から伸びる、長い螺旋階段を上っていく。かなりの高さがあるため、下を見下ろすと恐怖を感じる。
マリラは、学園にいた頃に図書室に来たことは何度もあったが、学園長の部屋に向かうのは初めてだった。学園で一番偉い人が、不便な所にいるものだと、今更考える。
すると、先頭を進んでいたライが、マリラに話し掛けた。
「マリラ、前言ってたよな。魔法ってのは、呪文を唱えただけでは発動しない。その魔法の力を制御する術者の精神力があって初めて魔法になるって」
「ええ」
「けど、その賢者の杖さえ持ってれば、どんな奴でも、呪文を唱えるだけでいくらでも魔法が使える。そういう理解でいいんだな」
「そうなるわ」
魔法使いの杖は、力を制御する補助の役割を果たす。強力な杖があれば、確かに術者の実力を越えた魔法を使うことも可能だろう。
だからこそ、アルバトロは、魔法使いとしての実力が無かったにも関わらず、これほどの魔法を学園中に張り巡らせ、力のある魔法使い達を虐げることができたのだ。
「恐ろしいことになります。相手は、どんな魔法を使ってくるか……」
だが、こちらは魔法使いだけのパーティではない。無論、魔法の強さはよく理解しているが、それでも魔法の力比べをする必要はないのだ。
「どうにか隙をついて、杖さえ奪うことができれば、か……」
ジェスは剣を握りしめた。
螺旋階段を上りきり、ついに学園長の部屋の前に立つ。
四人を待ち構えていたかのように、その扉はひとりでに開いた。
学園長の部屋は、円形で、また円形の窓が壁や天井にいくつも存在する、変わった部屋だった。窓には色ガラスが嵌められているため、様々な色の円形の光が、壁や床に模様を作り出す。
ふとマリラは、昔読んだ魔術書の記述を思い出す。円は力の循環を示し、その完璧なる流れはいかなる魔法でも留めることはできない。力はその流れを、別の循環へと導くように操るのだ。
「待っていたよ」
部屋の奥に立っていた、血走った目をぎらつかせた初老の男が、笑みを浮かべて腕を広げた。その右手には、双頭の蛇の飾りのある、白い杖が握られている。
マリラは仲間に小さく頷いて見せた。間違いなく、あれがアルバトロだと。
一呼吸の後に、ジェスとライは一斉に駆け出した。
呪文を唱えられるよりも早く、魔術師の元に辿り着けばいい。ジェスは右から、ライは左から飛び込んで行った。マリラも同時に、牽制のために〈火球〉を放った。だが――。
「なっ!」
アルバトロとジェス達の間の床から、急に緑の触手が何本も吹き出した。それはぬめぬめとした液体を撒き散らせながら、ジェスとライ、二人に同時に襲い掛かる。
ライは咄嗟に横に跳んで避け、ジェスは自分に向かってきたそれを切り落とした。マリラの放った炎も、突如出現した触手によって阻まれ、アルバトロには届かなかった。
触手は、切られた先から再生し、また襲い掛かってくる。何本もの触手が様々な方向から襲ってくるのでは、容易には突破できない。
「な……また捕らえた魔物を召喚してきたのか!」
「ふん、少し違うな……これは私が造ったのだよ。毒の触手を持つ、この世で唯一の存在だ」
そう言うアルバトロは笑っているようだ。
先手を打つことには失敗した。ジェスとライは、襲い掛かる触手を素早い動きで相手取っているが、何しろ触手はいくらでも再生するようだ。このままではこちらが消耗するだけである。
無論、触手がアルバトロを襲う様子はない。アルバトロが操っているのだとすれば――。
「二人とも下がって!」
マリラはそう叫び、杖を触手――の後ろのアルバトロに向けて〈眠りの雲〉の呪文を唱えようとした。
「愚か者め!」
アルバトロは高らかに呪文を唱えた。その前に、淡い光の膜のようなものが現れる。それを見たマリラは、はっとして呪文の詠唱を直前で止めた。
「お、おい、何で止めた――」
ライは、触手を睨みつけながらマリラに聞く。マリラは悔しそうに唇を噛んだ。
「ははははっ、もう魔法は使えまい!」
「何だって?」
「私に向かって魔法をかければ、全てはね返されるのだ!」
アルバトロの言葉は間違いない。今のは〈反射鏡〉の呪文だ。迂闊に魔法をかけようものなら、術者に返されてしまう。
ライは、狂気の笑みを浮かべるアルバトロを静かに見て、なるほどな、と呟いた。
「ようやく分かったぜ」
「無知な冒険者風情が何を言うか。お前などに魔法の力の何たるかが――」
「違えよ。お前が何をしたかったのか、やっと分かった」
ライは、やっと腑に落ちたというように言う。アイリスが尋ねた。
「どういうことなんですか?」
「わざわざ扉を開けて中に入れたと思ったら、罠を仕掛けてくる。その上で、罠は回りくどく魔法で仕掛けたものばかりだ。俺達をどうしたいのか、意図が掴めなかった」
それは、学園の中を進む間に、ライが抱いた疑問だ。
「あんたは今もそうだ。その触手で襲っておきながら、わざわざ説明するようなことをする。魔法をはね返す呪文を自分にかけながら、呪文を相手の魔法使いに聞こえるように唱えるどころか、何の呪文か教えてくる」
「……」
言われてみれば、ライの言うことはもっともだ。
触手に毒があることは、相手に言わない方が効果的なはずだ。〈反射鏡〉の呪文にしたって、わざわざマリラに説明してやる必要はない。マリラがその呪文を知らなければ、今頃、自分の魔法で眠っていたかもしれないのに。
アルバトロは、ライの言葉に口を開いたが――何も言い返せなかったようで、そのまま口をぱくぱくさせている。
「結局は、自分の魔法を見せびらかせたいんだろ。てめえの力でもない、その杖に乗っかっただけの、借り物の力をいい気になってな」
そう言ってライは唇の端を吊り上げ、笑ってみせた。
「な……な……」
アルバトロは顔を真っ赤にして震えていた。どうやら、図星のようである。
「図星だな? 自分でも分かってんだろ」
そうやってさらに、挑発するように言葉を重ねるライは、その背でそっと短剣を握り直した。
触手も、動揺するアルバトロにつられたかのように、ぶるりと震えた。その一瞬をライは見逃さなかった。そして、小馬鹿にしたような笑いから一転し、機敏な動きでアルバトロに突っ込んで行った。
「無茶を!」
ジェスもライの意図に気付き、すぐさま続いた。マリラもはっとして慌てて杖を構え直す。アイリスはその成り行きを見守りながら、一心に祈っていた。
「うう……うわああああっ」
アルバトロは、顔を真っ赤にして叫び、そして絶叫するように呪文を唱えた。
今度もマリラに、その呪文は聞こえていた。だが、詠唱があまりに早く、何の呪文だったか分からない。
「なっ……今のは……?」
ライの短剣がアルバトロに届く一瞬前、その呪文は完成した。ライの動きは急に止まり、その場でだらりと立ち尽くした。
「くっ!」
遅れて駆け出したジェスは、前にも増して凶暴にうねり始めた触手に阻まれた。触手は伸縮しながら激しくのた打ち回り、前衛でジェスが切り落とし続けなければ、マリラとアイリスをも襲いかねない。
「貴様、何をしたの!」
マリラはアルバトロに怒鳴った。アルバトロは、ぜえぜえと肩で息をしながら、その場で動きを止めたライを見て、また狂ったような笑みを浮かべた。
「くくく……お前、名を名乗れ」
杖を向け、ライにそう言う。マリラははっとした。〈絶対服従〉の呪文か?
ライは虚ろな顔でしばらくぼうっとしていたようだったが、やがて、短く答えた。
「……レオンハート」
(え?)
それを聞いたジェス達は、一瞬耳を疑った。
マリラなど、素早く考えを巡らせ、もしかしたらライは呪文に抵抗し、敢えて嘘を言っているのではないかと考えたくらいだ。
だが、次の瞬間、ライはその虚ろな目のまま、くるりと向きを変え――
「やつらを殺せ!」
アルバトロの命じるまま、マリラとアイリスに斬りかかってきた。