117:花飾り
曲が終わり、ライはアイリスの手を離した。
「踊ってくれて、ありがとうございました」
「こちらこそ」
淑女のような礼を返すアイリスに、ライも笑って返す。ここでこちらも貴族式の大仰な礼を返してもいいのだが、それはさすがに目立つだろう。
ジェスとマリラのところに戻ろうとした時、小さく声がかけられた。
「あの……すみません、旅の方、ですよね」
「ん?」
ライとアイリスは声の方に振り向く。そこには、頭に白い花を飾った若い村娘がいた。年は十七、くらいか。
「ああ、この村の人間じゃないけど。なんか用か?」
ライがそう言うと、彼女は思いつめたような暗い表情で、ライに頭を下げた。
「あの、私と踊って、いただけないでしょうか」
「……。」
アイリスはきょとんとし、ライは、村娘の白い花を見ながら怪訝な顔をする。
「『花の娘』が何を言ってるんだ? 俺は言った通り、旅の人間だぜ」
「そ、そんなことはお願いしておりません、ただ……」
彼女はおどおどとした様子だった。ちら、と視線が揺れる。ライはその彼女の視線の先を、横目で見た。
すると、見下した、馬鹿にしたような目でこちらを――正確にはこの村娘を――見ているらしい、別の村娘がいた。彼女は、村の若者らしい男性の腕を取っている。
(なるほどな、惚れてた男が、あの意地悪そうな女に取られたってところか……傷心で他の男性と踊る気にもなれないが、かといって誰からも誘われないのもな。旅人なら後腐れもないし。ここで断るのは可哀想か……)
事情を察したライは、ふう、とため息をついた。
「アイリス、先戻っててくれるか?」
「あ、はい」
次の曲が始まる。ライは、今にも逃げ出しそうな彼女の手を取って踊り始めた。
音楽に紛れるよう、ライは小声で彼女と話す。
「お嬢さん、名前は?」
「ヨーリエと申します……」
俯いたままで、重い足取りの彼女を、ライはやや引っ張るようにしてリードする。
「あの……ごめんなさ……」
「楽しまなければ損だぜ、そうだな……俺をあの、女を見る目のなさそうな馬鹿男だと思って踊ればいいんじゃないか」
ヨーリエの目から涙が零れそうになるが、彼女はぐっと上を向いて堪えた。白い花が、彼女の髪の上で小さく揺れる。
ヨーリエが、ステップを踏み損ねて、ライの足を踏みそうになっても、軽く避けて巧みに対応する。こんな村祭りでの踊りくらい、ライにとっては朝飯前だ。
ライは、どんなに相手が下手だろうと、ダンスに関しては完璧にリードできるくらいの実力がある。体を動かすのが好きなライが、剣術の次に好きで覚えたのがダンスだった。
そのまま二曲ほど、あえて優雅に踊ってみせ、曲が終わると、ライはすっとヨーリエに礼をしてみせる。
「ヨーリエ嬢、その花を頂けますか?」
「――申し訳、ありません」
これで自分は振られ男な訳だが、どうせすぐ村を出て行く旅人だ。横目でちらりとさっきのペアを探せば、女性の方は何故か悔しそうな顔をしていた。
ヨーリエは本当に申し訳なさそうな顔をしているので、ライは苦笑して手をひらひらと振った。
「お嬢さんが、男に向かってそんな顔するもんじゃねえよ、じゃな――」
そうして、ライは、今度こそ、仲間達のいる屋台の辺りに戻ろうとした。だが。
「って、何でそうなるんだ!」
ライは慌てて駆けだした。
アイリスは、まだ飲みたがるジェスを説得して、屋台から引きはがした。
「え? 僕はまだ――」
「でも、早くしないと、今日はお祭りですから、宿が取れなくなってしまうかもしれませんよ」
「そっか、そうだね……」
アイリスに連れられ、ジェスは屋台から離れて、今日泊まる宿を探しに行った。最悪、村の敷地内で、野宿かな、と呑気に呟いていた。
ジェスとアイリスが行ってしまい、残されたマリラが一人座っていると、声をかけられた。
「お嬢さん、私と踊りませんか?」
「え?」
見上げると、若い男性が、マリラに手を差し出していた。恰好からすると、村の若者というより、この村に来た王国兵のようだ。
「あら、あなた、兵士?」
「ええ。辺境警備隊より来ましたジーラスと申します、あなたのお名前は?」
「えっと……」
マリラが名乗ろうかどうか迷っていると、そこにライが走ってきた。
「おい! 何やって……」
突然、マリラとジーラスの間に割って入ると、何故かマリラを睨みつけ、マリラの髪に飾られた花を指さす。
「その花、どうしたんだよ!」
「え? アイリスに貰ったのよ」
困惑するマリラの答えに、ライは天を仰いだ。
「ちっ……フォレスタニアにはこの習慣、ないのか!」
ライはマリラの頭に手を伸ばし、花を取ろうとしたが、マリラはせっかくアイリスに結ってもらったのを崩したくなくて、それを避ける。
「ちょっと、何するのよ」
「いや、だからその花はな……」
ライが説明しようとすると、ジーラスが怒ったようにマリラの横に立つ。
「何なんだ君は。花の娘の花を無理矢理取ろうとするなんて、それでも男か!」
「花の娘?」
マリラがきょとんとする。
ライはああもう面倒くせえ、と毒づく。どう見たって花の意味を分かっていないだろうが!
「うるせえな、じゃあ踊って取れば満足か! おい、マリラ、踊るぞ」
「はあ?」
急に手を差し出してきたライに、マリラは呆然とした。ジーラスは憤然として、張り合うようにマリラに手を差し出す。
「私が先に彼女を誘ったのだぞ!」
「だから何だ!」
ぎゃあぎゃあ言い合うジーラスとライを、マリラは交互に見た。すると、いつの間にか野次馬が集まってきて囃し立て始めた。
「いいぞ!」
「やれやれ!」
事態はまったく飲み込めないが、何やら不味いことになっている気がする。早くこの場から離れようと、マリラは慌てて、ライの腕を引っ張って逃げようとした。
「ちょっと、ライ!」
逃げるわよ、という言葉は続かなかった。
勝ち誇ったような笑みを浮かべたライが、自分の腕を逆に掴み直し、そのまま腕を引いて、音楽の流れるやぐらの前まで引っ張っていったからだ。
「なっ――!」
踊っている場合じゃないでしょ!
そんな事を言おうとしたのだが、ライの笑顔に、何も言えなくなる。あの時と同じだ。王城の舞踏会で、自分の手を引いた時のライの顔と――。
抱き寄せられるようにして、踊らされているので、付いていくしかない。ダンスに慣れないマリラは、とにかく足を動かすのに精一杯だった。
曲がようやく終わり、マリラは弾んだ息を落ち着かせようとする。すると、結い上げていたマリラの髪がぱさりと解けた。ライが、マリラの髪に刺さっていた花を取ったのだ。
「あっ、ねえ、せっかくアイリスが……!」
「こっちには『花の娘』って古い習慣があるんだ。白い花を髪に挿した女性は未婚の印。男性は花を挿した女性を踊りに誘い、花を貰っていいか男性が聞く。女性がそれに応じて、花をあげたら、まあ――婚姻の成立だな」
「ええっ?」
「今は婚姻とまではいかないか。ただ、そういう意味だから、こんな祭りで白い花をつけてふらついてたら、さっきみたいなことになるってことだ」
アノンの収穫祭は、作物の収穫を祝う以上に、男女の出会いの場としても有名だ。
男性が兵役につきがちなこの国では、地方の村では若い女性が、そして兵士隊では若い男性が、それぞれ相手を見つけることが難しい。
下っ端の若い兵士が、作物輸送の護衛のために村に訪れるこの機会に、相手を見つけようという若者は多い。
マリラは慌てた。ライに対しても、こちらを見ているジーラスに対しても、言い訳するように大きな声で主張する。
「し、知らなかったのよ! 何で説明してくれなかったの、知ってたら自分で取ったわよ!」
「いや、説明しようとはしたぜ……」
苦笑しながら、ライは自分の手の中の白い花を見つめる。
ちゃんと説明していたら、マリラは花を自分で取ると分かっていた。分かっていたからこそ――。
今のが最後の曲だったらしく、踊っていた人々は散り散りになって帰っていく。いつの間にか西の空が赤く染まっていた。
「じゃ、行くか。ジェスとアイリスが待ってるだろ」
「え、ええ……」
ライの後について歩きながら、マリラは夕方になって日が沈みかけていることを、自分の顔の赤さが、夕日の赤で隠れてくれていることを、心の底から感謝した。