115:草原の墓
竜の生まれた洞窟から、ジェス達一行は更に西に歩き、森を抜けることにした。結局、バーテバラル山脈を東から西に突っ切った形になる。
「一回ホルンの村に戻って、依頼の報告をしなくていいのかしら?」
「いいんじゃねえか? 報酬は前払いだし、そもそも依頼を達成した証拠がねえぞ」
ライとしては、また山を越えてホルンに戻るのはかなり面倒だった。
第一、フォレスタニア大陸に向かうなら、船着き場のある南西へ進む必要があるが、ホルンは逆方向だ。
「だけど……」
「カジャラッシャ様は、私達のしたことを、ご存知のような気がします」
アイリスは、竜のロザリオを握って言った。
「きっと、私達が行きたいと思う場所に、真っ直ぐ進んでいくことを、お望みだと思います」
アイリスの言葉には、妙な説得力があった。何となく、カジャラッシャならそう言いそうな感じもする。
そして森を歩き、草原に出ると、一行は奇妙なものを見つけた。
「草原に、石がたくさん並んでる……?」
「……。」
石はほぼ等間隔に、明らかに人為的に並べられていた。
近付くと、表面に文字が刻まれているのに気付く。それを読み、アイリスは小さく声をあげた。
「お墓……。もしかして、ここは」
「メローラ町長の娘さんがいたっていう、村の跡だ……」
風が吹き抜け、草がざわざわと擦れて音を立てた。
かつて村だった場所は、今は草原に変わっていた。
墓石と、村について書かれた石碑があるだけだ。
「魔物に滅ぼされた、か……」
ライはその説明を読んだ。
魔物に滅ぼされた無人の村や砦は、跡を残さず焼くのが基本だ。
そのため、村の痕跡は跡形もなく、残された墓も、丈の高い草に覆われ、気がつかず通り過ぎてしまうかもしれない。
「メローラさんの娘さんのお墓はどれなんだろう?」
皆で墓石を調べるが、分からなかった。名前が彫られていない墓石が、半分以上あったからだ。
「……無理もねえな。魔物に滅ぼされて、来た兵士がその場で埋葬したんだ。誰が誰だったかなんて、分からなかっただろうし……」
アイリスは沈痛な顔をする。マリラは、そっとアイリスの頭を撫でた。
「私達がここに来たのも、何かの縁よ。出来ることをしましょう」
「……はい」
「だいぶ綺麗になったな」
「だね」
ジェス達は、一つ一つの墓の土埃を払っていった。作業の邪魔になる伸びた草は、マリラが風の魔法で一掃した。
「それにしても、何でこの村、襲われたんだろうな」
「……そうだね」
墓の数からすると、決して村人が極端に少ないということもない、普通の村だったと思われた。
人の多い集落を、魔物が群れをなして襲うことはごく稀だ。この辺りは確かに田舎だが、国の監視がないわけでもない。
「何か理由があったのかもしれないけど……分からないね」
四人で手分けして綺麗にした墓の前に、アイリスが跪いて花を手向けた。
「……ここに村があった事、たくさんの方が眠っている事は、忘れませんから」
どうか、聖龍のもとに、安らかに迎えられるように。
アイリスは祈りを捧げた。
ジェス達はそれから、近くにあるはずの村へと向かった。
一行が去ったしばらく後――草原の墓に、一人の女性が現れた。
赤髪の女戦士――エデルだった。
彼女の美しい顔に表情はなく、赤い髪は艶もなく乱れていた。
自分でもどこへ向かっているか、よく分からないまま、その足は自然と、彼女の故郷へと向いていた。
虚ろな様子で歩いていた彼女の足は、突然止まる。
「…………?」
徐々にその顔に、驚きが広がる。
草に覆われ、忘れ去られたように埋もれていくばかりだった彼女の故郷の墓が――綺麗にされていたのだ。
エデルは、何度も目を擦る。
「一体、誰が……」
こんなとうに地図から消えてしまったような、今や誰もその存在を覚えていないような村を、誰が訪れてくれたというのか。
この村の村人はあの日、エデルを残して全員死んだのに。
「……。」
エデルは、ふらふらと、草の刈られた地面へと進み出て、その中央に座る。
知らず、嗚咽が漏れた。
「………ありが、とう」
誰とも分からない相手に、礼を言う。
家族を弔ってくれたこと。そして、エデルを救ってくれたこと。
もし今のエデルが、滅びていくばかりの故郷を見たら、自分もその場で朽ちていこうとしたかもしれない。
今も昔も、自分の無力さに打ちひしがれたままで。
エデルは、折れた剣を手に取り、その欠けた刃を眺めた。
(私は――竜を殺すために、生きてきた)
かつて、この村を襲った、竜がいた。
その黒い竜は、闇の炎を吐いて村を焼き、エデルから、家も、家族も、友達も、何もかもを奪った。
一人生き残ったエデルは、飛び去る竜に、竜への復讐を誓った。
(……だが、どうだ。今の私は……)
強さを求めて腕を磨き、魔物との戦いに身を投じ、剣の強さを称賛されるうちに――何かを忘れたのだ。
自分が傷つくことも厭わず、卵を守ろうとした竜を、それを守ろうとした彼らを、傷付けた。
「私にとって、一番強い人は、……お母さんだったのに」
竜の息の前に、身を投げ出して自分を守ってくれた、母親。
今の私は、母を理不尽な暴力で殺した、あの黒竜と同じではないか。
エデルは、故郷の墓の前で、震えて泣いた。泣き疲れて、いつしかエデルは眠ってしまった。
瞼の隙間から、強い光が見え、エデルは小さく呻いて目を開けた。光の正体は朝日だった。気付けば、朝になっていたらしい。
エデルは身を起こした。冷えた体を擦って露を払うと、自分が地面に横たわっていたことに気付く。
一晩の間、あれだけ無防備に眠っていたのに、エデルは生きていた。
竜が卵を温め、強い魔法力を放った影響で、この一帯には魔物がいないからだ。
(……生きて、いるのか……また)
あの時も――焼かれて消えた村の中、黒い炎に包まれて、崩れ落ちる家から、どこをどうして逃げたのかも分からないまま、草むらの片隅で震えていたエデルは――朝日で目が覚めた。
エデルは立ち上がった。墓を後にし、草をかき分けて、進みだす。その手には、折れた双剣が強く握られている。
生きている。いや、生かされている。
「行かなくては、ね」
まずは、竜の伝承の多く残るこの地を、離れよう。再びエデルの心が、復讐に囚われてしまわないように。
いつか――また、この地を、胸を張って訪れられるように。
山々を、朝日が美しく照らし出していった。