119:水柱
一行は港町バランに到着した。だが、以前来た時のような賑わいがなく、どこか沈んだ雰囲気で、潮風が寂しく吹き抜ける。
「……なんか活気がないね」
ジェスの言葉に、仲間達は頷く。
町が閑散としている理由はすぐに分かった。貨物の定期船に乗せてもらおうと訪れた商業ギルドで、不機嫌そうに受付の男性に言われたからだ。
「魔物が出て、船が出せない……」
「ああ。今、国に連絡はしてるがね……。数ヵ月は待ってもらわないと」
ジェス達は顔を見合せた。
「どんな魔物ですか? 可能なら、僕達で退治しても……」
男はチラ、と一行を見て、ふん、と鼻で笑った。その様子にマリラはむっとする。
このパーティではよくあることではあるが、優男が二人に女子供と、侮られているのは間違いない。
「退治できるならやってみたらいい、もしできたら報酬は言い値で出すさ」
そう言って男は、用は済んだとばかりにジェス達を追い払った。
「何よあれ!」
マリラは男の態度に憤然としていた。
「仕方ないよ、彼も船が出せなくて、大損をしているんだから」
ジェスはマリラをなだめる。
「で、どうすんだ?」
「魔物に困ってる人はたくさんいるはずだし……僕達で退治できそうか、一回様子を見てみよう」
ジェス達は、船乗り達に話を聞いて回る。船乗り達は船が出なくて仕事がないため、ジェス達に詳しく魔物の話をしてくれたし、さらにはごく浅いところまで小舟を出して、海のどの辺にいるのか案内までしてくれた。
「長くて太い、でっかい胴体が見えてよ。船の舳先をへし折ったんだ」
「海に落ちた仲間が、巨大な口にひと飲みにされた……助けようとした奴も、腕しか残らなかった……」
話を聞き、アイリスはぞっとした。目を閉じ、今は静かに凪いでいる海に向かって祈りを捧げる。
「話を聞いていると、水蛇の類かしら」
「ただ、かなり巨大だな……」
水蛇とは、以前も戦ったことがある。しかし、帆船の舳先を折るとは、その大きさは尋常ではない。
「でも――放っておけないよ。そんなに強力な魔物なら、王国兵が来てもかなり苦戦するはずだ」
王国兵の実力は、ついこの間、一緒に戦った時に見ているが、良くも悪くも個人差が大きい。
そういう集団は、小さな魔物が大量にいる群れを退治するには良いが、強い魔物を一体相手にするには向かない。強い魔物には、少数精鋭で当たらないと、全滅を招きかねない。
ジェスは、海を強く見つめた。
不安そうに船乗り達が見守る中、一行の乗った小舟が沖に漕ぎ出していった。
片方にはアイリス、マリラ、ライが乗り、もう片方にはジェスが乗っている。
「……この辺かな」
底が深くなってきた辺りで、マリラとアイリスを残し、ライはジェスの方の舟に乗り換えた。男二人で、さらに沖へと漕いで行く。
「気をつけて」
マリラとアイリスは、杖やロザリオを構え、いつでも呪文を唱えられるよう、精神を集中させ始めた。
「来たかな」
「……ああ」
波が、不自然に揺れたのが分かる。海の底を、ゆらりと何かが通ったのも見えた。
海は不気味なほど静かだ。魔物によって、ここら一帯の魚は食べ尽くされ、海鳥も寄ってこなくなったのだろう。
しばらく、波の音だけが聞こえていたが、ブクブクと、不気味な泡が、小舟の真下から上がってきた。
ジェスは闇に包まれた漆黒の剣を、ライは〈祝福〉の魔法を受けて、白く光輝く突剣を、それぞれ構える。
二人は目配せをし――次の瞬間、舟を飛び下りた。
「グオオオン!」
二人が飛び降りたのとほぼ同時に、巨大な蛇の魔物が、二人の乗っていた舟を噛み砕き、粉々にした。
「行くわよ!」
マリラが水の魔物で、海水を操り、ライの足元の水を一気に吹き上げた。勢いを利用して高く飛び上がったライは、魔物の上を飛び越え、落ちる勢いで一気にその体を切り裂いた。
更に、海の底から赤い水が吹きあがり、飛沫が上がった。
魔物の一撃目を避け、海に潜ったジェスが、海中で魔法剣の一撃を放った、その血だ。魔物はその胴を半 分ほど裂かれ、大量の体液を流しながらのたうつ。
ライは海に足から飛び込み、顔を出して息をついた。
「致命傷は与えたな、一旦浅瀬に退くぞ!」
水中で魔物を相手にするのは圧倒的に不利だ。
頭から背にかけての大きな傷に加え、胴を深く裂いた。このまま放っておき、魔物の体力が尽きるなり逃げるなりすれば良い。まだ港に留まって船を攻撃しようとするなら、また改めて仕掛ける。
だが――赤黒く濁った水の中で、何かが蠢いた。
「なっ!」
それは瞬く間にライに巻き付き、そして海面から、もう一つ、大口を開けた大蛇の顔が現れた。
「二匹いたのか!?」
驚くジェス。だが――。
「違う! 双頭種だわ!」
一つの胴に、二つの頭を持つ亜種だ。魔物は、片方の頭の恨みとばかりにライに食いかかった。
牙がずらりと並んだ口が、迫る。
「今助けます!」
アイリスが素早く〈護り〉の魔法でライの前に壁を張った。さらに、激しい火球が魔物の頭に立て続けにぶつかった。
障壁越しにも伝わる強い熱気。しかし、ライを締め付ける力は弱まらない。
「ぐ……」
窒息しかねないほどの強い力だ。歯を食い縛り、気絶しないように耐えるが、あばら骨が軋む。
「はあああっ!」
ジェスが、剣の先に集めた闇を飛ばす。黒い刃が剣から放たれるが、水の中では足元が不安定で、狙いが定まらない。魔物をかすめ、鱗を削っただけとなった。
「当たらない……!」
「いいえ!」
すかさず、マリラとアイリスが、鱗が削れて弱くなった場所に、攻撃をぶつける。
風の刃、そして聖なる力を与えられた海の水が、魔物の傷をさらに抉る。
「「ギャオウ!」」
双頭が共に吠えた。締め付けが緩くなった隙に、ライは渾身の力で、目の前の胴体に剣を突き立て、魔物から逃れる。
ライの拘束が解けたのを見たマリラは、水を操って、ジェスとライの足元に足場を作る。水を絶妙な力加減で吹き上げることで、水の上に立てるようにしていた。
「早くこっちに!」
魔物は巨大だが、あれほど大きければ、浅瀬に来ることはできない。マリラ達のいる辺りまで逃げて来れば、とりあえず安全だ。
ライは水面を走って浜の方へ走るが、ジェスはそこに立ち止まったまま魔物を見据え、剣を水平に構えた。
「双頭の大水蛇――ここで逃がせば、次はもっと強力になって戻ってくる」
漆黒の剣の周りに、力が渦巻いた。周囲の光を全て飲み込みそうな、濃い、どこまでも深い闇を纏う。
ジェスの瞳に、銀の星が散る。
それを見て、ライは息を飲んだ。
(あの目は、エデルと戦った時の!)
ジェスの体の周りに、銀の光が飛ぶ。一跳びで、ジェスは魔物の二つの頭の前まで高く飛び上がり、そして、ただ剣を一閃した。
二つの頭は、争うように、飛び込んできた獲物を食らおうとしたが――その動きが、糸が切れたようにぷつりと止まる。
ジェスが魔物の頭の間を跳び越えた後――魔物の二つの頭は、切り落とされて水中に落ちた。勢いよく水柱が上がる。
次いで、魔物の巨体が倒れこみ、海面を叩きつけた。衝撃で、浜まで波が押し寄せた。
「きゃあっ!」
マリラとアイリスの乗っている小舟も、ひっくり返りそうになる。押し寄せる波に、水の制御も効かず、ライは足場を失って、水の中に潜った。
「!」
ライの目に、銀色にキラキラと輝く光が、暗い海の中をゆっくり沈むのが見えた。ライは次第に弱くなっていく光に向かって、懸命に水を蹴って泳ぐ。
沈むジェスの腕を掴むと、急いで水面を目指す。
長い間潜っていたため、息が苦しく、ライはぜえぜえと息を吐いた。ジェスは、剣こそしっかりと握りしめていたが、ぐったりとして、半ば意識のない様子だった。ジェスの周りを包むように輝いていた銀の粒は、いつの間にか消えている。
「くっ……おい、ジェス、しっかりしろ!」
マリラが魔法で水を吹き出し、急いで舟をこちらに向かわせているのが見えた。