118:不穏な陰
激しく威嚇の声を上げながら、茂みから魔物が飛び出してきた。
「キッシャアア!!」
魔物はその体から、無数の針を飛ばして攻撃してきた。
マリラは風の魔法を素早く展開し、針を吹き飛ばす。
ジェスは剣を抜き、飛び出した。逸らしきれなかった針を剣で弾き飛ばすと、草むらの中に隠れていた魔物を切り伏せる。
「まだ隠れてるぞ!」
小さな針を持った魔物は、丈の高い草の中に潜み、針を飛ばしてくる。ライは剣を自分の前で回転させて、盾のようにして針を弾いた。
ジェスは高く跳躍し、剣に闇の力を集中させた。それを、勢いよく地面に振り落とす。
衝撃波が広がり、魔物が弾かれたように飛び上がる。
宙に浮いて無防備になった魔物を、マリラは炎で打ち落とした。
「見事なもんだ……助かるよ」
ジェス達の戦いぶりを見ていた年配の兵士が、感心した。
彼は、アノンの村から、小麦を輸送する兵士隊の副長で、ジェス達のように雇った冒険者の管理もしている。
ジェス達は、兵士隊と共に、アノンから街道を南に進んでいた。今年は魔物が少なく豊作だったため、小麦を運ぶ兵の人手が足りなかったので、ジェス達が護衛としてついてくることを申し出ると、歓迎してくれた。
「僕達も、ご一緒させてもらって、助かってますから」
大きな集団で移動した方が、魔物に襲われにくい。それでも、今のように群れに遭うことはあるのだが。
副長は、顎髭をしごきながら、ジェスとライに言った。
「どうかな、もし良かったら、我が国の兵士隊に入らないか。君達の実力なら、若いうちからの出世もできる」
「僕達は旅を続けたいので」
ジェスは断り、ライは苦笑した。……この副長は、ライが国の王子だと知ったら何と言うだろうか。
「残念だな、君達とももうすぐお別れか」
アイリスは荷馬車の窓から身を乗り出した。遠くに、宿場町イナルが見えてきていた。
イナルから東に進み王都へ向かう兵士隊を、ジェス達は見送った。ジェス達は西へ行き、港町バランに行く。
「ここで一泊して、明日出発だな」
今日の宿を探して歩いていると、ジェス達は声をかけられた。
「皆さん!」
そこにいたのは、以前この宿場町に来た時に泊まった、宿の主人だった。
主人はジェス達を見つけると、手を振って近付いてきた。
「お元気そうで何よりです、この前は大変お世話になりました」
「こちらこそ。娘さんとお孫さんは元気?」
マリラが尋ねると、主人は満面の笑顔、というよりデレデレした顔で言う。
「それはもう! 孫が可愛くて可愛くて! 宿をお探しなら、ぜひ孫の顔を見に、うちに来て下さい、この前の分までサービスしますよ」
「商売上手だな」
ライはそう言って笑うが、この前泊まった時も、雰囲気の良い宿だったので、反対はない。
一行は主人に連れられ、宿屋に向かった。
「赤ちゃん可愛いですね」
アイリスとマリラは、主人の娘と共に、よく眠る赤ん坊の顔をそっと除きこんだ。
「そうなの。あの薬のお陰です。ありがとうございました」
「聖母草ね……」
マリラはふう、とため息をついた。ジェスが尋ねる。
「どうしたの?」
「何だか、不思議だなと思ったのよ。私達は、あの薬草を売るつもりで、フォレスタニアからたまたま買ってきた。その私達が、彼女が出産する日にたまたまこの宿に泊まった。何だか、偶然にしては、と思ってね」
「……そうですね。それで私や、この子の命が助かったのですから……」
彼女は、腕の中で眠る、赤い頬をした赤ん坊を、愛おしげに見つめた。
「いつだったか聞いたことがあります。他のものと決して変えられない。そう思えるほど、大切な巡り合わせには、運命と呼ばれる力が働いていると――私は信じてはいなかったのですが、夫や子供にこうして会えたことで、そう思うようになりました」
皆さんに会えたこともそうです、と彼女は笑う。
「そうね。でも、私もそう思うわ」
かけがえのない、仲間に出会えなかったら――少しのきっかけがかみ合わなくて、すれ違っていたら。
「さあさあ、料理が出来ましたよ!」
宿屋の主人が、鳥を丸ごと焼き上げた、豪快な肉料理を運んでくる。ジェス達は目を輝かせた。
「もう、お父様ったら。お客様にご馳走をお出しするのはいいけれど、私にも毎日そんなに食べさせたら、太ってしまうわ」
「いいじゃないか。ちゃんと食べて、お乳を出さないと」
満面の笑みで、娘と孫に言う宿屋の主人。そんな親子の様子を見て、マリラは目を細めた。
翌日、宿代を払うジェスに、主人は声を潜めて言った。
「そうそう、皆さんのお耳に入れたいことがありまして……」
「何ですか?」
「この前、皆さんを探す二人組の冒険者が宿場町に来たんですが……」
「二人組?」
「ええ。紫の髪の盗賊らしい女の人です。もう一人は魔法使いのようでしたが、フードを被っていて顔は分かりませんでした」
それを聞いて、ジェス達ははっとする。
「ベルガとザンドか!」
女盗賊のベルガと、魔法使いのザンドは、ジェス達とは因縁のある相手だ。何しろ、彼らには二度も殺されかけたのだ。
「……やはり、知っていたのですね。皆さんの特徴をよく言っていたから、間違いないのでしょうが……」
急に顔色を変えたジェス達に、主人はため息をついた。
主人の話によれば、彼らは馬屋でジェス達の話を聞き、泊まった宿を突き止めてここに来たらしい。
「奴ら、何て……」
「さあ……用があって探しているとしか。ただ、私も客商売をして長いので、彼らが真っ当な人間でないことくらいは分かりましたよ。皆さんには恩もあります。思い切り逆方向に行ったと教えてやりました」
ほっとするジェスとアイリス。だが、ライの顔は浮かない。
「……それ、どのくらい前のことだ?」
「半月くらい前ですかねえ……前に皆さんがここを出て、しばらく経った後のことです」
ライは何かを考えていた。
イナルの街を出て、街道を歩きながら、ライは思考を巡らせていた。
「ライさん、怖い顔してますよ……大丈夫ですか?」
「ん、ああ……」
ライは頭をかき、自分を不安そうに見る、アイリスやマリラを振り返った。
嫌な話だが、言っておかないといけない。
「さっきの、ベルガ達の話だが……宿屋の主人の話だと、多分、奴らはフォレスタニアに行ったと考えた方がいいな」
「……。」
ベルガ達がイナルで、ジェス達を探していたのは半月前。つまり、彼らと王城で戦った後のことになる。
そもそも、ベルガ達は王城でジェス達と会うまで、ジェス達を死んだと思っていたのだから。
マリラもライの言いたいことを理解した。
「イナルの西と言えば、港町バランしかないものね……。」
ジェス達が、最初にイナルの街を出た時、東の王都方向に進んだ。宿屋の主人は、怪しげな彼らをジェス達から遠ざけようと、その逆、つまり西を教えたことになるが、それは裏目に出ている。ジェス達はこれから、西へ向かい、フォレスタニアに行こうとしているのだから。
「まだ俺を狙ってるのか……?」
ベルガとザンドは、王位継承権を巡る騒動の中、暗殺者として雇われ、ドラゴニアの第一王女レイチェラと、第二王子であるライの暗殺を行おうとした。
しかし、暗殺対象の王子をライではなくジェスと間違えたこと、ジェスとレイチェラはそれぞれ相手を返り討ちにしたことで、暗殺は二重に失敗している。
「……どうかしら。雇い主は捕まっているし、次の王だって決まった。今更探してまで、ライを狙う必要がある?」
「……。」
ライは唇を噛み、何かを睨むように目を鋭くした。
「大丈夫だよ、ライ」
ジェスがライの肩をとんと叩いた。
「もし次に二人に会ったら、今度は逃がさないようにしよう」
ジェスが、何でもないように明るく言う。マリラとアイリスも頷いた。
「そうね。返り討ちにしてやるわ」
「私達四人なら大丈夫ですよ、ライさん」
「お前ら……」
ライは一瞬目を丸くしたが、すぐにいつもの調子に戻った。
「……だな」